2節 禍々しき悲運の廻転

先の節では、雛の”流し雛”としての性格を見てきた。

名からも窺えるように、雛を”流し雛”の習俗抜きで考えることはできないだろう、ということも先述した。しかし、雛の性格をそれだけで語ることができないと思われる。

キャラ設定.txtに拠れば、雛は”厄神様”である。

ステージ2の道中曲「”厄神様”の通り道 ~Dark Road」や、スカートに縫い止められた”厄”一文字も見逃してはならない。

――鍵山 雛は厄神である。

厄神とは、一般に疫病神などとも呼ばれ、一般には疫病を始めとする様々な災厄を人間にもたらす神であるとされる。それ故に、人々からは煙たがられる感は否めない、とも考えられる。

先に見た”キズ”のスペルカードが、雛の災厄を引き受ける流し雛としての性格を表したものであるとするならば、次に示す厄符は、厄をもたらす厄神としての性格を示したものであろう。

厄符「バッドフォーチュン」

このスペルカードを始め、雛が放つ弾幕の殆どは雛が回転する際に放つ紺色のオーラから放たれる。

素人目に見ても判るぐらいの厄が取り憑いている

キャラ設定.txt

とあるように、雛が常に纏い、弾の発生源となっているあのオーラが厄なのであろう。

Bad Fortuneとは悪い運命、即ち不運を意味するであろう。古来、不運や災厄は(時代によって変動はあるが)悪霊がもたらすと考えられたことは先の節でも述べた通りである。

なお、時代が下るとこの悪霊の役割は厄神に取って代わられることになり、悪霊と冠したスペルカードを厄神である雛が行使することは、何ら不思議ではないと思われる。

悪霊「ミスフォーチュンズホイール」

Misfortune’s Wheelは不運の輪とでも訳せようか。

その語源は西洋のタロットカードの大アルカナの十番目「Wheel of Fortune」の捩りであると考えられる。

しかし、不運に焦点が当てられる為、その本質はやはり”厄をもたらすこと”にあるのではないだろうか。その具体例が、次に述べるスペルカードであろう。

悲運「大鐘婆の火」

大鐘婆の火、とは遠江国(静岡県)に伝えられる民間伝承である。その物語の概要は、『妖怪事典』(村上 健司編著)に詳しい。そこで、その記述を元に概要を述べてみたい。

昔、遠江国横須賀に大鐘という富豪がいた。しかし、その富豪を始め、縁者が尽く死んでしまった。そして、ただ一人老婆だけが残された。

ところが、その老婆も、相続人が決まる前に死んでしまった。それ以来、五月雨の降る夜にはこの老婆の魂が青い大きな炎となって現れ、「これも家の田だ、これも家の畑だ」と言って田畑の上を飛び回るのだという。

なお、この怪火は人に害をなさず飛び回るのみであるという。

そして、「大鐘さん遠い遠い」と言うと、怪火はこちらに近寄ってきて、逆に「大鐘さん近い近い」と言うと、怪火は遠ざかってゆくという。

スペルカード中では紫色の炎が飛び交うが、自機の近くに出現した炎が遠ざかり、遠くに発生した炎が近寄ってくる様子は先の伝承の最後の部分を髣髴させる。

ところで、伝承に登場する大鐘の縁者の相次ぐ死については原因が語られておらず、何故、相次いで一族が絶えて行ってしまったのかは全くの謎であり、悲運としか言いようが無い。

この事例のように、雛…というよりも、その周りの厄が人に凄惨な運命を歩ませることもあるのかもしれない。

そうした悲運はまさに、「運命のダークサイド(暗い側面)」であろう。とすれば、この曲名も雛の一面を表していると考えられる。

余談2 ― 流し雛と妖怪 ―

妖怪は私の敵

あんたは妖怪

これは、霊夢が雛に対して言った言葉である。

この言葉を聞いたとき、疑問に思った方も多いだろう。雛の種族はあくまで厄”神”である。厄神は人間に害を及ぼす為に妖怪視もされることもあるが、それだけで霊夢がはっきり妖怪と切って捨てたとは考えにくい。

実は、これにもしっかりとした意味があるのではないだろうか。というのも、流し雛の習俗を見てみると、鳥取県八頭郡用瀬町(もちがせちょう)には次のような伝承が語られているという。

「流し雛が岸辺に引っかかることは厄が流れないとして不吉であり忌み嫌われる。また、翌日まで流れずに引っかかっていると妖怪となって戻ってくる。」

この伝承から、流し雛は時と場合によっては妖怪へと変化したという事例が見られることが判る。

これより考えると、先の霊夢の発言は(おそらく天性の鋭い勘によって)雛の素性を看破し、その性格を言い表したのかもしれない。

…尤も、先の発言の通りその内容はかなり極端なものであったが。

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