射命丸 文補考 ― 塞の神の系譜 ―

塞(さえ(さい))の神、道祖神、道陸神、岐神(くなど(ふなど)のかみ)、衢神(ちまたのかみ)…今記した神々の名は、”塞の神”と同一視され、習合している神である。

第2節で述べたように、これらの神は射命丸 文との関連が深い。

それは、天狗の祖ともいわれる猿田彦神が『古事記』、『日本書紀』といった神話の中において天の八衢という辻道で天孫・瓊瓊杵尊を迎え先導したが故に、道の神として猿田彦神と塞の神が結びついた為である。

さて、既述した名前の数からも窺えるように、多くの神々を習合した塞の神であるが、元々、塞の神や道祖神といった神は別の存在だったと考えられる。

それが、道や辻、境界といった要素に関わる神として同一視されていったのだという。

ここでは、塞の神を始めとする、道に纏わる神々を軽くではあるが、個別に見てゆきたいと思う。

まずは、塞の神である。

塞の神は主に辻道や村境に祀られていることが多い。ここでいう村境とは、一概に行政上の集落と集落の間の境界を意味しているわけではない。

より、集落に住む人間にとって意識されやすい心理的なもので、それは人が住む家々もまばらになった集落の外れに設定されることが多い。

それが明確に見える形(川や山坂、分かれ道など)であると行政上の境目になることも多いが。

こうした、人が住む集落から一歩外れた場所は、人の存在する世界(現世)と、その外側…即ち、人ならざるものが棲む世界(異界)との境界にも見立てられた。

それ故か、伝承や昔話で鬼などの妖怪や幽霊が出現する場所は、橋の袂や峠道、人のいない集落の外れなど、先述したような現世と異界の境界線上に出現することが多い。

同時に、この境界線は異界から現世に入り込む門戸である為、人の世界に災いをもたらすような悪霊の侵入経路とも考えられた。

だからこそ、その門戸の門番となる存在を祀り、災いが自分達に及ばないように祈った。

塞の神の”塞”とは、”堰く”ということで”防塞・堰き止める”という意味を持つ。一説には、”境”そのものの意味であるともいう。

つまり、塞の神は境界に立ち、先述したような異界から災いをもたらす存在の侵入を防ぐという役割を担っているのである。

疫神送りや虫送りといった、災いをもたらす存在を村の外に追い出す祭事の終着点が、多くの場合この塞の神の鎮座するような場所に設定されていることもある。

次に、塞の神の別名として広く膾炙している道祖神を見たい。

その名については、『和名類聚抄』に

道祖 和名佐倍乃加美

と記されるように”道祖”の名があり、”サエノカミ”と訓じられている。これより、道祖神と塞の神は古くから同一視されていたことが窺える。しかし、その起源は必ずしも同一とはいえないようだ。

道祖神の石碑(一例)

“道祖神”という名は、後に”道祖”のみでは”サエノカミ”と訓ずることが難しくなったので後ろに神の字を加えた、村境において旅立つ人間の無事を願って供物を”祖神(祖先の霊を神として祀ったもの)”に供える風習から”道祖”と”祖神”が結びついて”道祖神”となった、などと考えられている。

或いは、道祖神のルーツは古代中国の黄帝の息子に準えるという説もあるようだ。

この黄帝の子は旅を好み、旅中に亡くなったといい、以来行路の神、旅の神として崇められたらしい。こうした要素から、道祖神は塞の神のように悪霊の侵入を防ぐのではなく、旅や道の守護神としての神格が強かったと考えられる。それが、祀られる場所の類似などから次第に習合していったという。

今まで民間信仰上の神を見てきたが、『古事記』や『日本書紀』といった神話の中で道や境界線に関連する神といえば、岐神(衝立船戸神(つきたてふなどのかみ))が挙げられる。

この神は第2節でも述べたように、伊邪那岐命が禊を行った際にその持ち物であった杖から化生した、或いは黄泉国の追手から逃れる為に投げた杖から化生したと伝えられている。

その名の”クナド”は”来るな”の意味であると解釈されることもあるように、この神も塞の神のような防塞の神格を持っていると考えられる。

そして、岐神は『日本書紀』では布津主神を案内したといわれ、猿田彦神と同一視される。

猿田彦神は天の八衢にいたというところから、衢神と呼ばれることもある。

ところで、『道饗祭祝詞』では、衢神について、八衢比古(やちまたひこ)と八衢比売(やちまたひめ)という二神の名を挙げ、男女二神としている。

この他にも神話・民間信仰を問わず道や境界線に携わる神は多い。

この点から、古来より人々が道や境界といった場所・概念を注視してきたかが窺える。

ある者は異界との境界に在って悪霊の侵入を防ぎ、またある者は旅や道を守護するといったように、その性格も複雑である。

こうした神は冒頭でも述べたように、辻道などの境界線の近くに祀られることが多い。その御神体は、小さな石祠であったり、”道祖神”の文字や神の像(男女二神であったりもする)が刻まれた石碑、或いは丸石などの自然石(或いは自然に近い石)の場合もある。

一部の道祖神は木製の札や像を祀る場合もあるというが、概ね石を御神体とする場合が多い。

このように、石の姿で体現される神は、神話にも登場する。中で、伊邪那岐命が黄泉国で伊邪那美命の姿を見たことでこの二神が黄泉比良坂で”千引石(ちびきいし)”を挟んで口論するという場面があるが、ここでいう”千引石”は『日本書紀』一書では”千人所引磐石(ちびきいわ)”とあり、その意味は千人がかりでも引くことのできない大岩のことであるというのが
通説となっている。

さて、この場面で登場する千引石であるが、『日本書紀』の別の一書では

黄泉門塞大神(よみとさえのおおかみ)也、またの名を道返大神(みちかえしのおおかみ)と名く

とある。先述した名を見て頂ければ判るように、岩によって表された神に”塞大神”という名が付けられている。ここに、塞の神と石との関連が見出せる。

なお、”道返大神”の名は『古事記』にも見える。伊邪那岐命と伊邪那美命は口論の末、伊邪那美命は黄泉国へと帰ってゆく。そうして伊邪那美命を帰したことから”道返大神”という名になった、と『古事記』では記されている。

この黄泉国との境目にあって黄泉国から来た伊邪那美命を追い返した、という性格からも、塞の神との関連が見出せるだろう。

ちなみに、『古事記』では”道返大神”について、”塞坐黄泉戸大神(さやりますよみどのおおかみ)”ともいう、と記されている。

古くから、奇妙な形や色、模様があるなどの特異な特徴を持った石は神の依代であると考えられてきており、それは塞の神だけには止まらない。

しかし、そうした石に対する信仰は塞の神と密接に関係しているということもまた事実のようである。

― 出典 ―

  • 『東方風神録 ~ Mountain of Faith.』 上海アリス幻樂団製作 2007

― 参考文献 ―

  • 『日本神祇由来事典』 川口 謙二編集 柏書房株式会社 1993
  • 『「日本の神様」がよくわかる本』 戸部 民史著 PHP研究所 2004
  • 『すぐわかる 日本の神々 聖地・神像・祭りで読み解く』 鎌田 東二監修 株式会社東京美術 2005
  • 『日本民俗宗教事典』 佐々木 宏幹ら監修 三秀社 1998
  • 『日本民俗大辞典 上』 福田 アジオら編集 吉川弘文館 2000
  • 『日本民俗大辞典 下』 福田 アジオら編集 吉川弘文館 2000
  • 『精選 日本民俗辞典』 福田 アジオら編集 株式会社吉川弘文館 2006
  • 『日本民俗語大辞典』 石上 堅著 桜楓社 S.58
  • 『民俗の事典』 大間知篤三ら編集 岩崎美術社 1972
  • 『神話伝説辞典』 朝倉 治彦・井之口 章次ら編集 株式会社東京堂出版 S.38
  • 『日本伝奇伝説大事典』 乾 真己ら編集 角川書店 S.61
  • 『日本妖怪博物館』 株式会社新紀元社 Truth In Fantasy編集部・弦巻 由美子編 戸部 民夫・草野 巧著 株式会社新紀元社 1994

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