経緯
前々から少し気になっていたクルースニクについて軽く調べたので書き留めておく。
なお、本稿は栗原 成郎 (1980) 『スラヴ吸血鬼伝説考』、河出書房新社に拠るところが大きい。
クルースニクとは
クルースニク(Kresnik, Krsnik)とは、スラヴ地域のスロベニアやイストリアといった地域1栗原 成郎 (1980), p.392柴 宜弘(監修), 伊東 孝之, 萩原 直, 直野 敦, 南塚 信吾 (2001), p.94に伝わる吸血鬼を退治する特殊な能力を持つとされる人間である3草野 巧 (1997)4健部 伸明, 怪兵隊 (1988), p.59。
その名前は krst (十字架) または krstiti (洗礼を授ける) に由来し、 Krs(t)nik, Skrstnik, Kresnik, Karsnik, Kršnjak, Križnjak, Grišnjak, Grnjak などのバリエーションを持つ5栗原 成郎 (1980), p.39-40。
クルースニクは吸血鬼を戦う運命を持っており6森瀬 繚,靜川 龍宗(クロノスケープ) (2008), p.16、家や地域の人を守るといわれている7栗原 成郎 (1980), p.39。なお、吸血鬼は赤い羊膜をつけて生まれてくるのに対して、クルースニクは白い羊膜をつけて生まれてくるという8草野 巧 (1997)9健部 伸明, 怪兵隊 (1988), p.5910森瀬 繚,靜川 龍宗(クロノスケープ) (2008), p.1611栗原 成郎 (1980), p.40。この白い羊膜については、クルースニクが吸血鬼と戦う際にその一片を左の脇の下に付けておくか、粉末にして液体に溶かして飲んでおかないと吸血鬼に負けてしまうといわれる12栗原 成郎 (1980), p.40ように重要なアイテムとなる。
クルースニクの伝説はバリエーションが多い。例えば、クルースニクは村や町ごとに存在しており、出現した吸血鬼と戦う13草野 巧 (1997)、どの吸血鬼にも敵対するクルースニクが一人いる14栗原 成郎 (1980), p.40といわれる一方で、クルースニクはめったには生まれてこないという伝説もある15栗原 成郎 (1980), p.40。また、クルースニクは死後はじめて吸血鬼と戦うといわれる一方、生前から既に吸血鬼と戦う(この場合は睡眠時に霊魂が肉体から離れるという)というバリエーションもある16栗原 成郎 (1980), p.40。クルースニクが吸血鬼と戦う際は黒い蝿、犬、馬、牛などの動物に変身する17栗原 成郎 (1980), p.40が、クルースニクが変身する動物は必ず白いという伝説もある18草野 巧 (1997)。
ただし、基本的には吸血鬼と敵対して人々を守る善なる存在であり、吸血鬼と戦う際は様々な姿を取って戦う、という点は概ね一致している。
クルースニクの仲間
このような吸血鬼と敵対する存在は他の地域でも見られ、例えばユーゴスラビア(現セルビアとモンテネグロ)のジプシーに伝わるダンピール (Dhampir) が挙げられる。ダンピールは人間と吸血鬼の間に生まれた子供であり、クルースニクと同様吸血鬼を退治する特殊な能力を持ち、これと戦うといわれている19草野 巧 (1997)20健部 伸明, 怪兵隊 (1988), p.5921森瀬 繚,靜川 龍宗(クロノスケープ) (2008), p.1622栗原 成郎 (1980), p.37。
ダンピールの他には以下のようなものが挙げられる。
- ヴァムピーロヴィチ (Vampirovići): セルビアやダルマティア地方。吸血鬼と人間の妻の間の子供で、悪臭を放ち、骨や歯がないとされる23栗原 成郎 (1980), p.36。
- Vampirdžii, Džindžii, Vŭperari, Vampiradžii, Glogove: ブルガリアでのヴァムピーロヴィチの呼称24栗原 成郎 (1980), p.36。
- Wampiri: アルバニアのペルレペ。人狼 (Vurvolak) の子孫とされる25栗原 成郎 (1980), p.37。
- Abraši: アムロン族。吸血鬼を父として生まれた男児。名前はトルコ語の「金髪」を意味するabrašから。神と肌の色が黄色っぽいため26栗原 成郎 (1980), p.37。
- Sŭbotnik: バルカンの民間信仰。名前は「土曜の子」の意。土曜日に生まれてきた者が吸血鬼の正体を見抜く能力を持つ、とされた27栗原 成郎 (1980), p.3928柴 宜弘(監修), 伊東 孝之, 萩原 直, 直野 敦, 南塚 信吾 (2001), p.9429健部 伸明, 怪兵隊 (1988), p.59。
クルースニクの原型 (『スラヴ吸血鬼伝説考』に拠る)
これらの存在は Sŭbotnik を除けばいずれも吸血鬼と人間の混血である。この点について栗原 成郎 (1980), p.37-39では民衆的英雄叙事詩の中に採録された『ミリッツァ (Militza) 妃と竜』の物語(ミリッツァ妃に毎夜押しかけてくるヤストレバッツ (Yastrebatz) の竜をヴーク (Vook) の竜が退治する)のように「竜退治は竜の子が行う」物語が「神々の結婚」という人間と霊的存在の結婚の神話的モチーフと「血の復讐(同族殺し)」のモチーフがバックグラウンドにあることとの類似を指摘している30栗原 成郎 (1980), p.37-39。
また、同氏は吸血鬼と戦うものではないが類似の存在として以下も挙げている。これらは、クルースニクと同様に羊膜を伝説の要素として持っており、かつクルースニクが家や村、町といった共同体を守護するように、ある地域を守護するために戦うものである。
- ヴィエドゴニャ (Vjedogonia): ツルナ・ゴーラ(モンテネグロ)やヘルツェゴヴィナの民間信仰。赤い羊膜をつけて生まれてくる者で、眠っている間に霊魂が肉体から離れて近隣の地方の悪霊と戦う。死後に吸血鬼になる可能性がある31栗原 成郎 (1980), p.40。
- ズドゥハチ (Zduhač, Zduha(ć), stuhać, stuva): ツルナ・ゴーラやボスニア、ヘルツェゴヴィナの俗信のヴィエドゴニャに相当する存在。白い羊膜をつけて生まれてきた人で、眠っている間に霊魂が肉体から離れて豊作をめぐって近隣の地方の類似の存在と戦う32栗原 成郎 (1980), p.41。
これらの存在や先の吸血鬼との混血児の吸血鬼退治、そして竜の子による竜退治の伝説を踏まえて、同氏はクルースニクも元来は異なる種族の守護霊同士での闘争が元だったのではないか、と考察している33栗原 成郎 (1980), p.41。
参考文献
- 栗原 成郎 (1980) 『スラヴ吸血鬼伝説考』、河出書房新社、ISBN 978-4-30920-035-4
- 森瀬 繚,靜川 龍宗(クロノスケープ) (2008) 『F-Files NO.006 図解 吸血鬼』、株式会社新紀元社、ISBN 978-4-77530-480-8
- 草野 巧 (1997) 『幻想動物事典』、株式会社新紀元社、ISBN 978-4-88317-283-2
- 健部 伸明, 怪兵隊 (1988) 『幻想世界の住人たち (Truth In Fantasy)』、株式会社新紀元社、ISBN 978-4-91514-685-5
- 柴 宜弘(監修), 伊東 孝之, 萩原 直, 直野 敦, 南塚 信吾 (2001) 『新訂増補 東欧を知る事典』、株式会社平凡社、ISBN 978-4-58212-630-3
- 松村 武雄 (1929) 『世界神話伝説大系34 セルビアの神話伝説』、株式会社名著普及会、ISBN 978-4-89551-265-7
- Woislav M. Petrovitch, Chedo Miyatovi (2020) 『Serbian Fairy Tales: Hero Tales and Legends of the Serbians』、Independently published、ISBN 979-8-60175-764-5