1. 鶏の神
鶏は古今東西で人間と関わりの深い動物の一つである。 例えば、古代ギリシャではプリニウス『博物誌』でB.C.371年にボイオティア人がスパルタ人に勝利した際に一晩中ときの声を上げたことでそれを予兆したといい、日本では『古事記』では天照大神が天岩戸に隠れた際に八百万の神々が常世の長鳴鳥を集めて鳴かせたという話が見える。 これらの例に見えるように、鶏といえばその鳴き声が特徴であろう。朝を迎えると共に雄鶏が鳴く様子から、夜明けを告げる神聖な鳥とされ、太陽神の信仰とも結び付いた。 先の『古事記』の神話も、その系譜といえるだろう。現在も伊勢神宮の内宮には神使として鶏がいる。 より身近なところで言えば、十二支の酉に宛がわれる動物、というところだろうか。 さて、そんな鶏の神様とされるのが、『鬼形獣』でステージ3のボスとして登場した庭渡 久侘歌である。容姿
やや黄色みを帯びた白い翼や尾羽、それと同じ色の髪、そして何より、前髪の一部が赤く、その中に黄色の雛鳥がいるという姿から鶏を連想することは難くない。特に前髪の一部が赤いのは雄鶏のトサカを模したものであろう。 服やスカートの白や茶色といったカラーリングも、鶏の羽毛の色に因んだものと考えられる。弾幕
カラーリングで言えば、久侘歌の通常弾幕にも触れておこう。 久侘歌の通常弾幕は、中ボス時、ボス時のいずれも白の小玉弾と黄色・赤色の米粒弾から形成される。 この弾幕のカラーリングも鶏(白い羽毛と赤いトサカ)、またはヒヨコ(黄色)から連想できるカラーリングである。 先述の通り、髪の毛・翼の色がやや黄色みを帯びていることから、ひょっとすると黄色と赤色が羽を模した米粒弾なのかもしれない。 仮にそうだとすると、白くて丸い弾は卵であろうか?名前
鶏に纏わる物語として、平安初期成立の歌物語『伊勢物語』十四に、陸奥の女が京の男と一夜を過ごしている途中で鶏が宵鳴きしたことで男が帰ろうとしてしまったため、女が夜も明けば 狐(きつ)に食(は)めなで くだかけの まだきに鳴きて せなをやりつると詠んだという話が見える。 この歌の「くだかけ」こそ鶏のことで、「朽鶏」や「腐鶏」といった文字でそう読ませている。 これは鶏を罵っての”腐れ鶏”といった蔑称だったのだが、室町時代には普通に鶏を指す語となり、江戸時代に入ると雅語として用いられるようになった[1]。「くだ」が朽ちる・腐るの意味で、「かけ」が鶏。この「かけ」は雄鶏の鳴き声に由来するものだという。 「久侘歌(くたか)」の名は、この「くだかけ」から濁音と最後の「け」を抜いたものと考えられる。 一方、「庭渡(にわたり)」という姓については後に詳述するが、今はひとまず音から鶏が容易に連想できる、という程度に留めておこう。 このように考えれば、久侘歌の名前は姓・名共に鶏を意味するもので、名は体を表すを地で行っているとも言えよう。 ちなみに、「にわとり」の呼称は古語の「庭つ鳥」に由来し、庭に放し飼いにしていたための名称だという(別の説では、丹羽鳥に由来するともいう[2])。
登場シーン
久侘歌が登場したステージ3は地獄の関所である。 一見、鶏と地獄は無関係なように見えるが、平安時代末期に描かれた『地獄草紙』という絵巻物には、その名も「鶏地獄」というものがある。 これは極楽浄土がいかに楽園かを説くために、対極の地獄を凄惨な世界だと示すために描かれたもののようである。 その中にこの「鶏地獄」がある。 鶏地獄では、口から炎を吐き、トサカや尾羽等所々が燃え盛る黄土色の雄鶏が翼を広げ、罪人たちを蹴散らす様子が描かれている。 この地獄はいさかいを好み、鳥獣など生きとし生けるものを困らせる者が落ちるとされ、先述の鶏に蹴散らされてずたずたになるのだという。 この地獄の例のように、鶏と地獄はあながち無関係とは言えず、久侘歌が登場したのはそうした所以もあったのかもしれない。鶏は十二支のうち酉に宛がわれる動物だと冒頭で記した。 酉といえば、東方では『茨歌仙』の第20話「間違いだらけの酉の市」で取り上げられた「酉の市」がある。 これは十一月の酉の日に行われる祭りで、日を十二支で割り当てることから月に2回、多い年は3回の酉の日がある。 それらを順番に「一の酉」、「二の酉」、「三の酉」と称してそれぞれ祭りを開催するが、一の酉が最も賑わい、また重要視されるという。 また「三の酉まである年は火事が多い」という俗信もあるが、これについては『茨歌仙』でも触れられている。 この酉の市が行われるのは鷲(おおとり)神社などの鳥に因んだ寺社であり、東京都でいえば主に浅草下谷(現・台東区千束)の鷲神社が賑わう他、花又村(現・足立区花畑)のものも知られる。 特に花又村の酉の市では
葛西花又村鷲大明神社(別当正覚院、世俗大とりといふ。参詣のもの鶏を納む、祭り終りて浅草寺観世音の堂前に放つ、境内にて竹把(くまで)栗餅芋魁(いもがしら)を售ふ、江戸より三里あり)。と、生きた鶏が献じられたということが江戸後期の風俗書『東都歳時記』に記されている。 また、明治43年の見聞録『さへずり草』の天保十五年の記事に
足立郡花又村なる土師の神へ詣づ。 (略) 帰路、龍泉寺なる鶏大明神へ至らむとするに、 (略)とある他、江戸中期の江戸地誌『江戸砂子』にも
鷲大明神、前集鶏大明神ト云、 (略)と記されており、共に鶏に結び付いていたことが窺える。
スペルカード背景
酉と鶏が結び付いて考えられている例として酉の市を紹介したが、鳥全般に目を向けてスペルカード発動中の背景にも触れておこう。 いくつもの文様がレイヤーとなって重なっており判別しづらいが、そのうちの一つに鳥が描かれているものがスペルカード発動中に開店している。 鳥のみに着目すれば、スペルカード発動直後に鳥の描かれている部分が下側となって時計回りに回転を始めるため、自機の周りに少し目を凝らせば気付きやすい。 これも鶏・鳥からの繋がりであろう。容姿2
酉と鶏との繋がりに戻ると、酉の市の他に十二神将との結び付きもある。 十二神将とは、薬師如来の眷属として- 『薬師経』を読誦する者を守護する
- 一昼夜を十二に分割した時刻、あるいは十二ヶ月、あるいは十二に分割した方位を守護する
コラム1. 不朽の曼珠沙華
『鬼形獣』のステージ3は彼岸であり、その名の通り一帯には彼岸花が咲き乱れている。 彼岸花はその独特の見た目からか、「死人花」や「幽霊花」などの多くの別名を持つ。 中には「地獄花」という、今作の舞台にピッタリの別名もある。 そうした多くの別名のうちの一つに、「曼珠沙華」がある。 曼珠沙華は本来、法華経で「摩訶 曼荼羅華 曼珠沙華」とあるように天上に咲く花の名前が彼岸花の別名の一つとなったものである。 ステージ3道中曲「不朽の曼珠沙華」はステージの様子に準えたものと考えられる。 また、ヒガンバナ料というグループとして俯瞰すると、アマリリスがこのグループに属す。 アマリリスは学術的にはヒガンバナ科Hippeastrum属に属する植物で、当初はAmaryllis属だったものがHoppeastrum属に移った。 本来のAmaryllis属に属していないのに園芸名でアマリリスと称されるのはこうした過程からである。 以上より、ステージ3のテロップで流れる英字「Lonely Amaryllis(一人ぼっちのアマリリス)」のアマリリスという語が登場したのは、この所以からと思われる。 さて、曲名に話を戻すと、曼珠沙華については先述した通りである。 不朽について注目すると、文字通りで行けば「朽ちることがない」ということになるが、「朽」という一文字に注目すると、つい先ほどその文字を見たばかりである。 「朽鶏(くだかけ)」。陸奥の女が宵鳴きした鶏を罵って言った呼称である。 不朽と言われれば、それを覆すことになる。 曼珠沙華はその赤色から、トサカを暗喩したものとも考えられなくはないだろうか。 もしそうであるならば、曲名は「朽ちることのないトサカ」といったところか。 名こそクタカであるが、「自分はやんごとなき鶏の神様である」と。こっそり、そんなアピールをしている気がするのは気のせいだろうか?2. ニワタリの神 ~ その存在と信仰
奥州には猶外の地方にてあまり聞かぬ神々あまたおはし候 (略) 其五はニワタリ権現に候 『石上問答』三〇「柳田より佐々木氏へ」東北地方には他の地域ではあまり聞かない神様がたくさんいると、柳田國男は書簡に認めている。 その中でいくつかの神様の名前を挙げる中の一つに、「ニワタリ神」がいる。 ニワタリ神といえば、『鬼形獣』の「omake.txt」で久侘歌の説明に
彼女の正体は家畜化される前の、野生の鶏の神様、ニワタリ神である。と記されている。 第一節で詳細を伏せたが、久侘歌について語る上でこのニワタリ神は避けて通ることのできない存在である。 そこで、ここから先はニワタリ神にフォーカスを当てて行こう。
ニワタリ神の名前について
ニワタリ神は上述の通り主に東北地方で信仰される神様だが、その性格は複雑である。 というのも、まず名前が一定しない。以下にニワタリ神と類される名前を列挙してみると、- ニワタリ(ニワタシ)
- ミワタリ(ミワタシ)
- オニワタリ
- ネワタリ
- ニワトリ、ケットリ
- ニワタリ(ニワタシ)
- 庭渡
- 庭足
- 庭垂
- 庭鳥
- 二渡
- 二羽足
- 二羽渡
- 荷渡
- 新渡
- 仁和多利
- 鶏足(ケイソクと読む場合もあり)
- ミワタリ(ミワタシ)
- 見渡
- 見当
- 三渡
- 三谷渡
- 三輪渡
- 三輪多理
- 宮渡
- 宮当
- 水渡
- 水雲
- 水分
- 海渡
- 御渡
- オニワタリ
- 鬼渡
- ネワタリ
- 根渡
- 根当
- 子渡
- ニワトリ、ケットリ
- 鶏
- 鶏鳥
- その他
- 樋渡(ヒワタシ)
- 冒頭に記述したように東北地方から北関東にかけて神社が分布している
- 現在、諏訪神社に対する諏訪大社や八幡宮に対する宇佐神宮のような総本社(大本となった神社)が見当たらない
- 祭神が一定しない。以下に祭神の例(一部)を記す
- 天村雲神・天水雲神・天御雲神
- 天水分神・国水分神
- 水波女神・水速女神
- 綿津見神
- 大己貴神
- 阿須波神・波比岐神(共に座摩神)
- 高皇産霊神
信仰
文字のバリエーションが豊富であり、かつ大本となる軸がないとなれば、その信仰の在り方は千変万化と言える。 それらは、上記のように当てられた文字から連想されるものが多いようだ。- 水神、ならびに治水・灌漑
- 祭神が天水分(アメノミクマリ)神・国水分(クニノミクマリ)神である場合が多く、祀られる場所も川から田圃へ水を引き入れる場所に祀られることから
- 水分(ミクマリ)は「水配り(ミクバリ)」ということ
- 水を「堰き」止める、ということから「セキの神」とも考えられる(後述)
- 祭神が天水分(アメノミクマリ)神・国水分(クニノミクマリ)神である場合が多く、祀られる場所も川から田圃へ水を引き入れる場所に祀られることから
- 水の上を渡る渡航安全
- 川を渡る地点に祀られる
- 水運で栄えた場所に祀られ、荷物を安全に運ぶ
- 「荷渡」
- 賊徒平定・鬼退治
- 坂上田村麻呂の東北平定、鬼退治伝承から
- 集落の中で最も眺めの良い小高い丘に祀られる
- 「見渡」
- 山の神
- 関の神
- 『延喜式』に載る伊波止和気神社(現・福島県石川郡)のイワトがニワトに変化し、それが伝わったとする[3]
- イワトワケは天石門別(アメノイワトワケ)神のことで、別名「櫛石窓神」「豊石窓神」ともいい、その名前の通り門戸の神であることから境界を守る神でもある
- 「セキの神」の一パターン(後述)
- 『延喜式』に載る伊波止和気神社(現・福島県石川郡)のイワトがニワトに変化し、それが伝わったとする[3]
- 百日咳の治癒
- 子供が百日咳でせき込んで苦しむ要素を、鶏が鳴きながら歩く様子に見立てて願掛けを行った
- 「セキの神」の一パターン(後述)
- 子供が百日咳でせき込んで苦しむ要素を、鶏が鳴きながら歩く様子に見立てて願掛けを行った
- 白河付近に山の名前としてニワタリ山というのがあり、それが本源であったと記憶している
- 元来は山の神ではないか
- ニワタリ神の祀られる場所は湧水地や天水場(雨水を水源とした田圃)等に祀られる例が多い
- 祭神が天水分神・国水分神や天村雲神など、水に纏わる神様が多い
当地は昔、海上運送の中継港として栄えたようであり、海運安全を願い、速川の瀬におられる瀬下津姫命を奉斎した。と記述されている[7]。
(栃木県岩舟町の荷渡神社、2019/5筆者撮影) 祭神について、先述の綿津見神を祀るのはこの水運か、航海安全に掛かるものと考えられる。 次に見渡という点においては、川口謙二編集『日本神祇由来事典』に言及があるが、一方の岩崎敏夫著『本邦小祠の研究』では
場所を見渡して鎮座したという例は少い。これは新しい変化だろう。と述べている[8]。 続いて関の神として伊波止和気神社のイワトが転訛したという説だが、これは谷川健一著の『失われた日本を求めて』に記述があり、土地柄から白河関との関連を指摘している。 また、鶏という点に着目すると、一節では紹介しなかった鶏の昔の別名として「ゆうつけどり」というものがある。 これは「夕告鳥」だとも言われるが、元々は都の四方の境で、木綿(ゆう)の紙垂を付けた鶏でお祓いの儀式を行ったために「木綿付鳥」に因むものだという。 このことから、鶏という要素にも境の守護にも関連があると言える。 続いて百日咳の信仰については各書に記述があるが、これは「子供が百日咳にかかり苦しむ様子と鶏が鳴きながら歩く姿が似ている」等と説明される他、後述のセキの音から咳に転じた信仰とも考えられる。 この事例については、特に岩崎敏夫氏の『東北民俗資料集(六)』の中の「三.宮城県の産育習俗」にある記述を取り上げたい。
百日咳 けっとりじゃふきと言って、にわとり神さんに願をかけると治る。ここ[9]でのけっとりは鶏鳥のことか。また、じゃふきは咳(しわぶ)きの転訛と思われる。この事例の他は
百日咳 横倉にあるにわとり権現から、おん鶏、めん鶏の絵を借りてくる。治ったら願戻しと言って借りた絵を倍にして御礼をする。という記述がある[10]。 これらのように、百日咳にかかったら「にわとり神」「にわとり権現」と呼ばれる神様に願をかけることが記されている。特に後者は鶏の絵を借りてくるということで、より鶏の要素が強く窺える。 この他にも
- 絵馬を借りてきて逆さに入口に貼り、水をかける
- 治れば山に鶏を放つ
さて、一覧の中で何度か「セキの神」と記述したが、これについては筆者が便宜上独自に付けたものである。 その意図としては、石の漢音がセキであり、その「セキ」の音を以て他のセキの信仰に関連するものと考えたためである。即ち、「堰」・「関」・「咳」である。 このように、
- セキの音から各自の文字の持つ信仰に繋がる
- そもそも、神様の名前が音も表記も揺らぎが存在し、多様なバリエーションを持つ
さて、ニワタリ神の起源についても多少記述しておくと、こちらもはっきりしない。ただ、ここまでで述べたように
- 白河付近にあった山の名前に因む(柳田國男著『石神問答』[12]等)
- 福島県田村郡周辺で祀られていた水神・灌漑の神の「ミワタリ」が広まった(岩崎敏夫著『本邦小祠の研究』等)
- 『延喜式』に載る伊波止和気神社(現・福島県石川郡)のイワトがニワトに変化し、それが伝わった(谷川健一著『失われた日本を求めて』[3])
- 綿津見神、瀬下津姫命: 水運、航海安全
- 大己貴神、須佐之男命: 大己貴神に関しては少彦名神と同様土地の開拓神としての神格からともされるが、一方で「根渡」の文字から、根の国の関連はあるか?また、大己貴神に関しては「子渡」の文字から、鼠との関連の可能性も考えられるか?
- 高皇産霊神: 栃木県大平町に鎮座する根渡神社の祭神が「剣根命」という神様で、『新撰姓氏録』に拠れば高魂命(高皇産霊神)の五世の裔孫とのこと。神名の「根」からとも考えられるが、高皇産霊神の系譜であることも考慮したい
- 伊邪那岐命・伊邪那美命: 「二渡」のように二という数字からか
- 天御中主神: 仏教の水天はヒンドゥー教の最高神ヴァルナに由来するとして、今日の水天宮では天御中主神が祭神とされる例が多い。この所以から、天御中主神を祭神とする例も水神関連の一種と見ることができるか?
(栃木県大平町の根渡神社、2019/5筆者撮影) なお、祭神については明治時代の神仏分離を経ていることから、参考程度に留めたい。
コラム2. ニワタリの名
柳田國男は『石神問答』の中で白河付近に山の名前としてニワタリ山があったと記憶している、と言及している。 現在このニワタリ山がどこにあったかは不明だが、西郷村社会科副読本 DATA BOOK-056/147pageに「庭渡山」という文字が見える。 この他にも、ニワタリという名前を2つ紹介したい。 1つは、福島県内で戦国時代頃に『大内能登領知判物』という書の中に春日・八幡・にわたり 三ヶ所の地という記述があるといい、現在の福島県本宮市(旧・中通り白沢村)辺りと推定される[13]。 もう1つは佐々木喜善著『江刺郡昔話』の冒頭の「岩手県江刺郡略図」の中に、「ニワタリ観音」という文字が見える[14]。 この江刺郡は現在の岩手県奥州市に当たる場所で、その土地にまつわる昔話を採集した中での図である。 現在もニワタリ神を祀る神社に関連して地名として残っている場合もあり、そうした場所を巡るのも一興と思われる。
3. ニワタリ神 ~ 久侘歌の源流を探る
さて、第2章でニワタリ神についてざっとご紹介したところで、いよいよ久侘歌にご登場願おう。能力: 「咳」
久侘歌の能力「喉の病気を癒す程度の能力」は、ニワタリ神の百日咳の信仰に由来するものと考えられる。 ニワタリ神の信仰は百日咳が主だが、他にもばひふの神様でじふてりやによいと『本邦小祠の研究』に採集されており[8]、地域によっては耳疾の治癒を祈るという例もある[8]ようだ。 これらの例を考えると多少の幅はありそうだが、基本的には百日咳をベースにしたものと思われる。
テーマ曲
久侘歌のテーマ曲「セラフィックチキン」について、曲コメントで鶏の歩き方っぽい突っかかり感と述べられているように、イントロから賑やかな曲である。 コメント通りの意図もさることながら、能力と併せて考えると面白い。 ちなみに、セラフィックは英語 seraphic で、元の語である seraph は9つある天使のヒエラルキーの頂点に位置する熾天使を表す。これより、 seraphic は「気高い、清らかな」といった意味を持つ。 チキンはもちろん chiken で鶏またはヒヨコのことだが、「臆病者」の俗語でもあり、この点について曲コメントで
食材か悪口にしかならない事が多いと言及されている。また、「omake.txt」の設定ではより直接的に
鶏というと弱々しさや、臆病さのイメージがあると記されている。これらを踏まえて、「臆病者」というマイナスイメージと、最高位の天使というプラスイメージの語句を噛み合わせたのが本曲「セラフィックチキン」といえよう。
二つ名、ステージ名、設定: 「関」
二つ名「地獄関所の番頭神」や、ステージ3の名称「鬼渡の関所」、また「omake.txt」に「関所の番人」とある設定など、久侘歌については関所というキーワードが散見され、道中での自己紹介のセリフでも言及されている。 この設定は、ニワタリ神の関所の神様としての性格に因むものであろう。 なお、二つ名の中にある「番頭」は「ばんとう」よりも「ばんがしら」の方が相応しいのではないか。これは、番頭(ばんがしら)が武家の番衆(番に当たる人)の隊長を意味する単語だからである。名前2
第1章の段階では「庭渡」の姓についてぼかしていたが、ニワタリという読みも、庭渡という文字も、ニワタリ神そのままである。 さらに一歩踏み込むのであれば、「庭渡」の文字は白河付近と関連がありそうなため、白河関も含めて、地獄の関所の番人という立ち位置を示すためにこの文字の姓となったのではないだろうか。スペルカード 鬼符「鬼渡の試練」 系
ステージ3の名称で「鬼渡」の語句が出てきたため、ここでスペルカードについても触れたい。 久侘歌のスペルカードは、閻魔様への相談を経て地獄へ行きたい人間(霊夢達)の腕前を試すという経緯を反映してか、ほぼ全て- ●符「〇〇の試練」(イージー・ノーマル)
- ●符「〇〇の上級試煉」(ハード)
- ●符「〇〇の極級試煉」(ルナティック)
伝承によれば坂上田村麻呂が東征の際この神に祈誓して賊を平定出来たというので帰途参拝、鬼神降伏を神の御蔭とし爾来鬼渡明神と称したという。と記述されている[8]。この他、館の鬼門に当たる場所に祀られていた神社を鬼渡明神と改称した例も見える[8]。 弾幕としては、久侘歌の周りに出現した鬼火を倒すとカウンターのように自機狙いの炎弾が一定時間発射される。この鬼火と炎弾の列を鬼が渡る様子に準えたものと考えられる。
スペルカード 水符「水配りの試練」 系、設定
順番が前後してしまったが、次は最初に使用されるスペルカード 水符「水配りの試練」 系について述べたい。 これはニワタリ神の中でも、特に『本邦小祠の研究』で詳述される灌漑・用水の水神としての性格に因むもので、祭神としては天水分神・国水分神が連想されるものであろう。 弾幕としては、『星蓮船』の村紗 水蜜の弾幕で登場した菱形の水滴弾であり、ここからも水の繋がりであることが窺える。 また、「omake.txt」に記載される設定で鬼と人間を見分けて、それぞれの居場所に振り分ける仕事をしている。という一文が見えるが、この「振り分ける」という仕事もニワタリ神のこの性格に因むものかもしれない。
スペルカード 光符「見渡の試練」 系、設定
最後のスペルカードは、 光符「見渡の試練」 系である。 ニワタリ神の中では、やはり『本邦小祠の研究』に宮城県遠田郡南郷村の見渡は、坂上田村麻呂が賊を追ってここに来り、遥かに見渡したところと伝える。とある[8]。 この例のように、見渡しの良い場所に祀られる例に因んだものであろう。 弾幕としては、左手を上げてレーザーを画面下端に照射し、その接地部分から弾が発生するというもので、左手から照射されるレーザーが、辺りを見渡す眼光を表すものと考えられる。 この点については、「omake.txt」の設定で
普段は妖怪の山の滝の上あたりの、見晴らしの良いところに住んでいるようである。と久侘歌の居住について触れる一文にも表れているだろう。
コラム3. 鶏と水
鶏に関する俗信として、「鶏が騒ぐと雨」(福井県)、「鶏が夜まで餌をあさると翌日は雨」(各地)というように、天気を予知するものがある[15]。 水死人を探すために、舟に鶏を乗せるというものがあると谷川健一著『日本民俗文化資料集成 第十二巻』に記されている。これに拠ると、水死人の沈んでいる場所の真上を通ると鶏が鳴くという。これは、雪崩のときにも行われるらしい[16]。 また、『石神問答』で佐々木喜善から柳田國男への書簡では、遠野地方でかつて箱に入れた鶏を水底に沈めて水神を祀り、鶏を生き埋めにして堤防工事を完成させたという話を紹介している[17]。 これらの例のように、鶏と水は無関係ではなかったようだ。さらに言えば、水死人を探す話や箱に入れて水底に沈める話は死とも関わってくる。 さらに推し進めるならば、こうした生贄的な属性や、古くから人間に飼育され様々に用いられてきたという歴史から、久侘歌の礼儀正しく公正で、平等と利他を優先する神様である。という「omake.txt」の設定が出てきたのかもしれない。
後書き
以上、3章にわたり久侘歌の諸要素について考察を行った。 総じて、久侘歌のベースにあるのは「鶏」と「ニワタリ神」の2つであり、特に後者から様々な属性を派生させていったのではないかと考えられる。 一方で、それらの諸要素をキャラクターとして形にするZUN氏の手腕に改めて脱帽である。 本稿が読者の久侘歌の二次創作の糧となっていただければ幸いである。脚注
- 『日本鳥名由来辞典』 p.151
- 『世界大博物図鑑 第4巻 鳥類』 p.120
- 『失われた日本を求めて』 p.20
- 『本邦小祠の研究』 p.236
- 上同 p.245
- 『栃木県神社誌 神乃森 人の道』 p.244
- 上同 p.802
- 『本邦小祠の研究』 p.243
- 『東北民俗資料集(六)』 p.80
- 上同 p.82
- 『本邦小祠の研究』 p.242
- 『定本 柳田國男全集第十二巻』「石神問答」 p.129
- 『角川日本地名大辞典 7 福島県』 ページ不詳
- 『日本民俗誌大系 第9巻 東北』 p.182
- 『世界大博物図鑑 第4巻 鳥類』 p.128
- 『日本民俗文化資料集成 第十二巻』 p.77
- 『定本 柳田國男全集第十二巻』「石神問答」 p.132
出典
- 『東方鬼形獣 ~ Wily Beast and Weakest Creature. 体験版0.01a』 上海アリス幻樂団、2019/5/5
参考
- Radical Discovery – 東方鬼形獣 博麗霊夢 オオカミ霊 セリフ集、他鬼形獣セリフ集
- 『定本 柳田國男全集第十二巻』 柳田 國男著、筑摩書房、S.42第六刷
- 『本邦小祠の研究』 岩崎 敏夫著、株式会社名著出版、S.52復刻版二刷
- 『東北民俗資料集(六)』(「三.宮城県の産育習俗」大槻 良子著) 岩崎 敏夫編、萬葉堂書店、S.52
- 『日本神祇由来事典』 川口 謙二編集、柏書房株式会社、1993
- 『失われた日本を求めて』 谷川 健一著、青土社、1983
- 『ものと人間の文化史 49・鶏』 山口 健児著、財団法人法政大学出版局、1983
- 『東北の民間信仰』 三浦 貞栄治・石井 彪・猪狩 文治・江口 文四郎・三崎 一夫・五十嵐 勇作著、株式会社明玄書房、S.48
- 『子の神・子の権現について考える ―庶民の心の故郷を尋ねて―』 神戸 治夫著・発行、2008
- 『続編/子の神・子の権現について考える ―その特質とルーツの探求―』 神戸 治夫著・発行、2018
- 『改訂綜合日本民俗語彙 第三巻』 財団法人民俗学研究所・株式会社平凡社編著、株式会社平凡社、S.52第二版
- 『全国石佛石神大事典』 中山 慧照著、大竹 信宜編集、株式会社リッチマインド、1990
- 『日本神名辞典』 神社新報社、H.7第二版
- 『栃木県神社誌 神乃森 人の道』 栃木県神社庁編集発行、H.18
- 『図説 日本鳥名由来辞典』 菅原 浩・柿澤 亮三編著、柏書房株式会社、1993
- 『世界大博物図鑑 第4巻 鳥類』 荒俣 宏著、株式会社石津製本所、1992初版第13刷
- 『日本民俗文化資料集成 第十二巻』 谷川 健一著、株式会社三一書房、1993
- 『十二支と十二獣』 大場 磐雄著、株式会社北隆館、1996
- 『仏教文化事典』 金岡 秀友・柳川 啓一監修、株式会社佼成出版社、H.1初版第二刷
- 『例文 仏教語大辞典』 石田 瑞磨著、小学館、1997
- 『仏教民俗辞典』 仏教民俗学会編著、株式会社新人物往来社、1993
- 『江戸の庶民生活・行事事典』 渡辺 信一郎著、渡辺製本株式会社、2000
- 『日本名所風俗図会 3 江戸の巻I』 朝倉 治彦編集、株式会社角川書店、S.54
- 『日本まつりと年中行事事典』 倉林 正次編、株式会社桜楓社、S.58
- 西郷村社会科副読本 DATA BOOK-056/147page
- 『角川日本地名大辞典 7 福島県』 「角川日本地名大辞典」編纂委員会・竹内 理三編者、株式会社角川書店、S.56
- 『日本民俗誌大系 第9巻 東北』(「江刺郡昔話」佐々木 喜善著) 今野 圓輔・近藤 喜一・佐々木 喜善・田中 喜多見・山口 弥一郎・内田 邦彦著、株式会社角川書店、1975再版
- 『図説 花と樹の事典』 木村 陽二郎監修、植物文化研究会+雅麗編、柏書房株式会社、2005
- 『現色 図譜 園芸植物 露地編』 浅山 英一・太田 洋愛・二口 善雄著、株式会社平凡社、1977
- 『学研 現代新国語辞典 改訂新版』 金田一 春彦著、株式会社学習研究社、1997
- 『古語林』 林 巨樹・安藤 千鶴子編、株式会社大修館、1997
- 『ジーニアス英和辞典 第3版』 小西 友七・南出 康世編集主幹、株式会社大修館書店、2003