1.全ての始まり ― 二拝二拍一拝 ―

開宴「二拝二拍一拝」

それは、土着神の頂点・洩矢 諏訪子が最初に行使するスペルカードである。

「二拝二拍一拝(二礼二拍一拝、二拝二拍手一拝など幾つかの呼び方あり)」とはいうまでもなく、神社で神を拝み、祈願する際に行う所作のことである。

現在、多くの神社ではこの「二拝二拍一拝」を作法としており、神を拝む際の基本的なマナーともいえるだろう(ただし出雲大社では二拝四拍一拝としていたり、拝礼の前後に小揖しょうゆうという軽いお辞儀を行うこともあり、異なる作法を要する場合もある)。

さて、その「二拝二拍一拝」とは、まず深揖(しんゆう)という深いお辞儀を二度行う。次に拍手を二度拍つ。そして、最後にもう一度深揖を行う、というものである。

この「二拝二拍一拝」の形は、二度のレーザー攻撃、破裂音と共に出現する大小様々の弾二度、最後にもう一度レーザーによる挟み撃ち、という弾幕の形状や流れによって表現されている。

なお、拍手に関しては『魏志倭人伝』に”庶民は高貴な人を見ると道の傍に屈んで拍手する”というような記述があり、その昔は高貴な人に対する
挨拶であったらしい。


一方、「開宴」とは宴を開くことである。

宴には酒が付き物であるが、そもそも酒は昔、神前で酌み交わす飲み物とされていたように神と関連があったようだ。

また、神前で神と人間が共に酒を飲む儀式が酒盛(宴)のルーツともいわれる。

この”酒盛”の”モル”という語には神と人間、または人間同士が同じ飲食物を共に分かち合うことを意味し、それによって互いの絆、結び付きを強めると同時に、その結び付きを確認していたという。

つまり宴にはその場の人間、神の結び付きを深める役割があったといえる。ここで、結び付きを”縁”と捉えたとする。

すると「開宴」とは宴と同時に縁を開き、神と人間の結び付きを深めることを意味している、と考えられないだろうか。

「二拝二拍一拝」が神を拝む、即ち神と対面する上での作法を表すのであれば、その”作法”を行うことは「開宴」、即ち神との”縁”を”開”き、結んだことになるのではないだろうか。

ところで、諏訪子はこの後に続く一連の弾幕ごっこをお祭り(=神遊び)と称していた。

お祭りは神が遊ぶ(日常感覚を離れる)ことであるという。

そこで諏訪子の”お祭り”の中身を見てみると、土着神「手長足長さま」や祟符「ミシャグジさま」というように、神様の名を直接冠したものが見られる(それは、贄符「御射山御狩神事」、「マウンテン・オブ・フェイス」のように主に神事や信仰対象となる事物をスペルカードにした神奈子とは一線を画しているともいえるだろう)。

これらのスペルカードでは霊夢や魔理沙は間接的にスペルカードの名前となった神様と対面していることになると考えられる。

その上で、諏訪子は開宴「二拝二拍一拝」のスペルカードを課したのではないだろうか。

つまり、神と対面する為の作法を行う(取得、或いは避けきる)ことで初めて後のスペルカードに進むことができる、手長足長さまやミシャグジさまといった土着神に会うことが許される。

開宴「二拝二拍一拝」は、まさに神々と人間の縁を結んだのだ、と。

そうであるならば、このスペルカードは最初に行使されて然るべきであったと考えられよう。

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