初版: ’09 2/1
今回は重めになったので別項にて取り上げたいと思う。
境内の神社の木々
霊夢や魔理沙曰く、これらは人工的に後から植えられたもので、霊夢曰くその目的は”何処からが境内なのかを明示するため”。
神社が壊れた
緋想天でのストーリー。
もともと大木に囲まれた場所が特別な場所…
これについては神社の成立などの要素が絡んでくると思われるので、以下順に沿って取り上げたいと思う。
まず、古代の日本において神を祭祀するに当たって、元々社殿は常設されるものではなかったという。
当初、神は一定の時季になると天上や海の彼方などから来訪するもので、祭りの間のみ一時的な祭場を設けて祭ったとされる。
この際、神が降臨の目印とするものが神の依代である古木や巨岩、湧き水などであり、それを中心に仮の祭場が形成された。
そのような祭場としては、
磐座(いわくら)[1]、磐境(いわさか)[2]、或いは神籬(ひもろき)などといったものが挙げられる。
ここで神籬についてもう少し詳しく見てみると、それはかつては神が宿ると考えられていた山、森、古木などの周囲に常盤(ときわ)木を植え巡らせ、玉垣を結って聖域・聖地を保った場所、と説明される[3]。
こうした仮の祭場は、普段は聖域・聖地として生活空間とは切り離され、濫りに立ち入ることは禁じられていた。また、このような聖域・聖地は先述したように古木や巨岩、湧き水の他、山、森などがその中心として据えられ、場合によっては集落の近くの丘や村境といったものも神を祀る場所として想定された[4]。
なお村境の場合は、そこにあえて塚や森といった聖域・聖地を設けることも多いという。
そうした野外での祭祀が行われていたが、後に祭祀の間だけ仮屋を建てて祭祀を行い、祭祀の後にその仮屋を壊したりする、といったことが行われるようになった。
それがやがて恒久的に常設される施設、社殿へと発展していったのではないかというように神社は捉えられているようである。つまり、神社は当初は社殿は無く、そこに神の依代となるものがあってそちらの方が中心として考えられていたのではないか、と窺えるのである。
ところで、神社に関して”ヤシロ”という語に着目してみると、その語義は”ヤ”は屋、”シロ”は代で、ある目的の為に占有されたもの・場所を意味し、”ヤシロ”とは祭祀の際に仮屋を設けて祭る聖域・聖地を指している、というように説明されることが多い。
この説明に則るのであれば、”ヤシロ”という語において重要視されるのは社殿よりも、その土地であるということが窺える。また、”社”という漢字に着目すれば、それは元々”大地の神”を意味していたといわれる[5]。
それ故にその祭祀に当たっては一定の土地に土を盛って祭り、それが為に”社”の漢字には”土”が含まれるのだ、といった旨を柳田 国男氏は『塚と森の話』で述べている。
加えて同氏は神の依代となるものの多くが神木や磐座といった、社殿の外に存在しているということも指摘している。これを踏まえるならば、やはり神社においては社殿よりもその土地の方が重要視されていたのではないか、と考えることができる[6]。
さて、以上神社についてそのあらましをごく軽く浅く見てきたが、その神社については現在も”鎮守の森”といわれたり、古代においては『万葉集』に”社”の文字に”モリ”と宛てる例が見られるなど、森との関連が深いことが窺える[7]。
これは既に述べたように、社殿が設けられる以前は山や森といった聖域・聖地で祭祀が行われていたことにも結び付いているのではないかと考えられる。
ここでこの”森”の語について『日本民俗宗教辞典』(聖地信仰の項)を見てみると、
清浄な砂による祭場構築としての「盛」、
神社の領く禁忌の聖地としての「禁」、
あるいは祭祀者の守護神としての「護」
などの意味がある。
と記されている。この記述も、神社と森との結び付きの深さを示唆するものの一つといえるかもしれない。
では、本考に戻りたい。
これまで見てきた事物からすれば、神社にとって重要なのは社殿よりもむしろその場所、土地であり、そうした聖域・聖地の一例として森が挙げられる。
つまり、霊夢の言うように神社にとって大切なのは社殿よりも大木に囲まれたその場所が重要な意味をなしていたと考えられる。
博麗神社の場合も同様で、その聖域(境内)を明示する為に後人が木を植え、神社のある場所を囲んだのではないか、という推測が成り立つと考えられる[9]。
はぁ…
このため息の直後、八雲 紫は説明をしながら傘を広げ、畳む所作を行う。これは神の誕生→消滅を図的に示すジェスチャーであったのかもしれない。
飛鳥尽きて良弓蔵され狡兎死して走狗烹らる
飛ぶ鳥がいなくなれば優れた弓もしまわれ、素早い兎がいなくなれば猟犬は煮られて食われてしまう、ということ。
敵国が滅びれば、功績のあった家臣でも用無しとして殺されてしまう、また用がある内は使われるが、用済みになると捨てられてしまうことを意味する。
元は范蠡(はんれい)という人物が大夫種に対して送った書簡の中で用いた例えだという。
『史記』(越世家)より。他にも、同書(淮陰侯伝)など多くの書に類似の表現が引用されている。
この直後、八雲 紫は外の世界の人間はもう夜も妖怪も恐れない、などと言っていることから、飛鳥(狡兎)→妖怪、良弓(走狗)→博麗神社という例えであろうか。
ここで『東方求聞史紀 ~ Perfect Memento in Strict Sense.』(博麗神社の項)に触れてみると、興味深い記述がある。
本来神社には妖怪は近寄れない筈…(後略)
人間の里同様、この神社の中では妖怪に襲われることはないと約束されている…(後略)
などといった記述がそれである[9]。
これらの記述から、博麗神社は(本来は)妖怪は近寄れず、近くにいたとしても神社の人間を襲うことはないと約束されていることが判る。
その博麗神社であるが、所在は幻想郷と外の世界との境界にあり、『東方求聞史紀』では
この神社のある場所は、幻想郷ではない
とまで記されている。
ここで着目したいのは、”アジール(asile)”という語である。これは”神聖不可侵”を意味するギリシャ語 asylos に由来するといい、『日本民俗大辞典 上』には
世俗の権力から独立して、社会的な避難所としての特権を確保し、あるいは保障される場所。
とある。いうなれば、何らかの事情で世間から追われることになった人間の駆け込み寺のような存在であったらしい[10]。
このようなアジールは、日本では神社仏閣がその役を担ったという[11]。
これを幻想郷と博麗神社に当てはめてみたい。
まず、人間を襲う妖怪であるが、その存在は幻想郷に属するものと考えられる。一方で博麗神社は幻想郷と外の世界の境界にあり(霊夢曰く両者に属する)、幻想郷との関わりなどから、独自の権限の下にあるといえる。そして、神社の中では妖怪(幻想郷に属するもの)は人間を襲わない。
そうして考えると、これらの要素は先に述べたアジールの性質と類似すると考えられる。それを踏まえるのであれば、博麗神社は妖怪から逃れる為のアジールという性格を持っていたのではないか、ということが考えられる。
この仮定と先の八雲 紫の引用した言葉を照らし合わせ、飛鳥(狡兎)→妖怪、良弓(走狗)→博麗神社、という例えであるとするならば、”妖怪もいなくなれば(人間が恐れなくなれば)博麗神社という場所ももはや必要ないとして名すらも忘れられ、来訪者もいなくなった”という意味であると解することができるのではないだろうか。
もしそうであるならば、八雲 紫の言葉は正鵠を突いたものであった、とも思われる。
…と、最後は八雲 紫の言葉から博麗神社の性質に言及するまでに葉を広げてしまった。流石、奥が深い。
なお、与太話であるが博麗神社は幻想郷の東の端にあるともいう。
五行説からすれば東は木行に当たるので、その境内を木によって明示するというのは筋が通っているように思える。
加えて述べるのであれば、守矢の神社のモチーフとなった諏訪大社、諏訪の地にも『古事記』の建御名方神の神話や先宮神社の伝承、或いは前宮付近の神原に纏わる伝承など、こちらにも土地、或いは先のアジール的な要素を持つと考えられる伝承が豊富であり、その点では博麗神社と類似しているといえるのかもしれない。
註釈
- 神を迎え、祀るために設けられた石。語義は堅固な座、席だという。
- 端的にいえば神の降臨の場として設けられた聖域。
- 神の依代となるものを中心として、その周囲を樹木で囲うという構造からは、話中の博麗神社の立地を想起することができると思われる。
- これは神が外部から来訪するものとして考えられ、村境は村(集落)と外部、外の世界とが接する場所と考えられた為だと思われる。
- これに対して”神”は”天空の神”、即ち神社とは天地の神々の総称であったらしい。
- 無論、社殿も造営された頃の歴史や神社の変遷を伝えると共に、名工の手が腕を振るって伝承や物語、魔除けの為など数々の彫刻が為されており決して蔑ろにして良いわけではないが。
- 他にも神社に関して”杜もり”の語を見受けることもしばしばある。
- ただ、蛇足ではあるが人工的に植えられたのであればそれは森ではなくむしろ林に当たると思われる。しかしながら、神社の社地に属する木々が人の手によって植えられた場合はわりと多いらしいので、あまり気にするほどのことではない瑣末なことかもしれない。
- 前者については神社が博麗神社を指しているのかどうか判別しかねるが、博麗神社の項での記述であるし、守矢の神社が出現することになるのは『東方求聞史紀』より後のことであると考えられる。それまでは博麗神社が幻想郷唯一の神社であったのでおそらく博麗神社のことであろう。
- そもそも駆け込み寺も一種のアジールであるが。
- 一方西洋でも協会や修道院、或いは市場など、やはり世俗の権力とは離れた独自の権限を持つ場合が多かったようである。
― 出典 ―
- 『東方三月精 ~ Strange and Bright Nature Deity.』(第25話 二つの世界 後編) 比良坂 真琴/漫画 ZUN/原作(『コンプエース』 2009 3 株式会社角川書店 2009)
- 『東方求聞史紀 ~ Perfect Memento in Strict Sense.』 ZUN著 一迅社出版 2007
― 参考文献 ―
- 『日本を知る事典』 大島 建彦・大森 志郎ら編集 株式会社社会思想社 S.46
- 『日本民俗宗教事典』 佐々木 宏幹ら監修 三秀社 1998
- 『日本民俗語大辞典』 石上 堅著 桜楓社 S.58
- 『日本民俗大辞典 上』 福田 アジオら編集 吉川弘文館 1999
- 『精選 日本民俗辞典』 福田 アジオら編集 株式会社吉川弘文館 2006
- 『塚と森の話』柳田 国男著 (『定本柳田 国男集 第十二巻』 柳田 国男著 筑摩書房 S.38)
- 『新装新版 中国文化伝来事典』 寺尾 善雄著 株式会社河出新社 1999
- 『日本「神社」総覧 <愛憎保存版>』 上山 春平ほか著 株式会社新人物往来社 H.4
- 『古語拾遺 (新撰日本古典文庫 森 秀人編集責任)』 安田 尚道/秋本 吉徳校注 現代思想社 1976
- 『「日本の神様」がよくわかる本』 戸部 民史著 PHP研究所 2004
- 『中国故事たとえ辞典』 細田 三喜夫編 株式会社東京堂出版 S.58第10版
- 『故事ことわざ辞典』 野口 七之輔 日本書院編集部編著 日本書院 S.62
- 『故事名言・由来・ことわざ総解説』 三浦 一郎他51名分担執筆 株式会社自由国民社 1985