幻想郷から姿を消して久しい鬼。
その鬼達は人間に嫌気が差し、鬼の国に去ってしまったと伝えられていた。
その場所とは、昔は地獄の一部だった、旧都と呼ばれる場所であった。
鬼達は、地獄の縮小に伴って切り捨てられたこの土地に身を寄せていたのである。
その為、幻想郷ではつい最近まで鬼とは疎遠であったようだ。
一方、現代の我々はどうだろうか。
人々が鬼の存在を信じ、恐れていた時代から比べれば、我々もまた鬼とは疎遠になったといえるのではないだろうか。
現在では、鬼といえば物語やお伽話の中に姿を現す程度であり、鬼の纏わる行事、節分の豆撒きを行う家庭も少なくなったのではないだろうか(ただし、鬼の伝承が色濃く語り伝えられている所では、祭祀や芸能に鬼が登場したりもする場合もあるが)。
そうした中ではあるが、我々が鬼と聞くとその姿は多くの場合、ある一定の姿で想像できると思われる。
それは、人間を遥かに越えるような巨大な体であり、人間とは違った肌の色をしていて、鋭い目つきに尖った牙を持つ。
また、頭部には角を生やし、虎の模様の褌をしている、といった具合である。
或いはその手に、”鬼に金棒”の諺にあるような、長大な金棒を握っているかもしれない。
余談だが、俵屋 宗達が描いた『風神雷神図』にある風神や雷神もまた、このような鬼の姿で描かれており、それを想像する人もいるかもしれない。
いずれにせよ、我々の鬼に対するイメージは先述のような姿と、恐ろしげでありながら、一方では桃太郎に退治されるような悪の存在という観念が一般的であろう。
現在はこのような姿で想像される鬼ではあるが、無論、昔からその姿であったわけではない。
まず、その言葉に着目してみよう。
すると、その昔”鬼”という字と”オニ”という語が指すものは違っていたようである。
“鬼”の字は『日本書紀』にも用いられており、”もの”や”しこ”といった読み方が宛てられていたらしい。
一方で、その字を”オニ”と呼んだかどうかについては懐疑的な見方が強いようだ。
また、その文字が指す意図はどうやら政権に従わないものを指すことが多かったようである。
ここでは、我々が思い描くような鬼の姿はまだない。
ところで、日本最古の字書といわれる『和名類聚抄』(承平年間)でも、”鬼(正確にはその古字)”の字について記述を行っている。
それに拠れば、和名は”於爾”といい、物に隠れて顕れることを望まないが為に、俗に隠というのであるといった解説を加えている。
どうやら、930年頃には、鬼と書いてオニと読むようにはなっていたらしい。
そこからか、”オニ”の語は”隠(おぬ)”の転訛とする説があり、鬼という語について説明する代表的な説となっている。
さて、この”オニ”の実体は、先の隠の字の如く古くはこの世から隠れた存在、基本的には姿を現さないとされていたようだ。
加えて折口 信夫氏に拠れば、古代はカミとオニは同義であった。
しかし、その後の紆余曲折を経て、恐怖のイメージや悪の性格が鬼(オニ)に集約されるようになった、と説いた。
そこで、日本の鬼の原像としては村の外から訪れ、村に祝福をもたらすような、カミと同一化したオニが想定された。
※同氏は日本のオニの原像の面影を残すものとして、一年のうち決まった時期に到来する来訪神(例えば沖縄県八重山地方のアンガマアや東北地方のナマハゲ、スネカなど)に着目していたようである。
一方で、オニは荒々しい神のような、超人的な力を持った存在とされた例もあったようだ。
その中には、自然地形を創造した神、ないし山の神として信仰されるようなオニが伝承に伝わっている例もあるという。
これらの例にあるように、遥か昔において鬼は必ずしも悪役に徹していたわけではなく、時には人間に福をもたらしたり、或いは自然地形を創ったと語られるように、神にも劣らないような力を持った神秘的な存在であったようだ。
他方、中国では”鬼”の字は”キ”と読み、死者の魂、祖先の霊を表すものであった。
日本のオニは神秘的な存在、不可思議な現象を為すような存在であったが、この中国の鬼キが流入すると鬼とオニは互いに結び付いていったようである。
そこには、この世から隠れた存在という点で類似の性格を持っていたことも関係していたのかもしれない。
さらに中国を通して仏教や陰陽道といった思想が入ってくると、鬼(オニ)のイメージに大きな変化が訪れる。
特に仏教で語られる地獄の概念やその獄卒、或いは餓鬼といった存在が鬼のイメージに影響を与えた。
加えて、地獄絵や地獄草紙に描かれた獄卒、牛頭・馬頭などもそれまで基本的に不可視であった鬼に具体的な姿を与える契機となったようだ。
また、その姿は古代インドで人間に災厄を為すとされた羅刹や夜叉といった存在も関与していたといわれる。
こうして日本の鬼に負のイメージが段々と集約されていった。
その一方で、陰陽道や修験道は鬼に仏教とは異なった姿を与えた。
そこでは、山を住処として霊的な力を持つ存在という鬼が想像されたのである。
それは時として、前鬼・後鬼が役小角に使役されたように超人的な能力を持つ人間に使役される者として描かれることもあった。
ちなみに、こうした山を住処として霊的な力を持つ存在というイメージは山姥や、時として修験者自身と同一視された天狗のような後代の山の妖怪のイメージにも影響を及ぼしたという。
或いはまた別の鬼のイメージとして、非業の死を遂げた偉人が祟りを為すといった御霊信仰のように、深い怨恨や憤怒といった激情によって人、またはその霊が鬼に変化するといった伝承も伝えられ、こちらも鬼の負のイメージを想像させる一因になったのかもしれない。
なお、こうした例は鉄輪の女などに見られる。
そして、時として実体は人間でありながら鬼と見做された例もあったようだ。
それは例えば、世間や時の権力者に反抗する盗賊や、賤民といった者達である。
また、これに関して『今昔著聞集』巻第十七 変化の部には、承安元(一一七一)年に伊豆国奥の島に船が漂着し、そこには鬼が乗っていて、皆裸であったという記事がある。
これを現実的に解釈するのであれば、この舟に乗っていた鬼とは漂着した裸形の異邦人であった、と考えられなくはない。
盗賊のように罪をなした者や、賤民のように身分に差異があった者、或いは先の記事にあったような、容姿や言語、文化・習俗の異なった者など。
ある点では世間とは大きな隔たりがあった人間も鬼の姿やイメージの形成の一翼を担ったという指摘がある。
仏教の獄卒、山に棲む超人的な存在、怨恨などの激情によって変化した者、世間と隔絶した(された)者、もしくは古くからあったように、人間に福をもたらすような善の性格を持つ者、果ては先祖の霊。
姿は目に見えない者から、怪異を為し時に人に化けた者、さらには地獄の獄卒のように恐ろしい姿を持った者など。
平安時代以降、鬼のイメージはかくも様々な思想の影響を受けて変容し、またその容姿や性格も非常に幅広く展開していった。
そうして大きく展開していった鬼は色々な物語や説話にも登場した。
その説話や物語の中には、激情によって変化した者が山に棲みついて超人的な能力を持つ者として語られたりするように、先述した性格はそれぞれ独立ではなく、時に複合した姿で語られることもあった。
英雄によって討たれた鬼でも、最終的に人間に財宝や福をもたらした点から、古代の鬼の性格を指摘する例もあるという。
それが、やがて時代が下るに連れて徐々にイメージが統一されていったようだ。
その過渡で、牛の角に虎の皮の褌 ― それは鬼門の方角が丑寅であることに起因するといわれている ― といった定形も付加されていったらしい。
そして、その姿は江戸時代にはほぼ定型化され、現在の我々がよく知るような姿になっていたようである。
多様に展開した鬼ではあるが、今一度着目し、先程までと違った視点を試みたい。
それは、人間が捉えてきた鬼の姿の変遷を辿るのではなく、鬼という存在を理論的に解釈しようとする方針である。
例えば、先述したように鬼のイメージは非常に多岐に及んでいたが、一方でその根底にはある一貫した流れがあるようにも思われる。
人間の力では説明できない、神秘的な事象を生ずる存在という点がそれである。
裏を返せば、人間の範疇では到底説明ができない不可思議な現象をどうにかして説明する為に、鬼という存在が提唱された、とも考えられる。不可思議な事象は鬼の仕業である、と。
古代においては、自然地形を造形するような神秘的な事象の根源に鬼が据えられた。
しかしそれが時代が下って負のイメージが増すと、その存在が起こす現象は神秘的というよりも怪奇、怪異といった恐怖や不安を呼び起こすものとなってしまったのではないだろうか(ただしその現象の根底は、先述したように人間が説明し得ないような不可思議な現象という点で一致していると考えられる)。
怪異の内容は様々で、怪音や鬼火といったものから、人が忽然と消える、いわば神隠しのような現象も鬼が起こすとされた。
例えば、人が忽然と消えた現象を”鬼が攫った(或いは食べた)”と説明するのである。
そうした怪異を為す存在、怪奇の根源である鬼というものは、人々の恐怖を集約させた存在ともいえるのではないだろうか。
そして、こうした世間の常識を覆すような現象を起こす者が存在するに相応しい、つまり怪異が起きても不思議ではない場所としての異界が想定される。
それは例えば山や川の向こう側といった場所であったり、山の麓や川といった異界との接点・境界は、異界とこの世が交流する場所とされた。
より身近なところでは、辻道もそうした異界との交流点とされていたようだ。
こうした異界との交流点は、しばしば怪異が起こり、異界の存在、つまり鬼が出現したりするのである。
では、幻想郷の鬼はどうであろうか。
現在幻想郷で存在が確認されている二人、伊吹 萃香と星熊 勇儀について見てみる。
まずその容姿の特徴として、頭部に角を持つ。
虎皮の褌こそしていないものの、この点では我々の思い描く鬼の姿である。
それに準拠する点として、尋常ではない力を持ち、その昔は人攫いを行っていたという点も、説話や物語で語られるような妖怪たる鬼の特徴といえるであろう。
次に、少し前までの幻想郷においての鬼の位置付けに着目する。
萃香が出現するまでは、幻想郷から鬼は姿を消していた。
つまり、鬼は隠れていたということである。ここに『和名類聚抄』に見られるような、この世から隠れた者としての鬼が見受けられるのではないだろうか。
一方、幻想郷から姿を消す前は、鬼は山に住んでいたようである。そこには、自然地形を創造した、或いは山の神として信仰されるような古代の鬼の姿が見え隠れするように思われる。
加えて、幻想郷の鬼は人間から一方的に排斥されたという経緯を持つ。
この点においては、社会或いは権力者から疎まれ、隔絶された、鬼と見做された人々の姿を窺うことができる。
そして、地上から姿を消した幻想郷の鬼の行方は『東方地霊殿 ~ Subterranean Animism.』にて明らかにされた。
そこは、地獄の縮小によって切り離された土地であった。その地は地底にあり、仏教で描かれたような地獄の鬼、獄卒の姿を髣髴とさせるのではないだろうか。
また、こうした鬼が出現する為には特定の舞台が必要であった。
萃香が『東方萃夢想 ~ Immaterial and Missing Power.』において姿を現したのは”幻想郷”と称された場所だった。
しかも、その邂逅には境界を操る妖怪・八雲 紫が関与していた。この萃香が姿を現した”幻想郷”は、霊夢達が暮らす幻想郷とは違った一種の異界、或いは異界との境界であったのではないだろうか。
一方の勇儀はどうか。彼女が現れたのは旧都であった。そこはかつて地獄だった場所であり、それは既に一つの異界である。
つまり、邂逅した場所が旧都であったという時点で、鬼たる勇儀が出現する舞台は整えられていたと考えられるのではないだろうか。
また、幻想郷の鬼については次のような記述もある。
鬼は人間の恐怖心の象徴
『萃夢想』同梱、上海アリス通信.txt
それは、鬼が人間にとって未知の事象や不可思議な現象を鬼の仕業としたが為であるのではないだろうか。
未知の事象や不可思議な現象はその正体が判然としないが故に人間の恐怖と結び付く。
そうしたものを鬼の仕業としたということは、恐怖の根源を鬼に託したということでもあろう。
だからこそ、鬼は恐れられて然るべき、と考えられるのである。
このように、幻想郷や地獄(跡)に出現した鬼にはいずれも、前半部で挙げたような鬼の多様な特徴を垣間見ることができるといえそうだ。
― 出典 ―
- 『東方萃夢想 ~ Immaterial and Missing Power.』 上海アリス幻樂団/黄昏フロンティア 2004
- 『東方求聞史紀 ~ Perfect Memento in Strict Sense.』 ZUN著 一迅社出版 2007
- 『東方地霊殿 ~ Subterranean Animism.』 上海アリス幻樂団 2008
- 参考文献 -
- 『図説 日本未確認生物事典』 世間 良彦著 柏美術出版社 1994
- 『日本伝奇伝説大事典』 乾 真己ら編集 角川書店 S.61
- 『神話伝説辞典』 朝倉 治彦・井之口 章次ら編集 株式会社東京堂出版 S.38
- 『日本「神話・伝説」総覧』 宮田 登ほか著 大日本印刷株式会社 H.5
- 『鬼の伝説』 邦光 史郎著 集英社 1996
- 『日本民俗大辞典 上』 福田 アジオら編集 吉川弘文館 1999
- 『日本民俗宗教事典』 佐々木 宏幹ら監修 三秀社 1998
- 『妖怪事典』 村上 健司編著 毎日新聞社 2000
- 『日本妖怪博物館』 株式会社新紀元社 Truth In Fantasy編集部・弦巻 由美子編 戸部 民夫・草野 巧著 株式会社新紀元社 1994
-『日本昔話事典』 稲田 浩二/大島 建彦/川端 豊彦/福田 晃/川原 幸行編 株式会社吉川弘文館 S.52 - 『日本奇談逸話伝説大事典』 志村 有宏・松本 寧至編 (株)勉誠社 H.6