文が緋想天(体験版)で用いるスペルカードは、以下の通りである。
- 魔獣「鎌鼬ベーリング」
- 風符「天狗道の開風」
- 旋符「紅葉旋風」
- 突風「猿田彦の先導」
- 逆風「人間禁制の道」
- 竜巻「天孫降臨の道しるべ」
礎となるのは、文の能力「風を操る程度の能力」であろう。それ故にその全てが風に関係する名称である。
“風”をベースとして、その上に積み上げられているイメージを分割すると、おおよそ以下の二つに分けられるであろう。
- “天狗”系
- “猿田彦神”系
“天狗”系とは、天狗の名を冠する諸々の不可思議現象に準えてネーミングされたスペルカードを、”猿田彦神”系とは、猿田彦神に関連したネーミングがなされたスペルカードをそう呼ぶものとする。
例えば、風符「天狗道の開風」と逆風「人間禁制の道」が天狗系、突風「猿田彦の先導」と竜巻「天孫降臨の道しるべ」が猿田彦神系とする。ただし、旋符「紅葉旋風」は若干、天狗系のイメージを含むと思われる。
なお、魔獣「鎌鼬ベーリング」に関しては、直接上に当てはまらないのでその他という事になるが…
魔獣「鎌鼬ベーリング」
風の刃を己に纏うスペルカード。
鎌鼬とは、鋭利な鎌のような爪を持つ、鼬のような妖怪であるという。姿は見えず、時折人を襲い、皮膚に切り傷を付けるとされる。主に近畿~中部地方に多く伝承するようだが、そんなにマイナーな存在ではないと思われるので、馴染みがある方もいらっしゃる事であろう。
場合によっては三匹一組で、”最初の者が人を倒し、次の者が斬りつけ、最後の者が傷口に薬を塗りこむ”という風に伝えられている場合もある。傷口の割りに出血がそれ程多くない・痛みが無いという現象が上のような理由で説明される事もある。
その原因については完全には解明されていないが、古の人々も風のせいと感付いてはいたらしく、つむじ風に関連付けられた。
ベーリングは、文が風の刃を自分自身にまとう為動詞の”Veil” +ing(ベールで覆い隠している)、或いは名詞の”Veiling”(ベールで覆う事)
と思われるが、つまるところ「鎌鼬というベールで自分を覆い隠す」という意味で良かろう。
風符「天狗道の開風」
つむじ風の弾丸を一直線に飛ばすスペルカード。
“天狗(の)道”は、不思議な現象が起きる道筋の事を指すとのこと。天狗が通る道であるから、不可思議な現象が起きても可笑しくはない、というような事であろうか。
確かに、文の眼前に突如つむじ風が発生する様子は、人間にしては不可思議現象であろう。
旋符「紅葉旋風」
眼前に巨大なつむじ風を発生させて、敵を遥か上空まで吹き飛ばすスペルカード。
紅葉は羽団扇の事を指すのか。天狗はその手に羽団扇を持ち、これを以って風を起こすと古来より伝えられている。それは無論東方の世界でも変わらない(『求聞史紀』の文の項を参照)。
また、つむじ風の事を”天狗風”という(時として、高所からいきなり吹き付ける不気味なものに限定する事もあるようだ)。
これは天狗と風が結び付けられた事例であるが、文の起こす風はつむじ風や竜巻といった”渦巻く風”を体現する事が多いのは、おそらくこの由縁からであろう。
突風「猿田彦の先導」
これは名称のそのままの意味であろう。
猿田彦とは、『古事記』や『日本書紀』において「天孫降臨」の場面に登場する神である。この内容は稗田阿求・考察、第3章でも概要を述べたが、今一度説明させて頂く。
天照大神の孫、瓊瓊杵尊が高天原より天降る途中に眩い光を発し、鼻が異様に長い神がいた。この神に誰も近付けない中、天鈿女命のみが呪力を持って対峙してその正体を明かす。そして、天孫(=瓊瓊杵尊)を迎えに来たと己がその場に居た理由も問いだす事に成功する。その後、猿田彦神はその言葉通り天孫一行を無事地上まで送り届けた。
故に猿田彦神は「先導」の神とされる。と、上の神話から「猿田彦の先導」のネーミングの由来がお判り頂けるであろう。己が突風の如く突進するのは、”先導”の体現か。
どちらかというと切り込み隊長のような感がしてしまうのは気のせいであろうか…。
逆風「人間禁制の道」
相手に向かって強風を起こし、飛んできた大礫をぶつけるスペルカード。
巨大な岩さえも吹き飛ばしてしまうとは、天狗が起こす風の凄まじさを見せ付けられるスペルカードである。
“人間禁制”とは、天狗が棲むとされる山は人が立ち入るべき場所ではないというイメージからか(これについては秋 穣子・考察2-3、余談其の1にて「山は異界とされる」と述べた事と関連する)。
昔、山というのは現在よりも遥かにある種において閉ざされた世界であった。
物理的に人が滅多に踏み入れる事はできないという事もあるが、死んでいった先祖の霊魂が集う場所という風にも考えられた為である。いわば、山とは一種の”この世ならぬ世界”であったとされる。
さらに加えて、農耕によって生活してきた民は山を神聖視した。上のように先祖の魂が集う場所、という考えもあるが、のみならず山は生活に必需である水を”川”という水脈によってもたらす、かけがえのない存在であった。無論、その水が稲作に用いられていた事はいうまでも無い。
また、狩猟をする民にとっても山は諸々の動物が住まう場所で、動物は山の神の所有物とされた。その為、山に入る前には麓の祠に祈ったり、山の中では俗界と切り離された世界であるという意識から、俗界とは違う言葉(”山言葉”と称されるような特別な言葉)を用いるなど、山が特別視されていた例を挙げると暇がない。
このような日本の民の山に関する観念から、”人間禁制”という言葉が生じると筆者には思われる。そして、その山に棲む妖怪の中で代表的な存在が天狗である。
一方、”道”というのは”天狗道”の事であろうか。確かに巨大な岩が降ってくれば摩訶不思議この上ないが(”道”に関しては文が用いるという事でもう一つ可能性が導き出せるが…それはここで語るとおそらくかなりの分量になるので記すのはやめておく)。
また、岩が降ってくるというモチーフは、”天狗礫”からであろう。これはその名の通り、山中で突如として礫・岩が降ってくる事をこう呼ぶものである。これが天狗の仕業とされたのだ。
07/12/15 追記
「人間禁制」という言葉について。天狗が中世頃の思想に強く影響を受けている事から、とある考えが浮かんだので追記させてもらう。
現在一般に我々が思い付く天狗の姿は、山岳信仰(山を神聖なるものとして崇拝する信仰)や修験道からの影響を強く影響を受けた存在である。故に、山と深く関係する存在であるし、仏教の影響も多分に受けている。
一方、中世の頃の仏教では、”女人禁制”という制度があった。それは、”女性が宗教的な聖地や祭礼に立ち入る事を禁ずる”というものであった。
仏教が元々男性色が強い宗教である事も一因であるのだが、日本では古来より、”穢れ”を強く嫌うという民俗観念があった。特に流血に関する忌諱は強く、出産などで血を流す女性は”穢れ”るという考えがあったのである。
特に仏教流入後その考えが強まり、上述のような理由もあいまって男性が寺院で台頭するようになった。それに伴い、この”女人禁制”という考えが生じたと考えられている。
「人間禁制」という言葉は、この”女人禁制”を、文が天狗である事から女性ではなく人間全体に対象を拡大したものではなかろうか?
竜巻「天孫降臨の道しるべ」
自身を中心として巨大な竜巻を発生させるスペルカード、
これは 突風「猿田彦の先導」 で述べたように、猿田彦神が登場する神話からのネーミングである。
詳しくは同上のスペルカードを参照。道しるべというのは、己がその導を示すという事か。
原典では眩い光を放っていたが…これだけ大きな竜巻を纏っていれば、普通は誰も近寄れないだろう。
なお、緋想天の文のスペルカードは全てにおいて風を用いたものとなっているが、これは緋想天の時間軸が風神録より後に設定された為、神奈子を信仰する事で風を操る力が増幅されたのかもしれない。
― 出典 ―
- 『東方緋想天 ~ Scarlet Weather Rhapsody.(体験版)』 上海アリス幻樂団/黄昏フロンティア 2007
- 『東方求聞史紀 ~ Perfect Memento in Strict Sence.』 ZUN著 一迅社出版 2007
― 参考文献 ―
- 『図説 日本未確認生物事典』 世間 良彦著 柏美術出版社 1994
- 『よくわかる「世界の幻獣(モンスター)」事典』 「世界の幻獣」を研究する会著 株式会社廣済堂 2007
- 『日本伝奇伝説大事典』 乾 真己ら編集 角川書店 S.61
- 『風の名前』 高橋 順子、 佐藤 秀明著 株式会社小学館 2002
- 『すぐわかる 日本の神々 聖地・神像・祭りで読み解く』 鎌田 東二監修 株式会社東京美術 2005
- 『神話伝説辞典』 朝倉 治彦・井之口 章次ら編集 株式会社東京堂出版 S.38
- 『Exite.辞書』 他 諸々の英語・国語辞書 等