さて、これまで5節に渡り東風谷 早苗という人物を様々な角度から見てきた。
ここでは、東風谷 早苗に関する文様について見てみたいと思う。
そこで始めに見るのは、その服に散りばめられた文様である。
東風谷 早苗の服には、水玉模様のような円形の模様と、3つの直線を組み合わせたY字の模様の二つが見られる。
これは一体何を意味するのか。そこで思い起こして頂きたいのは、彼女の遠い先祖……即ち、洩矢 諏訪子の行使するスペルカード・土着神「七つの石と七つの木」である。
このうち、七つの木は諏訪神社の祭儀の一つ、御頭祭(おんとうさい)の後に行われる湛(たたえ)神事において、大祝の代理となる童子達が諏訪地方一帯の所定のポイントに向かい、ミサクチ神を降ろすというという神事に、また七つの石は諏訪の地に根付く巨石の信仰に由来するスペルカードである。
このミサクチ神を降ろす所定のポイントの中でも特に著名なものが、七湛木(桜湛木、峯湛木、真弓湛木、橡湛木、松湛木、檜湛木、柳湛木)であり、同様に七つの石に関しては『物忌令』(上社本)に記される諏訪の七石(硯石、御沓石、児玉石、御座石、小袋石、蛙石、亀石)がある。
ところで、諏訪神社(上社)の御神体は山であり、諏訪神社の神は山の神の性質を持つといえる。
一般に山の神は山の諸々の自然を支配する神とされ、降臨の際には山中や山麓の奇異な外見をした石や木に宿るとされていた。
特に木の場合、先が二股や三叉に分かれた大木などであるという。上の七石と七木には諸説あり、特に七木の方は現存が不明なものさえあるので、一概にその全てがこのような奇特な外見であったかどうかは判らない。
しかし、一般論に基づいて見るのであれば、ここに東風谷 早苗の服の模様を解く手掛かりとなる。
つまり、服に描かれた円形の模様とは七石のように神の御神体となる”石”を、Y字形の模様は、七石のように神の御神体となる”木”を表象している
のではないか、と考えられる。
もしそうだとすれば、これもまた東風谷 早苗という人物が神霊を招き寄せる存在…即ち巫女であるということを強調する要素であると位置づけることができるのだ。
次に着目するのは、東風谷 早苗がスペルカードを行使する際に背後に現れる背景についてである。
特に、画面の下から上に向かってスクロールする、あの無数の輪を重ねたような文様である。
時間の経過によって七色に変化するこの文様は、”七宝文(しっぽうもん)”或いは”持合輪違文(もちあいわたがえもん)”と呼ばれるものである。
この他”七宝輪違文”と呼ぶような場合もあるが、いずれもほぼ同様の文様であり、東風谷 早苗のスペルカード行使中の背景はこの類に属するものであると考えられる。
この文様が意味するものについて考える前に、一つ着目しておきたいことがある。
それは、この文様を背景とする者は東風谷 早苗だけではないということである。
八坂 神奈子、その神もまた、Extra道中で対峙する際にはこの文様を背にして戦いを挑んでくるのだ。
しかし一方で、神奈子はStage6で対峙する際はこの文様を伴っていない。Stage6で神奈子が背景とするのは、八角形と四角形を幾何的に並べた”蜀江(しょくこう)の文様(錦)”と呼ばれる文様である。なお、これは中国の蜀江という川の川沿いで生産される織物に由来する名である。
このStage6とExtraで別々の背景を使い分けた点に七宝文の文様を紐解く手掛かりがあるのではないだろうか。
その考えに基づき、神奈子のStage6とExtraで用いるスペルカードに着目してみよう。
Stage6で神奈子が用いるスペルカードの殆どは、諏訪神社の神事、或いはそれに纏わる七不思議から構成されている。一方で、Extra道中で用いるスペルカードはどうであろうか。
神符「水眼の如き美しき源泉」
“水眼(すいが)”とは、諏訪神社上社・前宮の付近を流れる清流のことである。その源泉は前宮の本殿をさらに1kmほど上流に遡った場所にあるという。
一方で、その水は非常に綺麗であり、水の清さから中世では清めの為の御手洗川として利用されていた。
現在もこの流れの脇に柄杓が置いてあり、参拝者が清めを行うことができるようになっていることから、その水の清さが一つの信仰を形作っていることが窺える。
神符「杉で結ぶ古き縁」
杉、結ぶ、縁という単語から、これは諏訪神社下社・春宮にある”結びの杉”のことであると考えられる。幹の上部が二つに分かれている一方で根本が一つになっている為、縁結びの神徳がある御神木として崇められている。
弾幕の形状も、神奈子より放たれた緑色の弾が画面の左右の端を下り、根本で一つになる様子を表している。
この縁結びの神徳は、先に述べたようにこの杉の古木の形状に由来する。
神符「神が歩かれた御神渡り」
これは名称の通り、2節で述べた”御神渡り”そのものである。
氷面に亀裂が入り、諏訪湖を縦断するように画面の上から下に向かって青と白の弾が発生する。
ところで、俗話ではこの御神渡りは上社に祀られる男神・建御名方神が下社に祀られ、自身の妃神である八坂刀売神(やさかとめのかみ)の許に通う道であると伝えられている。
しかし、この現象について宮地 直一氏は
御神渡りは湖面の氷が割れた筋を神の通った道筋であると
解釈したことに端を発する信仰
として、
その道筋をつくり、通った神は最初は問題ではなかった
という旨を『宮地 直一論集 穂高神社史・諏訪神社の研究(上)』に記している。
そして、『諏訪大明神絵詞』祭七 より、以下のような一文を引用している。
神幸畢テ、濱神ノ鳴動數十里ニ及フ、…(後略)
神幸とは御神渡りのことで、鳴動とは氷壁がせり上がる際に生じる雷鳴のような轟音のことである。そして、”濱(=浜)神”とはその名の通り湖畔に存在すると考えられていた神であり、この神が御神渡りを起こしていたと考えられていたのである。
このことから、御神渡りは氷結した湖面が割れるという現象に神秘性を感じた人々が信仰するに至ったものであり、建御名方神は後に付会されたことが判る。
これらを踏まえると、神奈子がExtra道中で用いたスペルカードには、ある共通点があることが判明する。
水眼川は、昔から諏訪の地に流れていた川の一つである。結びの杉も、太古よりその土地に聳えていたであろう。御神渡りも、諏訪湖があるからこそその信仰が生じたものである。
つまり、これらの3つのスペルカードはいずれも諏訪の土地に存在するものに起因した信仰を端緒としている。
諏訪神社の境内にあったりするものもあるが、いずれも諏訪神社の祭神・建御名方神とは直接の関わりが無くても信仰の対象となるものである。
即ち、これらのスペルカードはいずれも”土着の信仰”であると結論付けることができるのだ。
とすれば、神奈子がExtra道中で伴っていた文様は、土着の信仰のシンボルではないか、と説明することができるのではないだろうか。
仮にそうであるならば、東風谷 早苗の伴う同様の文様も土着の信仰のシンボルであると位置付けられる。
では、その土着の信仰のシンボルたるものとは一体何か。
そこで、もう一度視点を神長官・守矢一族に立ち戻らせる必要がある。注目すべきは、その家紋だ。
守矢一族の家紋。
それは、丸(○)の内部に十字を伴う文様である。なお、丸に十字の文様は武将の島津家の文様として著名であるが、守矢一族の家紋は十字の横棒の両端が筆で描いたように入りと抜けがあり、形状が微妙に異なっている。
さて、お気付きだろうか。
東風谷 早苗が伴う七宝文の文様と守矢一族の家紋が類似していることに。
見ようによっては、守矢一族の家紋の内部の十字を少し変形させれば、東風谷 早苗の伴う背景の文様そのものになるのだ。
また、七宝文の名にも両者を関連付ける要素が隠されている。”七宝”といえば焼き物の七宝焼きが著名であるが、七宝文のそれとは無縁である。
七宝文の”七宝”は、実は”十方”の転訛であり、輪の一部が四方に十字形に並ぶことからその名が付けられたものなのである。つまり、”七宝文”という名そのものも、丸と十字を組み合わせた文様を暗示させているのだ。
また、東風谷 早苗が背景として伴う七宝文が守矢一族の家紋であるならば、それこそ土着信仰のシンボルといえるものである。
守矢一族は土着の神、洩矢神を祖とする一族で、代々諏訪の地の信仰を司ってきたからである。と同時に、それは守矢一族の家紋と同質のものであるならば、東風谷一族の家紋といっても差し支えないものなのではないだろうか。
これより、東風谷 早苗のスペルカード行使中の背景の七宝文は、守矢一族の家紋に由来する、土着信仰のシンボルであり、また東風谷 早苗自身に深く関る文様であったといえるのではないだろうか。
― 出典 ―
- 『東方風神録 ~ Mountain of Faith.』 上海アリス幻樂団製作 2007
- 劇中の会話・テロップ、キャラ設定.txt
- 『東方紅魔郷 ~ the Embodiment of Scarlet Devil.』 上海アリス幻樂団 2002
- 『東方萃夢想 ~ Immaterial and Missing Power.』 上海アリス幻樂団/黄昏フロンティア 2004
- 参考文献 -
- 『神長官守矢史料館のしおり』 茅野市神長官守矢史料館編集刊行 H.18改訂版発行
- 『宮地直一論集 穂高神社・諏訪神社の研究(上)』 宮地 直一著 株式会社桜楓社 S.60
- 『宮地直一論集2 諏訪神社の研究(下)』 宮地 直一著 株式会社桜楓社 S.60
- 『藤森栄一全集 第十四巻 諏訪神社』 藤森 栄一著 株式会社學生社 S.61
- 『角川日本地名大辞典 20 長野県』 「角川日本地名大辞典」編纂委員会・竹内 理三編者 株式会社 角川書店 1990
- 『古事類苑 神祇部四』 吉川 圭三発行者 株式会社吉川弘文館 S.52
- 『日本民俗大辞典 上』 福田 アジオら編集 株式会社吉川弘文館 1999
- 『精選 日本民俗辞典』 福田 アジオら編集 株式会社吉川弘文館 2006
- 『日本伝奇伝説大事典』 乾 真己ら編集 角川書店 S.61
- 『日本奇談逸話伝説大事典』 志村 有宏・松本 寧至編 (株)勉誠社 H.6
- 『日本神祇由来事典』 川口 謙二編集 柏書房株式会社 1993
- 『日本民俗語大辞典』 石上 堅著 桜楓社 S.58
- 『民俗の事典』 大間知篤三ら編集 岩崎美術社 1972
- 『神話伝説辞典』 朝倉 治彦・井之口 章次ら編集 株式会社東京堂出版 S.47第12版
- 『図説日本呪術全書』 豊島 泰国著 株式会社原書房 1998
- 『Truth In Fantasy54 神秘の道具 日本編』 戸部 民夫著 株式会社新紀元社 2001
- 『ビクトリア現代新百科 11』 渡辺 ひろし編集責任者 株式会社学習研究社 1973
- 『平凡社大百科事典 14』 大中 邦彦編集発行人 平凡社 1985
- 『広辞苑 第五版』 新村 出著 岩波書店 1998
- 『風の名前』 高橋 順子、 佐藤 秀明著 株式会社小学館 2002
- 『平凡社 | 気象の事典』 浅井 冨雄・内田 英治・川村 武監修 株式会社平凡社 1986
- 『文様の事典』 岡登 貞治著 東京堂出版 S.43
- 『日本文様図鑑』 岡登 貞治著 東京堂出版 S.44
- 『日本文様事典』 上條 耿之介著 雄山閣出版株式会社 S.56
- 『新約聖書』 前田 護郎訳 中央公論社 S.58
- 『新約聖書 福音書』 塚本 虎二訳 株式会社岩波書店 1982
- 『<旧約聖書Ⅱ> 出エジプト記 レビ記』 木幡 藤子・山我 哲雄訳 株式会社岩波書店 2000