産医師異国に向こう……
……御社に蟲さんざん
これは、鍵山 雛と対峙した際に魔理沙が唱えていた言葉である。
また、これは円周率の語呂合わせでもあると、本考で述べた(「3.14159265」35897932「384626433」83279…の「」内の部分)。
本考では、雛と回転・円とを結びつける一点として述べた要素であるが、今回はまた違った角度でこの語呂合わせを見てみたい。
まず、こういった語呂合わせはある特定の数値や記号を暗記する為に広く行われる所作であることを述べておこう。
例えば、√2の数値の暗記や、元素記号の周期表、元素の順番を覚える時にも語呂合わせは用いられ、その語呂合わせには数種のバリエーションを持つ場合が多い。
つまり、上に挙げた魔理沙の円周率の語呂合わせも、数ある円周率の語呂合わせのうちの一種である。
では、何故魔理沙はこのタイプの語呂合わせを引き合いに出したのであろうか。
そこに、何らかの意図はあるのか。
ここで、語呂合わせという性質上、発音には意味は含まれないと見て良いだろう。意味があるとするならば、文字、つまり語呂合わせに当てられている漢字の方だと思われる。
また、魔理沙は語呂合わせの一部を飛ばしている。「35897932」の部分である。
ここは、語呂合わせでは”産後薬無く産婦”となっている。このうち、”薬無く(8979)”の部分はバリエーションによっては”厄無く”となっているものもある。
厄が無くては厄を吸い取る役目を担う雛の出番は無い。また、雛は厄神であるから、厄が無いとすれば厄神は存在しないということになり、いずれにせよ雛の出現を否定することになってしまう。
だからこそ、会話中では意図的にこの部分が省かれたのではないだろうか。とすれば、この文にも何らかの意味を持っているという可能性も十分に考えられる。
上記を踏まえて、語呂合わせの漢字が為す意味についてそれぞれ見てみたいと思う。
まず最初にあるのは、”産医師”という語である。”産”とは産むことであり、その意味するところは出産であろう。
出産とは、新たな生命がこの世に生まれる瞬間である。と同時に、出産には血が付き纏う。
血(流血)は大量に体内から漏れ出れば失血死の原因になる。つまり、血は死を招く大きな要因の一つなのである。古来より日本には”穢れ”の概念があり、それは死を忌み嫌う思想から端を発するという。
即ち、”穢れ”とは死を呼び寄せる為に忌まれるのである。それ故、血も”穢れ”の一種として忌み嫌われた。また、医術の発達していなかった時代では出産は母子共に死ぬという事態を招きやすかった。
出産が女性の大事とされ、また子安神や産泰神など、出産に携わる神が大きな信仰を得ていたのも、出産が母子の生死を左右する出来事だからと考えられる。
つまり、”産”の文字には人の生という要素に加え、母子の生死が深く関わってくる。そこには、”穢れ”や生と死の考えが見て取れる。
産に続く”医師”についても、人の病と向き合い、その職場には多く人の生と死が交錯する。
これらを見ると、雛が抱きかかえる要素、”穢れ”や生と死、またその境界の往来というものが見えてくる。
“異国に向こう”とは、”異国に向かう”とも解される。異国とは、自分が今存在する場所とは違う世界、つまり、一種の異界であると考えられる。
そこに向かうとは、つまり現世(この世)から異界(あの世)に行くことで、その上では当然のこの世とあの世の間の境界を越えることになる。
ここにもまた、この世とあの世、つまりは生と死、またその境界という概念が隠されていることになるのではないだろうか。
“社”は神社のことであると思われるが、神社は神が住まう聖域であり、無論人の住む俗界とは一種隔絶された世界である。
とすれば当然、そこには俗界と聖域の差が生じ、両者の間には境界があることになる。
“蟲さんざん”は、蟲が多いことであろうか。本来はこの後に”闇に鳴く”と続いて虫散々闇に鳴く、蟲が賑やかに囃し立てる様子を想像させる文になるはずなのであるが、魔理沙はここまでしか思い出せず、蟲さんざんで止まってしまっている。
この文だと、無数の蟲が屯しているという意味の表象でしかなく、そこにはマイナスのイメージが付き纏う。
ところで、蟲の中には稲を食い荒らす害虫もいる。そうした蟲の害も一種の災厄である。その為、地域によっては”虫送り”といって虫を村の外に追放するという儀礼を行うところも存在する。
村の外に災厄を追放する、それは疫神送りと同じように、村境まで災厄を送り、外に放出するという儀式である。
虫が災厄と関連すること、また、その虫の害を祓う儀式が疫神を外の送り出す儀礼と同じような点を持っているという点において、ここでも雛との関連性を見出すことができる。
これらを踏まえると、生と死、穢れ、境界、神社(神)、災厄…いずれも、婉曲的ではあるが雛の持つイメージを少なからず言い当てられる要素が導き出せる。
とすれば、魔理沙はあながち無意味にこの円周率の語呂合わせを引き合いに出したわけでは無さそうだ、と結論付けることができないであろうか。
尤も、あまりに婉曲的過ぎて当の本人には
何の呪文よ
と一蹴されてしまったが。