河童、それは水辺に棲む妖怪である。その名を冠したスペルカードはいずれも、河童の特性に準拠を示す。
河童「お化けキューカンバー」
Cucumberとは、胡瓜のことであり、第1節で述べた通り河童の好物として膾炙(かいしゃ)している。
お化けは幽霊などの霊体を指す言葉であるが、尋常ではない大きさのものを形容する言葉として用いられる。
弾幕では、緑色のレーザーが胡瓜の見立てと考えられる。すると、その長さは霊夢や魔理沙、にとりと比較すると数メートルに及ぶことになる。まさに、”お化け”と形容するに相応しい大きさである。
河童「スピン・ザ・セファリックプレート」
Spin the Cephalic Plate(回転する頭頂部の皿)。その名は、先のように訳せよう。
頭頂部の皿とは無論、河童の忘れてはならない特徴の一つである。弾幕を見てみると、二重の円に展開された緑色の弾、水色の粒弾の両者共に回転している。
スピン(回転)の語や、皿の形状、色から判断するとどちらの弾も河童の皿の形容と見ることができる。
或いは、緑色の円が皿で、水色の粒弾はそこから零れ落ちる水滴を表しているのかもしれない。
河童「のびーるアーム」
Armは腕のことなので、このスペルカードは伸びる腕、即ち河童の伸縮自在の腕を指す。先述の通り、これも河童の特徴の一つである。
河童「お化けキューカンバー」では胡瓜を模していた緑色のレーザーが、このスペルカードでは腕を模しているのであろう。河童「のびーるアーム」の名の通り。
このように、これらのスペルカードはいずれも河童の特徴に準拠している。
特に「のびーるアーム」、伸縮自在の腕は由来を辿ると、河童がいかにして生まれたかを示す起源譚たんの一つにまで遡ることができる(なお、第1節でも述べたが、河童はそれまで存在していた水棲の妖怪を複合してイメージが形作られていった。それ故に、河童の起源は一つではなく、複数存在する。これから記す説話は、そのうちの著名なものの一つである)。
そしてこの河童の生誕劇を知ることで、にとりの姿はより鮮明になるのだ。
――とある場所に、一人の大工がいた。
大工は頗すこぶる腕が立った。故に、あるとき、寺社や宮城という巨大な建造物を一定期間内に建造するよう依頼される。
この建造を引き受けた大工であったが、人手が足りず建造は思うように進まない。遂には期間内の完成さえ危ぶまれる事態に陥ってしまった。
これに窮した大工は、一つの手段を講じることにした。それは、無数の藁人形を作り、それに生命を吹き込んで使役することで人手を賄まかなおうというものであった。
この助勢により、大工は無事期限内に完成を収めた。
ところが、ここで一つの問題が生じた。使役した藁人形の始末である。困った大工は、考えた末に人形を川に捨てることにした。ここで困ったのは人形達である。
「これから何を食べてゆけば良いのか」
と大工に尋ねる人形達。
これに対し、大工は
「人の尻を食え」
と答えたという。そして、この河に捨てられた人形達が河童になったと伝える。つまり河童の前身は人形であり、伸縮自在、抜け落ちる腕は人形であった名残だと説明されるのだ。
なお、腕の良い大工は時代や場所によって様々な人物が取り上げられる。
それは無名の大工から武田の番匠、飛騨の匠、さらに左甚五郎といった半ば伝説上の著名な大工まで多岐に渡る。しかし、ここで鍵となるのはそれらの人物一人ひとりではない。
そのいずれの伝承においても、人形を使役したのは大工であり、人形はその下で建築の手伝いをさせられていた、という一定のパターンを持つということである。
これについて、荒俣 宏氏と小松 和彦氏の対話を収録した『妖怪草紙 あやしきものたちの消息』を始めとする幾つかの書では河童の起源には”川原者”というような特定の人々が深く関っていたと説明する。
“川原者”とは、中世、従属する組織を失い、主に都の川原に住んでいた人々である。
彼らは雑多な職に就き生計を立てていた。その中には、土木工事なども含まれていたという。
つまり、彼ら”川原者”は土木工事の下働きを行う者達でもあったのだ。
そして、こうした”川原者”を始めとする大工の下働きを行っていた人々は、先述のような大工の下働きをさせられた人形の伝承を持っている者達が多かったという。
さらに、彼らはその人形達が自分達の祖先だと伝えたのである。彼らは、こうして祖先からずっと土木工事を請け負っていたと伝えることで、土木工事を請け負う可能性を高めていたのかもしれない。
一方で、村に住む一般の人々は”川原者”に伝承の人形のイメージを投影していた。
これが後に河童として伝えられることになる。それ故、河童は力が強く、大工や土木工事とも深い関連を持っていたのである。
ここで、河童と土木工事の関係を示す一つの伝承を見てみたい。
それは、浅草の河童橋に纏わる伝承である。
――昔、その地は水はけの悪い場所であった。そこで、雨合羽商の川太郎が資材を投じて灌漑工事を決行した。しかし、工事は難航し死者も続出した。
そこに川から現れたのが、河童であった。彼らは工事をいともたやすく完成させてしまう。そこで人々は河童橋をかけ、橋のたもとに曹源寺(通称河童寺)を創建し、河童を祀ったという。
この伝承からも、河童は土木工事と非常に関係が深いことが窺える。
一方で、『東方求聞史紀 ~Perfect Memento in Strict Sense.』の妖怪の山に対する注釈を見てみると、
河童は製鉄や建築、道具の作成の技術を持つ
と記されている。特に注意すべきは建築の技術である。これは他ならぬ、先まで述べてきた河童と土木工事の関係に端を発するものであろう。
また、第1節では小説『河童』から、にとりを始めとする幻想郷の河童の技術力について言及したが、その下地にはこのような伝承があったからだと考えられる。
何故ならば、土木工事の技術は専門の知識や技を持つ人間でないと扱えないものであった故、先進的な技術と考えられていたからだ。
それと共に、彼らが扱う道具もまた、普通の人々が見たこともないようなものばかりであっただろう。
職人しか持ち得ない知識・道具・技術。それ故、大工は一般の人間とは隔絶した存在であったともいえよう。
にとりに照らし合わせるならば、彼女の服のポケットもそうであるが、
背に負うリュックサックもまた、エンジニアとしての数々の道具が詰まっていると考えられる。
そして、その道具や技術が詰まったリュックサックの肩紐は彼女の胸元の”鍵”に繋がっている。
この”鍵”は、先の伝承では合羽橋周辺が金物問屋の集合地であったことを考慮すれば、”鍵”は金物の象徴であり、河童と土木工事の関係を補強するかもしれない。
しかし一方で、”鍵”は”秘されたものの暗喩”とも考えられないだろうか。
にとりの場合、エンジニアとして培われた専門的知識・道具・技術である。胸元の鍵を外し、リュックサックを降ろせば中からはおそらく、様々な道具・技術の結晶が登場するだろう。そして、にとりがそういった道具や技術を使う為には、”鍵”を外すという動作が必要になる。
秘されたものを紐解き、錠を外すように。
つまり、土木工事やエンジニアに代表されるような専門的知識・道具・技術の象徴があの”鍵”なのではないだろうか。
一方で、河童が土木工事 ― 河童橋の伝承ではとりわけ水利工事 ― 縁深いという事も見逃してはならない。
水はけの悪い場所でも易々と灌漑工事を完成させた技術力。灌漑によって水の流れは制御される。この様子はさながら、水を操っていると見ることもできないだろうか。
“水を操る程度の能力”。
それは、河城 にとりに与えられた能力である。しかし、それは彼女が河童、水辺の妖怪だからという単純な連想ではなく、先のように考えることもできるのだ。
また、こうした灌漑工事を行うのは凡そ、水の流れが人の思い通りにならない場所であろう。
河川の氾濫を防ぐ為に築かれた堤防。それはまさに、”河”川の”城”塞である。そう考えれば、”河城”の姓も偶然ではなかろう。スペルカード行使中の背景が石垣であることも見逃せない。河童と土木工事に深い縁がある故である。
余談 ― 石垣に映る幻想 ―
前節では、河童と土木工事の関連からにとりに迫ってみた。
ここでは、スペルカード行使中の背景について補完したいと思う。石垣については先に述べたが、よく見てみると、この石垣には奇妙な影が映っている。
それは影の形状から、亀或いはスッポンであると思われる。これについては、一般的な河童の特徴として、背に甲羅を背負っているという特徴があるので河童と亀の関連は窺える。
なお、にとりの場合はリュックサックが甲羅に相当すると思われる(すると、帽子が皿ということになろうか)。
しかし、これはさらに深く突き詰める事が可能である。
例えば、江戸時代に描かれ河童と称された絵の中には、明らかに亀そのものの姿をしたものも多数含まれているという。
これについて、前節で取り上げた『妖怪草子 あやしきものたちの消息』では、次のようなことを述べている(括弧内は筆者補完)。
“川原者”が治水工事を行うと、その地帯は一般の人々の生活圏に変化する。
すると、人々が川原に接する機会も自然と多くなる。
例えば、川原で釣りをするといった具合に。(治水工事を行うまでは川原は危険であり、容易に近づけない場所であったのであろう)
そうして川原と接するうちに、(治水工事を行う前には存在しなかったような)何かと遭遇することになる。
その一例が、(川の流れが穏やかになったことで新しく棲み付くようになった)亀やスッポンである、と。
このとき、治水工事を行った当の”川原者”は新たな職を求めて別の場所に移動していたと考えられる。
工事を行っている最中、人々は”川原者”が伝えていた彼らの河童の伝承のイメージを彼ら自身に重ね合わせ、鮮明なイメージを伝えていた。
しかし、”川原者”が去ると、河童の伝承だけがその地に残る。それまで”川原者”自身に投影することで鮮明な姿を持っていた河童の伝承は抜け殻のようになり、その姿を失った。
年月を経た後、その地の人々が未知のモノ ― 亀やスッポン ― との遭遇に驚くと、河童の伝承を微かに伝え聞いた人がその未知のモノを河童であると伝え始めたのではないだろうか。
そして、亀やスッポンは河童と伝えられ、記録に残ったと考えられる。
“川原者”の伝承に端を発し、語り伝えられた河童。拠り所を失い、幻想となってしまった存在の行き着いた先が、亀やスッポンであったということにもなろう。ここにも、”川原者”の伝承と河童の姿の交錯を見ることができる。