小野塚 小町雑考 死歌「八重霧の渡し」について

小野塚 小町が『東方文花帖 ~ Shoot the Bullet.』、また『東方緋想天 ~ Scarlet Weather Rhapsody.』で行使するスペルカードの中に、死歌「八重霧の渡し」がある。今回はこのスペルカードについて見てみたいと思う。

名称の中にある八重霧とは、幾重にも立ち込める霧のことである。

『東方求聞史紀 ~ Perfect Memento in Strict Sense.』の三途の河の記述に拠れば、

川は深い霧に覆われ、昼も夜もない。

とあることから、八重霧とは三途の河の深い霧を表すものではないかと考えられる。

一方、渡しは渡りとも呼ばれ、船などを用いて川や谷、海といった水の上を渡る場所のことをいう。

本スペルカードは小町が三途の河の船頭であることを踏まえると、三途の河の渡しを指しているものであると考えられよう。ところでこのような渡しは、橋の設置が困難で、その為に対岸に渡ることが難しい場合において様々な渡し方が考案されてきた。

その一種として船による渡しがあり、船頭の操る渡し船が用いられたという。

このような船による渡しの中で、東京近郊でも現在まで残されている渡しが存在する。それが、江戸川を挟んだ東京都葛飾区柴又と千葉県松戸市下矢切とを結ぶ”矢切の渡し”である。

本スペルカードと名称が類似しており、本スペルカードのモチーフであると考えられるものである。加えて、後述するが矢切の渡しは同名の曲が歌われており、小野小町や小野篁といった平安時代の歌人をモチーフにした小野塚 小町とは歌という点でも関連が見出せる。

スペルカードに冠された死歌の文字は平安時代の歌人をモチーフにしている、ということで詩歌(詩と歌、漢詩と和歌。韻文の総称)のもじりか、または三途の河で歌われる歌、のようなニュアンスも含むと思われる。

なお、この矢切の渡しは、現在東京近郊に残されている唯一の渡しである。

『東葛飾区誌』に拠れば、この矢切の渡しには上矢切の渡しと下矢切の渡しが見えるが、現在運行されているものは下矢切の渡しを受け継いだものであるようだ。

その開始は今より約三八〇年昔、江戸時代初期頃といわれる。なお、江戸幕府の方針で江戸周辺の河川に架橋することが許されなかったという。

この矢切の渡しを歌ったものとして、「矢切の渡し」が存在する。何度か違う人の手によって歌われたというが、その中でも著名なものは、歌:細川たかし、作詞:石本美由起、作曲:船村徹(敬称略)によるものであろうか。同曲昭和五八(一九八三)年に発売されたもので、あらすじとしては男女が駆け落ちし、矢切の渡しを渡るというもののようである。

また余談ではあるが、矢切周辺は戦国期の北条氏、里見氏の国府台合戦の際の古戦場でもあり、加えて伊藤左千夫著『野菊の墓』の舞台にもなったことでも知られるという。

以上のように、名称の類似や歌という関連などから、この矢切の渡しが死歌「八重霧の渡し」のモチーフであったのではないかと考えられる。

なお、矢切の渡しについては筆者が訪問した際の記録より下に写真を掲載する。

― 出典 ―

  • 『東方文花帖 ~ Shoot the Bullet.』 上海アリス幻樂団製作 2005
  • 『東方緋想天 ~ Scarlet Weather Rhapsody.』 上海アリス幻樂団/黄昏フロンティア 2008
  • 『東方求聞史紀 ~ Perfect Memento in Strict Sense.』 ZUN著 一迅社出版 2007

― 参考文献 ―

  • 『民俗の事典』 大間知篤三ら編集 岩崎美術社 1972
  • 『角川日本地名大辞典 12 千葉県』 「角川日本地名大辞典」編纂委員会・竹内 理三編者 株式会社 角川書店 S.59
  • 『角川日本地名大辞典 13 東京都』 「角川日本地名大辞典」編纂委員会・竹内 理三編者 株式会社 角川書店 S.53
  • 『千葉大百科事典』 千葉日報社編集 千葉日報社 S.57
  • 『ふるさとの文化遺産 郷土資料事典12千葉県』 齋藤 建夫編 株式会社ゼンリン 1997
  • 『愛すべき名歌たち 岩波新書(新赤本)625』 阿久 悠著 株式会社岩波書店 1999
  • 『広辞苑 第六版』 新村 出著 岩波書店 2008

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