大江山。
それは前述の通り、『御伽草子』収容の酒呑童子の物語の舞台となった地である。
現在、同地には酒呑童子を始めとする鬼に纏わる事物を展示する施設、”日本の鬼の交流博物館”が存在している。
筆者は、星熊 勇儀のモチーフとなった星熊童子について深く知ろうと、その地に向けて手紙を出した。
※本来は現地に赴くのが良いと思われるのだが、距離があった為に今回は手紙とした。
この手紙の返信を頂いた人物は、同館の館長である。
そして、この項はその手紙の返信によって知り得た情報を基にして記したいと思う。
なお、自身で得たいと思った事柄に基づいて質問を作成した為、情報に偏りがある点についてはご了承頂きたい。
また、掲載については事前に当人の許可を得ている点も併せて明記しておく。
加えて、返信を頂いた館長様には感謝の意を申し述べたいと思う。
まず初めに、大江山には酒呑童子の物語以外に星熊童子を始めとする鬼の四天王に纏わる伝承があるか、を質問内容とした。
それは、公に伝わっている書物には取り上げられていないが、細かな伝承は縁ゆかりある彼の地には伝わっているかもしれない、と考えた為である。
この質問に対しての返答を結論から言ってしまえば、「無い」とのことであった。
彼の地に残る古文献には鬼の四天王の名は無いそうである。また、鬼の四天王に纏わる伝承がない理由として、酒呑童子の物語が元々”物語”であるか、或いは修験者によって大江山に持ち込まれ、伝説化したものである為、との返答も頂いた。
その一方で、強いて挙げるならば、ということで酒呑童子を主将とした大江山の鬼達の中でも副将格であった茨木童子は鬼ヶ城(旧大江山町と福知山市)なる山の砦におり、星熊童子は四天王の筆頭であった、という話があるようだ(出典未詳)。 … ※
次に、大江山の中腹辺りにある”鬼のモニュメント”なる像について。
この像は酒呑童子、茨木童子、星熊童子の三体より成る。そして、この像での星熊童子は一本角で造形されている。
勇儀も一本角である為、星熊童子には一本角として描かれる縁(よすが)があるのか。その辺りを知るべく、この像について質問した。
これについてはまず、先の返答の鬼の四天王(無論、星熊童子についても)に精細な伝承がないという点から、星熊童子の容姿について定形があるわけではない、ということができよう。
事実、博物館に展示されている星熊童子の仮面は二本角である(これもまた面師の創作であるとのことだが)。
なお、先の像の製作者はウルトラマンのアートディレクターとしても著名な成田 亨氏である。
博物館内に展示されている一本角の星熊童子の肖像画も同氏の画によるもので、どちらも氏のオリジナルであろうとの返答を頂いた。
以上の返答などから、一本角という特徴の一致については明確な線がない為、偶然であると考えるのが穏当であると思われる。
しかしながら、彼の大江山に一本角の星熊童子の像が存在している点は興味深いことではなかろうか。
また、余談ではあるが星熊童子の名についても尋ねてみた。
他の四天王にも”熊”の字が用いられている者が多い。これについては、現在も大江山は熊の棲家とされているようで、昔は多くの熊が棲息していたと考えられる。
そこで鬼の名にも”熊”の字が付く者が多いのでは、とのことであった。
さらに、”星熊”の星に着目してみる。すると、星に関連するものとして、大江山周辺には妙見(北極星、或いは北極星と北斗七星を神格化した存在)信仰が色濃く残っている。そして、酒呑童子供養碑が山中の妙見堂境内にある、との指摘を頂いた。
以上が手紙にて質問した内容とそれに対する一通りの返答である。
よって、先のことを星に関連する事柄として紹介し、本項を終えたいと思う。
※星熊童子が四天王の筆頭とされたこと。返信では、頼光の四天王の筆頭・渡辺綱と対応させて語り伝えたのかも、との私見を併せて頂いたことをここに記しておく。
最後に。
この場を借りて筆者のような子細な者にも丁寧に対応し、返信を下さった日本の鬼の交流博物館・館長様には今一度篤く感謝の意を申し述べさせて頂きたい。