概要
1999年にスクウェア(現・スクウェア・エニックス)から発売されたゲーム『サガフロンティア2』に、武器アイテムとして「ブリムスラーヴス」と「リムストックス」という杖が登場する。
これらの名前の元ネタについて調査した結果、北欧で使用された「ルーン文字が刻まれた暦(以下、ルーン暦とする)」、 Primstaves, Rimstocks へ辿り着いた。
ただし、ルーン暦についての日本語の情報が少なく、「どのような法則に基づいた暦だったのか」「どのように使用されていたのか」等のいくつかの疑問は解消されなかった。そこで、それらについて調査した内容をまとめ、ここに記述する。
まずは、ルーン暦がいつ頃に使われたものかを説明し、大まかな材質や形状について述べる。
次に、ルーン暦が文献上で初めて記載された Olaus Magnus の例を初めとして、当時の知識階級にどのように捉えられていたか、背景となる潮流も多少交えてルーン暦の研究の歴史の冒頭部としてスウェーデンとデンマークの例に触れる。
これを踏まえた上で、ルーン暦の名称について取り上げる。特に Olaus Magnus によって取り上げられた経緯が、名称に影響を及ぼしていると考えられるためである。
名称によりある程度系統立てたところで、当時の人々がどのように使用されていたかについて言及する。
最後に、このルーン暦がどのような法則に基づいた暦だったかについて言及する。特に Primstaves の名称がこの法則と深く関わっているため、先に名称を取り上げ、後に法則を取り上げる形を採った。
末尾に少ないながら個別の情報を補足事項として記し、本稿を終えたい。
ルーン暦について
Primstaves や Rimstocks は北欧で使用された、ルーン文字が刻まれた暦である。
まずはこのルーン暦がどのようなものかについて説明したい。
ルーン暦は13世紀1Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.166.2Sven-Göran Hallonquist (2010)から17世紀3Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.166.4Sven-Göran Hallonquist (2010)、一部19世紀にかけて5Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.171.のデンマークやノルウェー、スウェーデン6Sven-Göran Hallonquist (2010)、ならびに、これらの地域に近接する場所としてフィンランド7Sven-Göran Hallonquist (2010)やエストニアの島嶼部8Sven-Göran Hallonquist (2010)、例えば Ösel (オーゼル)島(現 Saaremaa (サーレマー))島)9Carla Cucina (2016)等で使われた暦の一種である。
なお、この他にもイングランドに持ち込まれたり10Chetham’s Library (2022/10/8閲覧)、バチカン図書館に保存されているもの(サンプルナンバー14613)11Carla Cucina (2020)が現存している。
材質は木製で、四角柱の棒・杖の形をしているものが多い。ただし、材質は木の他には動物の骨や角を使用したものや、18世紀になると真鍮製のものが作られた場合もあるようだ。
形態も四角柱の棒の他に、剣12Sven-Göran Hallonquist (2010)や、複数の木の板を糸などで本のように束ねたタイプがある。先のバチカン図書館に保存されているものは、このうち後者のタイプに該当する13Carla Cucina (2020)。
上述のように多様な形態があるため、大きさ・長さに関する記述はあまり見られない。ただし、後述する Olaus Magnus (オラウス・マグヌス) の『Historia de Gentibvs Septentrionalibvs (北方民族文化誌)』では「人の背丈の長さ」と言及されている14Olaus Magnus、谷口 幸男訳 (2017), 上巻, p.108.。そのため、四角柱の棒のタイプでおおよそ数十cmから2m弱程度の範疇と思われるが、この点については現物やレプリカ等で確認してみたいところである。
歴史について
ルーン暦が普及し始めたのは13世紀頃と考えられ15Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.166.、現存する最古のものはスウェーデンの Nyköping (ニュヒェーピング) で発見されたもので、スウェーデン国内にあるルーン暦の数は1000程度と推定される16Tadeusz W. Lange (2010), p.95.。
しかしながら、多くのルーン暦は17~18世紀に作成されたもので17Tadeusz W. Lange (2010), p.95.18Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.167.、スウェーデンでは16~17世紀中頃によく使用されていた19Sven-Göran Hallonquist (2010)という。なお、17世紀中頃に起きた事象については本文最後に詳述する。
ただし、スウェーデンでは17世紀に入ると年鑑が発行されるようになったため利便性や信頼性の面からこうしたルーン暦の使用は減少していった20Sven-Göran Hallonquist (2010)21Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.171.。17世紀末には政府が復活を試みたが失敗、 Upper Siljan (Ovansiljan, シリヤン湖の北) は18世紀になっても使用され続けたが、それ以外は消滅したという22Sven-Göran Hallonquist (2010)。
この17世紀末の動きをもう少し詳しく見ると、 Uppsala (ウプサラ) 大学では教養のある人物のステータスとして17世紀末から装飾されたルーン暦が作られるようになった23Sven-Göran Hallonquist (2010)24Carla Cucina (2016), p.190.という。なお、こうしたルーン暦は剣の鞘や鉱夫の斧、歩行用の杖等に用いられた25Sven-Göran Hallonquist (2010)。
同じく Uppsala (ウプサラ) 大学の医学部教授 Olof Rudbeck (老ウーロフ・ルードゥベック) は著作『Atland eller Manheim (アトランティスとは祖国なり)』の中でルーン暦の「栄誉あるスウェーデン起源」について語ったことによる26Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.167.。これをきっかけとして、為政者が民衆にルーン暦の復活使用を熱心に働きかけた。
さらに国王顧問官 Carl D. Ehrenpreus (カール・D・エーレンプレーウス) が18世紀に改めてルーン暦の体系的な作成に着手することでルーン暦への関心を高めた27Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.167.。しかし、今日まで使用が続けられるに至らなかったのは先述の通りである。
スウェーデンのルーン暦
こうしたルーン暦を文献に初めて記録したのは亡命スウェーデン人の Olaus Magnus で、先の『Historia de Gentibvs Septentrionalibvs』(1555年発行)の中に記載されている28Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.166.29Carla Cucina (2016), p.188.。
Olaus は1490年にスウェーデンの Östergötland (エステルイェートランド) に生まれ、1557年に亡くなった30Olaus Magnus、谷口 幸男訳 (2017), 下巻, p.664-668.。 Olaus は裕福な家庭の出身で、兄 Johannes Magnus (ヨハンネス・マグヌス) は1523年に Uppsala のカトリック大司教に任命され、自身も兄亡き後1544年にカトリック大司教に任命された31ヒロ・ヒライ、小澤 実編 (2014), p.72-73.。
しかし、1523年に即位したスウェーデン国王 Gustav I (グスタフ一世, Gustav Eriksson Vasa (グスタフ・エリクソン・ヴァーサ)) は1526年にルター派の教義を認めたため、カトリック教徒であった兄弟は亡命を余儀なくされ、以降祖国スウェーデンの地を踏むことはなかった32Olaus Magnus、谷口 幸男訳 (2017), 下巻, p.664-668.33Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.186-188.。
『Historia de Gentibvs Septentrionalibvs』は Olaus が亡命中の1555年に発行した書物で、全22巻にも及ぶ当時の北欧の自然や生物、金属や鉱物、衣食住・家畜等の生活に関わる事項、風習・迷信、身分、軍事や兵法、教会の規則、神話の巨人や戦士といった広範な百科事典のような大著である。日本では谷口 幸男により訳されたものが、11巻ずつ、上・下巻にまとめた形で溪水社から出版されている。
これに先立ち、 Olaus は1539年に北欧の海図『Carta marina (カルタ・マリナ)』を発行しており、一方の兄 Johannes Magnus も『Gothorum Sveonumque historia』等の書物を著すなど、北欧にまつわる文献を残している。
これは当時のヨーロッパの北欧に対する認識が1000年以上前の地誌や民俗誌に基づいたものであったことや、人々に北欧の事項について質問されたことが執筆にあたる要因の一つになったと考えられる34Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.186-188.。
さて、ルーン暦はこの『Historia de Gentibvs Septentrionalibvs』の1巻34章に「[ルーン文字の彫られた]棒」として、また16巻20章「教会での祈りの仕方」に当時の人々がどう使っていたかが記されている。
まずは1巻34章「[ルーン文字の彫られた]棒」には、次のように記されている。
まだ書物のなかった大昔、どのような手段によって、月や太陽やほかの星の働きや影響を、今日では住民のほとんどが知っているように知るのかがわかる。その棒は人の背丈の長さで、両側面に一年の全部の週が彫られ、それぞれの週が七つのゴート(ルーン: 筆者註)文字を持ち、それにより、金色の数字と日曜日の文字(キリスト教受容後)が自国の言葉と文字とで区別されている。35Olaus Magnus、谷口 幸男訳 (2017), 上巻, p.108-110.
(中略)
実際民衆はそのような考察をし、年寄りから伝えられた天文学の知識や実際的な知識を前述の棒と文字で受け入れた。こうして不動のものとして受け入れられ、伝えられたものは、神聖な信仰[キリスト教]を受容したのちも、守りつづけられ、その結果、金色の数字、日曜日の文字、閏年、移動祝日、また月の満ち欠けまで、それがどんなもので、一〇年後、六百年後、千年後に、どうなるかを予言することができるほど熟練した農夫が見いだされるようになったのである。祭その他について、彼らは司祭とともに研究し、互いにたずね、答えを与え合う。その外、両親が未熟な息子を、さらに母が娘を、家庭で暇な時や教会に行く途中で教えるので、これらの技術についての教養と経験が日ごとに完全なものになる。というのも、その地方の古い習慣にしたがい、未熟な者は棒をつきながら、かなり離れたところの田舎の教会を訪れ、互いに出会うと、確実な計算によって来る年の性質を、ひょっとすると、ほかの投機的な知識や詐欺的な前兆にすがっている者よりも正しく判断するのが常だからである。その外、彼らは、すべての天の時計の針のように北極星を異常に熱心に観察する。それは同様に、彼らの親しい神々のしるしなのだが、大熊座あるいは熊座、金星の糸巻き竿と紡錘に対してもそうする。そしてそれらの性質を知ると、未来の出来事に非常に注意をはらい、自然は人間が誰でも無為ではなく、絶えず何か新しいことを学ぶか、見付けることにさらに力を尽すべく望んでいることを深く考える。36Olaus Magnus、谷口 幸男訳 (2017), 上巻, p.108-110.
次に、16巻20章「教会での祈りの仕方」の一文である。
(前略) そのほか、(第一巻、第三四章で述べたような)年棒あるいは暦棒を手にもつ。この棒により彼らは月の結合、対立、運行や移動祝祭日や固定祝祭日を教えたり、論じたり、たずねたり、推論したりする。彼らはまた日々のしるしを、本で明らかにされたのを読むように、経験により誤りなく説明したり、解釈する。37Olaus Magnus、谷口 幸男訳 (2017), 下巻, p.240-241.
さて、『Historia de Gentibvs Septentrionalibvs』を初めとして Magnus 兄弟が著した北欧に関する作品は北欧、とりわけスウェーデン人に対する当時のヨーロッパの人々の認知を進めた。また、これらの作品を契機としてスウェーデンにゴート・ルネサンスと呼ばれる思想が生まれた38ヒロ・ヒライ、小澤 実編 (2014), p.72-73.39小澤 実,ルーン文字の遍歴 1 (2022/10/9閲覧)。
ここでゴート、ゴート人について少し触れる。4世紀にローマへ侵入したゲルマン人の一派ゴート人の一部は、イタリア半島やイベリア半島に定住して各々の王国を築いた。6世紀の東ローマ帝国の歴史家 Jordanes (ヨルダネス) が歴史家 Cassiodorus (カッシオドルス) の記述を基に『Getica (ゲティカ)』の中でゴート人の起源は Scandza (スカンザ) という北方の「島」であると論じた40ヒロ・ヒライ、小澤 実編 (2014), p.72-73.。
これに端を発し、いつしかゴート人の出自とスカンディナヴィア半島を結び付ける考えが生まれた。その思想を印刷物として広く流布したのが Magnus 兄弟であり、兄弟はゴート・ルネサンスの創始者と言える41ヒロ・ヒライ、小澤 実編 (2014), p.72-73.。
そうした流れの中で、古代スカンディナヴィアのアイデンティティを支える要素としてルーン文字が取り上げられた42ヒロ・ヒライ、小澤 実編 (2014), p.72-73.。ルーン暦はこうした当時の思想の中で、ルーン文字が刻まれた独自のツールとして注目されたと考えられ、スウェーデンにおけるルーン暦の「発見」と「研究」はルーン文字そのものの研究と一体となって進んでいく。
初めてルーン暦を文献に記録したのが Olaus ならば、その様子を初めて完全に描いたのは Johannes Bureus (ヨハンネス・ブレーウス) (1568-1652) で、1599年に『ルーン文字総覧』を作成した。その図版の中で、左右の外側にスウェーデン各地の紋章が並び、その内側にルーン暦が垂直に描かれている43Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.166.。
この他にも Johannes Bureus はルーン文字に関する研究を続け、多くの著作を残した。その背景には、文字や言語の起源を探求することが民族のアイデンティティを確立するという当時の知的世界における潮流があった、ということを付記しておく44ヒロ・ヒライ、小澤 実編 (2014), p.74.。
デンマークのルーン暦
さて、スウェーデンでのルーン暦の研究は先に述べた通りだが、そのルーン暦について初めて本格的に取り扱った著作はデンマークの Ole Worm (オーレ・ヴォーム, ラテン語名 Olaus Wormius (オラウス・ウォルミウス)) (1588-1654) が1626年に発行した『Fasti Danici (デンマークの暦)』である45Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.166.46Carla Cucina (2016), p.189.。
ただし、デンマークは自らの起源を必ずしもスウェーデンのようにゴート人に結び付けて考えていたわけではない47ヒロ・ヒライ、小澤 実編 (2014), p.75-77.。
しかしながら、16世紀末に Jelling (イェリング)石碑が再発見されたことで、デンマーク国内におけるルーン研究のきっかけとなった48ヒロ・ヒライ、小澤 実編 (2014), p.75-77.49Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.190-191.。
(余談だが、イェリング石碑のうち小イェリング石碑はデンマークを統一した王 Harald Blåtand (ハーラル一世, 青歯王) が両親 Gorm (ゴーム) と Thyra (テューラ) を記念して建立したもので、 Harald Blåtand の通称「青歯王」は近距離無線通信規格の Bluetooth の語源となっている50bluetooth.com (2022/10/9閲覧)。また、ロゴも Harald Blåtand のルーン文字でのイニシャル ᚼ
(Hagall) と ᛒ
(Bjarkan) を組み合わせたものとなっている51bluetooth.com (2022/10/9閲覧)。)
Ole Worm はオランダに起源をもつ商人家系の市長の息子として1588年に Jylland (ユトランド)半島の Aarhus (オーフス)市に生まれ、13歳で留学し、ドイツ・フランス・イングランド等で医者を志した。その後1613年に帰国した Ole は Christian IV (クリスチャン四世) の宮廷侍医兼 København (コペンハーゲン)大学医学部教授としての職に就いた52ヒロ・ヒライ、小澤 実編 (2014), p.78-82.53Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.202-211.。
その後、 Ole はデンマークの国教だったルター派の宗教解釈と相容れない薔薇十字団の思想を激しく非難し、その一員だった Johannes Bureus と距離を置いてそのルーン研究を評価しない姿勢を取った54ヒロ・ヒライ、小澤 実編 (2014), p.78-82.55Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.202-211.。一方、 Ole はデンマーク国内を巡回医師として回っている間に古代遺跡やルーン石碑への興味を抱いたようである56Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.202-211.。
Ole はデンマーク王国各地の教区監督らに古遺物や古文書を探し出し、それらを模写するよう働きかけた。そして1622年には古代遺跡保存に関する勅命が発布されるに至った57Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.202-211.。この勅命により、当時デンマーク王国領だったノルウェーやスウェーデン南部からもルーン碑銘の情報や写生画が大量に集まることになった。一方で1623年にはアイスランドの学者らに協力を仰ぐ書簡を送った58Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.202-211.。こうした過程を経て、先述の通り1626年に『Fasti Danici』が発行されることになる。
なお、 Ole は古遺物研究も進めており、そうした古遺物を収集して陳列した部屋、いわゆる「驚異の部屋 (Wunderkammer (ヴンダーカマー), Kunstkammer(クンストカンマー))」も作成した。 Ole の「驚異の部屋」はオランダ Amsterdam (アムステルダム)で1655年に発行された『Museum Wormianum seu Historia rerum rariorum (ウォルミウスの博物館もしくは希少な事々の歴史)』というカタログによりその功績を窺い知ることができる59ヒロ・ヒライ、小澤 実編 (2014), p.78-82.。なお、この Ole の「驚異の部屋」は København の国立博物館の前身にもなっている60ヒロ・ヒライ、小澤 実編 (2014), p.78-82.。
この後 Ole はアイスランドで魔女裁判が拡がって協力者の援助が受けられくなる、 Johannes Bureus との軋轢を深める(晩年には後悔していたようだが)等の困難にも見舞われることになる61Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.202-211.。特に Johannes Bureus とはルーン文字の起源がスウェーデンにあるかデンマークにあるかについても対立し、論戦を繰り広げた62ヒロ・ヒライ、小澤 実編 (2014), p.78-82.63Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.202-211.。
名称について
ここまでルーン暦の使用されていた年代や文献・研究における歴史について述べた。これまでの経緯を踏まえて、漸くルーン暦の呼称について触れることとする。
ルーン暦は研究者や著作等によって様々に呼称されており、現在も筆者が調べた範囲ではルーン暦全般を Runic Calendar64Sven-Göran Hallonquist (2010)65Carla Cucina (2020) や Calandar Staves66Carla Cucina (2016), clog calendar67Tadeusz W. Lange (2010) 等と記述する例や、 Cloggs68Robert Plot (1686), p.418.69George Soane (1849), p.262. や Clog Almanack70Chetham’s Library (2022/10/8閲覧) という例も見受けられる。
そのルーン暦を文献で初めて取り扱ったのは先述の Olaus 、『Historia de Gentibvs Septentrionalibvs』であった。『Historia de Gentibvs Septentrionalibvs』はラテン語で記述されているため、ルーン暦もラテン語 Baculi Annales (Baculi: 棒・杖、 Annales: 年鑑。筆者註)と記載されることになった71Carla Cucina (2016), p.188.72George Soane (1849), p.262.73Robert Plot (1686), p.420.。
一方で、現代の論文ではスウェーデンのものを rimstav74Carla Cucina (2016), p.198., runstav75Tadeusz W. Lange (2010), p.93. とする記述が見える。これらはルーン(rim, run)の杖(stav)の意味と思われる。
ところで、デンマークに関しては Ole の『Fasti Danici』では Rimstock という記述が見える76Ole Worm (1643), p.9.。その他では、言語や単数・複数形による表記揺れの範疇であろうが、デンマークの人はルーン暦を Rimstocks77George Soane (1849), p.262.78Robert Plot (1686), p.419. や rimstocke79Shannon McCabe (2011), p.153. と呼んでいた、という記述も見受けられる。
なお、この名称は古代に Dominical Letters (主日字) が Runick Characters (ルーン文字) で表現されていただけでなく、 Rimur という言葉が古代にカレンダーを意味していたから、とされる 80Robert Plot (1686), p.419.。
また、ノルウェーのルーン暦は Primstav81Tadeusz W. Lange (2010), p.92., Primstaves82George Soane (1849), p.262.83Robert Plot (1686), p.419. と呼ばれていた、と記述されている。
Primstaves に類する呼称としては、スウェーデン Uppsala のプロテスタント教会初代大監督となった Laurentius Petri (ラウレンティス・ペートゥリ) (1499-1573) の弟・ Olavus Petri (オーラウス・ペートゥリ) (1492-1552) がルーン文字に関する小論文を書いた際に primstaven という記述をしていた84Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.189.り、
Swedish or Norwegian Primstaves
と『The Natural History of Stafford-shire』に記述されている85Robert Plot (1686), p.421.ため、スウェーデンでは Primstaves の呼称も用いられていたようだ。
この Prim(Prime) は後述の Golden Number (金色の数字)86George Soane (1849), p.262.87Robert Plot (1686), p.419. を意味(これは月の周期に関する88Robert Plot (1686), p.427.)する、あるいはラテン語で新月を意味する primatio lunae に由来するとされる89Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.189.。
これらをまとめると、次のようになるだろうか。
- Olaus の定義(文献上初めてルーン暦を取り扱った記述): Baculi Annales
- スウェーデン: Rimstav, Runstav, Primstaves, Primstaven
- デンマーク: Rimstock, Rimstocks, Rimstocke
- ノルウェー: Primstav, Primstaves
- その他: Cloggs, Clog Almanack, Runic Calendar, Calandar Staves, clog calendar
使い方
Olaus の『Historia de Gentibvs Septentrionalibvs』でルーン暦に関する記述を先に引用したが、それに拠ればルーン暦は教会に祈りに行く際等に屋外に持ち出されて司祭と共に暦を確認したり、家庭内でも親子で読み方や使い方を伝授していった様子が記録されている。
一方、ノルウェーの Primstav は、『The Scandinavian Clog Calendar at the Jagiellonian University Museum』に拠れば居間のドアの近くに吊るされ、そこで暦を読むようにしていた90Tadeusz W. Lange (2010), p.92.とのことで、地域や時代によって使い方が変化していったらしいことが窺える。
ルーン暦のルールについて
最後に、このルーン暦がどのような暦に基づいて作られていたかについて言及したい。
現存するものの多くが16~17世紀、18世紀にかけてのものであること、文献で初めて言及した Olaus が Uppsala のカトリック大司教であったこと等を考えると、現在見ることができるルーン暦の多くは、キリスト教が北欧諸国に受容された後に作られたものと考えられる。
その暦は Church calendar (教会暦) に基づくもの91Sven-Göran Hallonquist (2010)92Tadeusz W. Lange (2010)で万年暦であった。その上で、用途は多岐に及ぶものの、毎年の日曜日や祝祭日、その他重要な日付や新月の出現を捉えるために用いられた93Sven-Göran Hallonquist (2010)という。
教会暦は「ある日付で月相(月の満ち欠け)が一致する」周期が19年周期であるという Metonic cycle (メトン周期)の法則に基づいて成立していた94Carla Cucina (2016), p.188.95Tadeusz W. Lange (2010), p.93.96Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.167-170.97Tadeusz W. Lange (2010), p.94.。そこでこの19に基づき、キリスト教の復活祭を算出するために用いる「西暦年数に1を足して19で割った際の剰余」の数を Golden Number と呼んだ98Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.167-170.。 Primstaves の Prim は Golden Number に由来する、と軽く先で触れたが、肝心の Golden Number はこれを意味する。
『ルーン文字の世界 歴史・意味・解釈』ではルーン暦のルールを『Runakefli: Le Runic Rim-Stok, Ou Calendrier Runique, Auquel Est Ajoutée Une Ode Tirée de l’Edda Sæmundar, Appelée Thryms-Quida…』(Iens Wolff, 1820)を基に記述しており、その木版画に記されたルーン暦についてルールを簡単に記述する99Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.167-170.。
- ルーン暦は3行から成る
- 1行目はルーン文字で1年の全ての日を表しており、 Fuþark (フソルク、ルーン文字の並び。筆者註)の最初の7文字 (下「表1」参照) が52回(週)繰り返されている
- ただし 7*52=364で365日には1日足らないため、最後に1つだけ
ᚠ
を足して365日になる、かつ1年の最初と最後が同じ文字になるように調整していた - これらの文字は日曜日も示し、年が変わるごとに1つ前の文字になった。例えば、2018年は最初の日曜日が1月7日で
ᚼ
に当たると、翌年2019年は1月6日が日曜日でᚴ
、さらにその翌年2020年は1月5日でᚱ
に当たる、という具合 - ただし閏年では閏日の前後で日曜日の文字が切り替わった。例えば、閏年で
ᚢ
が1月の日曜日の文字であれば、閏日以降はᚠ
が日曜日の文字になった
- ただし 7*52=364で365日には1日足らないため、最後に1つだけ
- 2行目のルーン文字は上述の Golden Number が並ぶ。使用される19文字については下「表2」参照
- ただし、上述の計算に基づいて計算されるため、順番に並んでいるわけではない
- 当時のルーン文字は16文字しかなかったため、17~19番目の文字は既存文字を組み合わせて補填した
- 17番目の
ᛮ
はᛅ
とᛚ
を組み合わせた形 - 18番目の
ᛯ
はᛘ
を上下に重ねた形 - 19番目の
ᛰ
はᚦ
を左右に重ねた形
- 17番目の
- また、ルーン文字の並びと Golden Number の並びを比較すると、
ᛚ
とᛘ
の順番が入れ替わっている( Fuþark ではᛘ
が先でᛚ
が後)
- 3行目は絵図で、固定された祭日や教会暦中の祝祭日、日常生活の節目となる時季がシンボルで描かれた
- 例えば12月のクリスマス(北欧では元々はJul (ユール) の当時の祭り)には Jul の際に酒を飲む角杯が描かれている
- 2月5日は狩猟期の始まりで狩猟に用いる角笛、3月21日の犂は畑での犂耕作の開始日、という具合
順番 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
ルーン文字 | ᚠ | ᚢ | ᚦ | ᚨ | ᚱ | ᚴ | ᚼ |
ラテン語転写 | f | u | þ | ą,o | r | k | h |
順番 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ルーン文字 | ᚠ | ᚢ | ᚦ | ᚨ | ᚱ | ᚴ | ᚼ | ᚾ | ᛁ | ᛅ | ᛋ | ᛏ | ᛒ | ᛚ | ᛘ | ᛦ | ᛮ | ᛯ | ᛰ |
ラテン語転写 | f | u | þ | ą,o | r | k | h | n | i | a | s | t | b | l | m | R | – | – | – |
ただし、これはあくまで一例であり、構成が異なる場合もある。例えば、『THE RUNIC CALENDAR PROJECT』の中央3列目にある挿絵のルーン暦では次のような構成になっている100Sven-Göran Hallonquist (2010)。
- 1行目(左からで
F
の行): 祝祭日やその他の重要な日付 - 2行目(
S
の行): 日曜日を取りうる日(つまり、各日) - 3行目(
G
の行): 新月の日を決定するために使われるルーン文字(つまり Golden Number)
この他、ネットの検索でヒットする写真を見る限り必ずしも3行から成っているわけではなさそうではある。
補足
ここでいくつかの資料から補足事項として個別にもう少し掘り下げて情報を拾いたい。
まず『The Scandinavian Clog Calendar at the Jagiellonian University Museum』にノルウェーの Primstav について記載から見ていくと、 Primstav も基本的にルーン文字を各日に割り当て、祝祭日をシンボルで描くというルールは先述のものと変わらない。この Primstav についてはノルウェーにルター派の教義が入ってきても消えることなく使われ続けた、というのは他の地域のものと類似する101Tadeusz W. Lange (2010), p.92.。ただし、 Primstav は移動祝日には弱いという弱点を抱えていたようだ102Tadeusz W. Lange (2010), p.92.。
次に、『THE RUNIC CALENDAR PROJECT』では先述の Fuþark の7文字の繰り返しによる日付について、最後の1文字の ᚠ
をいくつかのルーン暦は追加していないことを報告している103Sven-Göran Hallonquist (2010)。この事実から、キリスト教が入る前にはこの364日で1年とする暦だったのかもしれない、と述べている104Sven-Göran Hallonquist (2010)。
再び『The Scandinavian Clog Calendar at the Jagiellonian University Museum』に戻る。いくつかのルーン暦は月の19年のメトン周期に基づくのではなく、28文字を使って28年間の太陽の周期に合わせたものもあるようだ105Enoksen, Lars Magnar、荒川訳 (2007), p.167-170.。最後に、スウェーデンでは教会暦に基づいたルーン暦が使われていたが、1753年にグレゴリオ暦の改革が行われたようである。これにより Paschal (復活祭) のサイクルが変更されたため、一晩で全てのルーン暦が使用できなくなってしまったという106Tadeusz W. Lange (2010), p.95.。
参考文献
- Enoksen, Lars Magnar (ラーシュ・マーグナル・エーノクセン)、荒川 明久 訳 (2007; 原著1998) 『ルーン文字の世界 歴史・意味・解釈』、国際語学社、ISBN 978-4-87731-359-3
- Sven-Göran Hallonquist (2010) 『THE RUNIC CALENDAR PROJECT』 (※PDF)
- Carla Cucina (2016) 『Runes in peripheral Swedish areas. The early ethnographic literature on calendar staves in the Baltic islands』 (※PDF)
- Clog Almanack | Chetham’s Library (2022/10/8閲覧)
- Carla Cucina (2020) 『A Runic Calendar in the Vatican Library』 (※PDF)
- Olaus Magnus、谷口 幸男訳 (2017 POD版; 原著1555) 『オラウス・マグヌス 北方民族文化誌 (上巻)』(Historia de Gentibvs Septentrionalibvs)、株式会社溪水社、ISBN 978-4-86327-400-6
- Olaus Magnus、谷口 幸男訳 (2017 POD版; 原著1555) 『オラウス・マグヌス 北方民族文化誌 (下巻)』(Historia de Gentibvs Septentrionalibvs)、株式会社溪水社、ISBN 978-4-86327-401-3
- Tadeusz W. Lange (2010) 『The Scandinavian Clog Calendar at the Jagiellonian University Museum』 (※PDF)
- 小澤 実 (2014) 『ゴート・ルネサンスとルーン学の成立 デンマークの事例』
- ヒロ・ヒライ、小澤 実編 (2014) 『知のミクロコスモス 中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー』、中央公論新社、ISBN 978-4-12004-595-0 より
- Robert Plot (1686) 『The Natural History of Stafford-shire』 (Google Books)
- Ole Worm (1626, リンクは1643版)『Fasti danici』 (Google Books)
- Shannon McCabe (2011) 『Anglo-Saxon Poetics in the Linguarum Veterum Septentrionalium Thesaurus Grammatico-Criticus et Archaelogicus of George Hickes: A Translation, Analysis, and Contextualization』 (※PDF)
- George Soane (1849) 『New curiosities of literature: and book of the months (vol.2)』
- Rune Staff Collection – Uppsala, Sweden – Atlas Obscura (2022/10/9閲覧)
- ルーン文字の遍歴 1 | 研究社 WEB マガジン Lingua リンガ (2022/10/9閲覧)
- Origin of the Name | Bluetooth® Technology Website (2022/10/9閲覧)
- Runic calendar – Wikipedia (2022/10/8閲覧)
- Primstav – Wikipedia (2022/10/10閲覧)
- フィンランドのルーン暦、1566(木)… (2022/10/10閲覧)
- Primstav Resources — Norse in Tucson (2022/10/10閲覧)