“九天の滝”とは、『東方風神録』Stage4のテロップに出現する名称である。
他のテロップを見る限り(妖怪の樹海、未踏の渓谷など)、これは現Stageの場所の名称を指していると見て間違いないであろう。
では、この”九天の滝”という名称は一体どういった由来で命名されたものなのであろうか?今回は、この疑問に対して小考察を行おうと思う。
その上で確認してきたい事は、幻想郷における命名手段である。
『東方求聞史紀』によれば、幻想郷の地理は決して広くないらしい。大きな山は妖怪の山しか存在せず、山と言えばそのまま妖怪の山を指す、といった具合である。
また、妖怪の山の妖怪は排他的社会であり、外部のものが侵入すれば、忽ち総出で排斥にかかるという性質がある。
これから察するに、天狗や河童が棲んでいるにせよ、幾つも似たような景観・物事が存在しない限り妖怪の山の内部の様子に逐一名前が付いているとは考えにくい。
とすれば、”九天の滝”という名称は固有名詞という意味合いよりも、滝を”九天”という単語の意味によって形容している、といったニュアンスの方が近いと筆者には思われる。これは、他の景観の名称からも窺えると思う(”妖怪の山”や”未踏の渓谷”など)。
妖怪の山に立ち入った霊夢と魔理沙。
Stage3、”未踏の渓谷”と称された流れを遡った先にこの滝が聳えている事は周知の通りである。
背景から、Stage4の道中はずっとこの滝を遡っているであろう事は容易に窺える。しかし、Stage4のボス直前の烏の群れの出現と時を同じくして背景は暗転する。
そして、射命丸 文の出現と同時に画面は一転し、眼前に夕焼けに染まった金色の空と山脈を見る事ができる。
山影が大きく上下の二段に分かれている上にその互いの間に夕焼けの色が反射している事、この後の展開から察するに、山間には湖が湛えられているのであろうか?また、仮にそうだとすれば、この滝は湖の水が流れ落ちていると考える事ができる。
ラスボス・八坂 神奈子の二つ名が”山坂と湖の権化”である事から、水を以ってして、一種彼女への伏線となっている可能性も考えられる。これはいずれ八坂 神奈子について考察する機会があれば、この事も考慮に入れる必要があるだろう。
また、滝は急激な高低差によって、水の流れが直下に近い角度で落下するものというイメージからすれば、山と密接に関っている事はお判り頂けると思う。ここから、山坂というもう片方のキーワードも導き出せる。
さて、山は日本の信仰の中で重要な役割を担っている。
これは、山を御神体とする神々の数が多い事や、後の修験道や密教と関連して山が神聖なる場所とされた事等からも窺い知る事ができる。
そして、滝もまた然りである。
滝を神が宿る御神体として祀ったり、水の浄化の力から、穢れを祓い清める場所として重要視された。また、天より水が降り注いでいるという点から旱魃の際に雨乞いの儀式を執り行う場所でもあった。
即ち、滝はその豪快さ、或いはその神秘性から古より崇拝の対象となったという性格を持っているのである。
豪快さ、或いは神秘性という二面性についてはStage4道中BGM、”フォールオブフォール ~秋めく滝”のコメントにも記されている通りであろう。なお、曲名は”Fall”に”秋”と”滝”の二つの意味がある事からの命名と考えられる。
さて、滝について大まかに見たところで、本題に向かいたいと思う。滝を形容する、”九天”という語は何を意味するのか、である。
九天(きゅうてん)とは、主に以下の二つの意味を有する。
- 八方向と中央、合せて九つの方向の天空。
- 九重(ここのえ)に重なった天空。また、その最上部の最も高い天空を指す事もある。
ここで、上述2.の後者の意味より派生して宮中の事を九天と称する場合もあるが、ここでは関係ないと思われるので省略する。
また、1.についても関連が薄いと思われるので同様に省略する。この他、仏教系の用語として九天(くてん)と読み用いる場合もあるが、これも特筆すべき接点が見当たらない。
とすれば、残るのは2.の場合である。この内、”最も高い天空”という意義に関して、以下のような記事がある。
攻撃に巧みな者は、九天から見渡すように敵の行動を手に取るように見て、それに応じて行動する
『孫子』(孫武、中国の春秋時代末期)より
これはおそらく、”天空の最も高い場所から俯瞰するように敵の行動を見て、相手の動きに応じてこちらが行動する”という事であろう。
相手の行動を全て見通し、読み取る鋭い眼力と洞察力。そして、それに対応する柔軟な機転。
これは、奇しくも犬走 椛の能力”千里先まで見通す程度の能力”、また、
簡単な攻撃で威嚇し、
それでも手に余るようだったら大天狗様まで報告に戻る
『風神録キャラ設定.txt』より
という椛の対応に重ね合わせる事ができる。残念ながらこの記述のみからでは犬走 椛・白狼天狗との関連は未詳であるが、白狼天狗との関連を含ませているのかもしれない。
一方で、以下のような記述もある。
飛流直下 三千尺、疑うらくは是れ銀河の九天より落つるかと
『詩(李白、望廬(ろ)山瀑布)』より
即ち、「飛ぶ流れが真っ直ぐ下に三千尺も落ちている。まるで天の川が天空の頂上から落ちているようである。」という事である。
天の川が山を通じて、そのまま地上に落下するようだと詠じたのだから、おそらくよほど大きな滝であったのであろう。
また、この詩から転じて”九天直下”という言い回しがある(急転直下とは別)。これはそのまま、天上からまっさかさまに地上に落下する事を意味し、滝の水が落ちる事の形容である。
さて、ここで最初の筆者の意見を思い出して頂きたい。幻想郷における名称の由来である。
幻想郷での特徴的な対象物は、何らかの形容的表現+名詞というニュアンスが強い。
これより、”九天”とは天の川が地上に落ちるかのようなほどの規模を表す形容であり、”九天の滝”とは、特別な固有名詞ではなく、単に”天を貫くほど巨大な大瀑布”という意味合いで用いられる呼称であるというのが直接的な意味でありつつ、その裏(メタ的な意味)で、白狼天狗・犬走 椛との関連も匂わせた名前だったのではないだろうか。
― 出典 ―
- 『東方風神録 ~ Mountain of Faith.』 上海アリス幻樂団製作 2007
- 『東方求聞史紀 ~ Perfect Memento in Strict Sence.』 ZUN著 一迅社出版2007
― 参考文献 ―
- 『中国神話伝説辞典』 袁珂著 ・鈴木 博訳 株式会社大修館 1999
- 『日本民俗大辞典 下』 福田 アジオら編集 吉川弘文館 2000
- 『全訳 漢辞林』 戸川 芳郎監修 佐藤 進・濱口 富士雄編 株式会社三省堂 2002
- 『広辞苑 第五版』 新村 出著 岩波書店 1998
- 『例文 仏教語大辞典』 石田 瑞磨著 小学館 1997