1節.その名前とスペルカード名、曲名
先程考察した秋 静葉の妹、秋 穣子。姉が紅葉を司る神であったのに対し、穣子は豊穣を司る。
これは、秋という季節の二面性をよく表していると思う。秋は先程も述べたが、冬の手前の時期に当たる。故に木々は冬支度として葉を落とすし、植物全体を見ても、この時期に子孫を残す為に種子を落とすものが多い。
そして、それらの植物は、種子が冬を越して春に芽吹く事が出来るように養分を豊富に含んだ果実の中に種子を含むものが多い。
それを人間は食料とした。つまり、人間にとって秋は食糧が豊富な時期でもある。故に、秋は終焉と同時に豊穣と稔りの季節であると言う事ができるだろう。
穣子の名の”穣”は豊穣の穣であるし、二つ名「豊かさと稔りの象徴」の示す通りである。
故に、”姉妹で秋を司る”という事も納得できる。
では、穣子の使うスペルカードについて見てゆこう。
秋符「オータムスカイ」
秋符「秋の空と乙女の心」
豊符「オヲトシハーベスター」
豊作「穀物神の約束」
- オータム…Autumn(秋)
- スカイ…Sky(空)
- ハーベスター…Harvester(刈り取り機、刈り取り人)
秋符系は共に文字通り、秋の様子を表すのであろう。
オータムスカイはそのまま”秋の空”、秋の空と乙女の心、とは諺”女心と秋の空”のもじりであると考えられる。女心と秋の天候、両方共に変わりやすいものの例えとして用いられる。
幾度も軌道を変化させる弾幕と、秋の空模様をかけたものと思われる。
秋符系が穣子が秋を司る事を象徴するならば、豊符系はより具体的に穣子の性格を表しているといえる。
オヲトシとは大年神(オオトシガミ)の事を指すのであろう。大年神は他にも大歳神や太歳神等とも表記される。また、民俗信仰上では年神、年徳神とも呼ばれ、同一視される(3節余談其の1で述べる)が、ここでは”大年神”で統一させて頂く。
大年神はスサノオノミコトの御子であり、稲の実りを司る神である。名前の”年”も稲等の穀物を表すとされる。また、大年神は何処からか人里にやって来るという伝承を備えており、穀物や豊穣を司る・人里に他の場所からやってくるという点で穣子の性格と非常によく似ている。
上位の穀物神の約束とは、こういった穀物を司る神との豊作の約束であろう。
穣子は、収穫祭のとき人間の里に招待されている事からもこのスペルカードの意味が理解できよう。
また、穣子戦のBGM、「稲田姫様に叱られるから」の「稲田姫」とは、スサノオノミコトの妃とされる女神で、かの有名な、八岐大蛇の神話に登場する。
稲田姫神は、スサノオノミコトが天より地上に下ったとき、丁度、八岐大蛇に生贄として差し出される所であった。そこでスサノオノミコトが八岐大蛇を退治し、妃として迎えるという大筋であるが、この稲田姫神は文字通り、稲田を司る女神である。
ここからも、穣子の豊穣の神としての性格が窺える。
2節.その原像
上述の通り、穣子は”豊穣”のイメージで統一されている。
帽子に乗った葡萄、スカートに描かれた稲等、細かい所にもそのイメージはふんだんに盛り込まれている。霊夢曰く、生焼き芋の香りを漂わせているのもその表れであろう。
このように、穣子の衣装は自身の性格を見事に表しているのだ。
しかし、穣子の性格をよく表しているのは服装だけに留まらないと筆者は考えている。
その為にある事項について触れておきたいと思う。但し、考察という観点からである。
『風神録』のプレイ中、幾人かの人間が気付いた事がある。それは何箇所かのサイトでも取り上げられている事でもある。ある種のバグであるという話も聞く。穣子の立ち絵についてである。
――穣子の足は、両方とも左足?
そう、穣子の立ち絵の足の指についての論である。
体験版の頃からこれは指摘されていた事であり、製品版でも立ち絵に修正が加わる事は無かった。
もしかしたら、意図的に変更しなかったのではないか。筆者は、そう考えて調査を行い、ある論に至った。以下にその論を記そう。
『風神録』のラスボスや、その周辺のモチーフになっているのは言うまでも無く諏訪である。これは神奈子戦の曲名やその名前、諏訪子の名前などから自明である。
その諏訪が存在するのは長野県だが…この地には、ある民俗的な信仰があるという。
それは、”作神(さくがみ)”である。
稲作を司る神様で、地方によってはさくのかみ、さいばいさま、或いは農神(のうがみ)などとも呼ばれる他、”土着的な稲作の神”という分類をするならばその信仰自体は長野だけではなく、全国的に見られる。しかし、ここではその全容をなぞる事が目的ではないので割愛させて頂く。
この作神の信仰であるが、長野県では、案山子(かかし)が作神の体現した姿と考え、10月10日には外から家の中に入れて祀ったり、供物を捧げるという行事があったという(「案山子上げ」等と呼ばれるそうだ)。残念ながら現在はこの信仰も薄れているそうだが…。
案山子は周知の通り、実りを結んだ稲の穂を食べる鳥獣を寄せ付けないようにする為に人を模して作られた人形である。そして、その足は一本の木の棒である。
筆者が述べたいのは、穣子はこの作神、というより案山子をモチーフに取り込んでいるのではないか、という事である。
つまり、”両足とも左足”ではなく、”足が一本である事の見立て”という事である。
案山子に体現される作神(稲作の神)を通し、豊穣の神であるという性格をより強く示す為に、あえてそう描かれたのではないだろうか?と。
また、作神は穣子と同じように山から降りてきて、田を護る神であるという。何より、両者共に(稲作の)豊穣を司るという性格である。
なお、この信仰の分布は北側に集中している為、(南よりに諏訪が位置する事から)もしかしたら直接の関連は薄いのかもしれない。しかし、上に挙げた共通点から、筆者にはどうも全くの無関係とは思えないのだ。
’08/1/20 追記
この”案山子”であるが、その語源は『民俗の事典』によれば、”かがし”、即ちいやな臭いのするものをかがせて鳥獣を追い払うものであったという。毛髪やぼろ服・魚肉や獣皮などを焼いたものをくしに挟んで畑に立てたものをかがしと呼ぶ地域もあるそうだ。
ここで、穣子と霊夢が対峙した時の台詞を思い浮かべてもらいたい。
神様たる物、身に纏う香りも気を付けないと
あ、ちなみに私は豊穣の神ね
これは劇中にて、霊夢が良い匂いがすると言った後の件の中にある台詞だ。
何故この時、霊夢は匂いに対して言葉を発したのか…それは霊夢からすれば、単に良い臭いがしたからという事なのであろうが、それは同時に、プレイヤーが匂いに対して注意を払うようスポットを当てていると言う事にもなる。
“穣子は生焼き芋の香りを纏っている”
これは、上と同じ場面の件から窺える穣子の要素である。穣子と言えば芋、というくらい読者のイメージの中で両者は未設に結びついていると思う。
ここで、”芋の香り”をさせているのは豊穣の神としての性格を表すものであろう。一方で、そもそもの”臭いを発する”という要素は、この「かかし←かがし」から来ているのではないだろうか?
また、上同の資料に拠れば、かがしに対する一方で上述のような人形を模したものをオドシ・シメなどという場合があるという。
どちらも鳥獣を追い払い、田畑を守るという役目を担うものである。そして、(後者の人の形を模したものでは)それには時として豊作を司る”作神”が宿るという。
ここには、穣子との多くの接点を見出せるのは上述の通りである。豊穣の神であり、山から降りてきて田畑を守るという一種の来訪神である…。
とすれば、穣子は上の両者の性質を担っているといえそうである。即ち、人の形を模して一本足で立ち、その容貌で鳥獣を追い払う所謂案山子と、臭いを発して鳥獣を追い払うかがし。
それが、この節の最初に述べた立ち絵に要素として反映されているのではなかろうか?
さて、以下ではまた違った観点から穣子を見て行きたいと思う。
1節で筆者は姉妹で秋を司るという事についてさっと記したが、何故、姉が紅葉で妹が豊穣なのか、という疑念を抱いた方はいらっしゃるだろうか?
姉が紅葉、即ち生命の終わりの様子を司り、妹が豊穣、即ち生命の栄える様子を司る。
筆者は、それは所謂”地母神”、或いは”太女神”のモチーフがあるからではないかと考える。
“地母神”とは、大地に宿る女神で、地上の動植物を生み出したとされる神である。つまりは”万物の母”という表現をそのまま具現化した女神なのである。
このような”地母神”は、原始的な信仰に多く見られるといわれる。つまり、自然の諸現象について人間が明確な区分を持っていなかったような状態であろう。故に、万物を生み出すと同時に、その対となる生命の終焉・死の世界も司っていたとされ、その力は強大である。
この女神の考え方は洋の東西を問わず、世界的に見られる。また、歴史的にも、先史時代にまで遡るほど古い女神である。
そして、この女神の役割は区分され、多く(特に西洋で)3女神として表されるようになった。例えば美の3女神や、ギリシャ神話のヘラ・アフロディーテ・アルテミスの3神がこの役割を持つとされる。
ここで筆者が言いたいのは、地母神の性格が分化したこの3女神を変形させて具現化したのが秋姉妹ではないか、という事である。
美の3女神や上に挙げた女神達は、一番年上の女神が死を司り、以下年が下って生命の生誕や成長を司るという様に役割に法則がある。
これに従うと、姉が生命の終わりを、妹が生命の成長を司るという構図に法則が見出せるのである。
3節.余談
ここでは上とはまた別の角度で、穣子について考察したいと思う。正直な所、その内容は他のキャラクターと密接に関ったりするので「穣子についての考察」の枠では収まりきらない事項が集められている。
また、その事項を逐一説明すると文章自体がかなりの量になる恐れがあるので、ここではこのページの一番下に記す参考文献の類を当たって初めてお目にかかるような単語を使用させて頂く事を予め断っておく。
なので、難易度的には今までよりも高めだが、もし興味があるならば、読んで頂きたいと思う。
~余談其の1.
さて、穣子は収穫祭のとき、人間の里に招待されており、大年神もこれと同様に人里に姿を現すいう伝承が伝わっているという事は先程上の1節で少し触れた通りである。それについて、もう少し詳しく掘り下げてみようと思う。
そこで大年神の去来に関る伝承を見る事になる。その伝承の多くは、以下のように語られる。
大晦日の夜に、貧しい身なりの客人が宿を求めて人の家を訪ねてくる。親切な家人がその客を家に泊める。翌朝になってみるとその客人の姿は無く、代わりに金銭が残されていた。その金銭で、その家の人は豊かになったという。
類似の話は、客人が大年神の他、法師であったり色々と変化していたようだが、多くは”大晦日に客人が来る”という筋書きのようである。
その話の起源は、大年神を祀る由来を語るものや、民俗上の人間に年を授けに来るという年神として大年神が語られた、などがある。
しかしここで重要なのは、大年神は”異界”からやってくるという性格を持つという事である。2節で触れた作神も、同じように山から降りてきて稲田に宿る神である。
この”異界”というキーワードはかなり深いもので、『風神録』に限らず、多くのキャラクター(『風神録』では雛や文…というかほぼ全員?)に絡んでくる要素なので、ここではその全てを語ることは出来ないだろう。
簡潔に述べると、”異界”とは”この世ではない世界”であり、冥界や常世国ともされたりする世界である。そして、”異界”と設定される場所は大抵、人が踏み入れられないような場所であった。
例えば、川を挟んだ対岸(橋の向こう側)であったり、集落の外れから他の場所に通じる道の先…峠の向こう側。そして、山である。
作神はこの山から人里に降りてくる。大年神と同じように、異界からの訪問者なのである。そして、穣子もまた然りである。
こういった山に住む”山の神”と、稲田を司る”田の神”の関連をいち早く指摘したのが、日本の民俗学上著名な柳田 国男氏である。ここでは文章量的に多くは語れないので、もし”山の神”、”田の神”の関連に興味があれば、彼が著した書や関連書物を一読して頂きたいと思う。
~余談其の2.
2節では作神について触れた。この作神は案山子に宿るとされ、穣子の姿はその案山子を投影したものであるかもしれないという言及も上の通りである。
さて、話は少し変わるが、日本の神話を語る上で重要な文献、『古事記』にも実は”案山子の神”は存在する。
その名を、久延毘古(くえびこ)という。その登場する場面は、以下の通りである。
大国主命が国造りをする途中、海の向こうから舟に乗ってやって来る小さな神がいた。大国主命の周りにいる者は誰も、この神の正体を知らない。困っている所に、多邇具久(たにぐく)という神が「久延毘古ならば知っているであろう」と進言した。久延毘古は天下の事を全て知っていると言われていたので、急遽呼ばれたのである。
久延毘古はこの小さな神を見て、その正体が少那毘古名神である事、その母が神産巣日神である事を大国主命に教えた。そして、神産巣日神の進言を得て大国主命と少那毘古名神は義兄弟の契りを交わし、共に国造りを行ったという。
さて、上の神話で登場する多邇具久は、久延毘古の旧知として描かれている。その正体は、ヒキガエルの神であるという。
蛙と案山子、両者共に稲田に深く関るものである為、関連付けられたらしい。
しかし、我々は”蛙の神”と聞いたらピンとくるものがあるだろう(尤も、多邇具久と洩矢神は直接は無関係ではあるのだが)。
また、作神については別名に”さくじん”というのもある。
一方で、諏訪子の司るミシャグジ神も、多数の別名が存在する。ミシャグジ、ミサクチ、社宮神…シャクジンなど。
…お気付きだろうか?ミシャグジ神の別名の一つである”シャクジン”と、”さくじん”は非常に音が似ている事に。そして、実際両者が混同された事例もあるらしい。
ミシャグジ神は土着の神様で、かなり古い時代から信仰されていた。その基盤は、2節で述べたような”地母神”の性格も含んでいるという説もある。同時に、諏訪地方での生命の生死や諸々の自然現象も司る。無論、その中には農作も司るという性格もある。故に、名前だけでなく、農作を司るというその性格についても共通点が見られる。
…実は、こんな意外な所で、意外な事に、穣子は諏訪子と繋がっていたのである。
~余談其の3.
1節で挙げた稲田姫神。その両親たる神について、上の余談其の2.の補足的位置づけとして興味深いものを紹介しよう。
稲田姫神の両親は、手名槌・足名槌の2神であるという。
明治の神仏分離等の中で、地方の土地古来の神が廃されるという流れがあった。これにより、仏や菩薩を祀っていた社は寺に変わったり、『古事記』や『日本書紀』に記される神を祭神に変えたり、或いは上のどちらも出来ずに消えて行ったりした。
土着の神を祭る神社も同じように、『古事記』や『日本書紀』に載る神に祭神を変える事があった。
諏訪で古来より信仰されていた、手長神社・足長神社もそうである。名前からお判り頂けるように、諏訪子のスペルカード 土着神「手長足長さま」の元である。
そして、この両社が新しく祭神としたのが、上の手名槌・足名槌両神だという。
…やはり、穣子と諏訪子は繋がっているのか?
― 出典 ―
- 『東方風神録 ~Mountain of Faith.』 上海アリス幻樂団製作 2007
― 参考文献 ―
- 『日本神祇由来事典』 川口 謙二編集 柏書房株式会社 1993
- 『「日本の神様」がよくわかる本』 戸部 民史著 PHP研究所 2004
- 『民俗の事典』 大間知篤三ら編集 岩崎美術社 1972
- 『日本民俗宗教事典』 佐々木 宏幹ら監修 三秀社 1998
- 『文様の事典』 岡登 貞治著 東京堂出版 S.43
- 『イメージ・シンボル大事典』 アド・ド・フリース著 訳者代表・山下 圭一郎 大修館書店 1984
- その他無料辞書サイト・諸国語辞典など