1節.幻と現を越えた巫女

永きに渡り、諏訪大社(昔は諏訪神社といった)の一切の祭儀を取り仕切っていた神職・ 神長官(じんちょう)。

諏訪神社の祭神・建御名方神(たけみなかたのかみ)の末裔である大祝(おおはふり)の下でその能力を遺憾なく発揮した神長官は、一つの家柄によって世襲されてきた。

この一族の名を、守矢という。さらにこの守矢の一族を源流まで遡ると、そこにはある一柱の神の名が刻まれている。

――洩矢神(もりやのかみ)。

神代の時代、諏訪の地を統治していた神で、この地に侵攻してきた諏訪大明神・建御名方神との戦に負けたという土着の神である。

されど、その神は表立って虐げられることも、歴史上から名を抹消されることも無かった。

この神の血を受け継ぐ守矢の一族が、この地を統治する方法…秘伝の術を持っていたからである。

それ故に、守矢の一族は諏訪神社の祭儀を司る筆頭神官の職位に就くことになった。これは建御名方神の末裔であり、神の化身である大祝に次ぐ職位であった。

そしてこの神長官は、明治五年の神官制度廃止の令によってその職務を終えるまで、実に千年以上に渡って続いたのである。

現在では、惜しくも神長官という神職は失われてしまった。

それに伴い、一族に伝わっていた秘法も絶えてしまった。しかし、一方で現在まで脈々と受け継がれているものもある。

それは、守矢の一族の血である。明治の神官制度の廃止や、近代に起きた戦乱の時代も途絶えず、現在にまで伝えられた守矢の血は、今もって78代まで続いている。その洩矢神の末裔…守矢家78代目頭首が、守矢 早苗氏である。

洩矢神の末裔。風神を祀る人間。そして、”早苗”という名。祀られる風の人間・東風谷 早苗の由来はこの方であろう。

しかし、神長官はあくまで”祭儀を司る”存在であった。一方の東風谷 早苗は、”祀られる”風の人間であり、祭祀者でありながら、同時に民から祀られるという存在でもあった。

劇中で語られる”現人神”も、この人間でありながら神として祀られる者、というニュアンスであり、東風谷 早苗というキャラクターを構成する重要な要素の一因である。ここに早くも、現実世界と劇中での差異が生じている。

無論、『東方風神録 ~Mountain of Faith.』の中で語られている守矢の神社は、現実での諏訪大(神)社に典拠を置いているものの両者は別物としてみるべきである。

辛辣なようだが、守矢の神社は劇中での架空の存在であり、諏訪大社は実在する、日本最古の神社のうちの一社に数えられるほどの由緒正しい神社である。

我々は両者と向き合う際に、この点を忘れてはならない。

しかし、一方で東風谷 早苗の”祀られる側の人間”という要素が全くの架空であるかというと、そうでもない。

大祝。

諏訪神社の祭神・建御名方神の末裔とされる一族であるが故に、彼らは人間でありながら神の化身と崇められた。

ここに、東風谷 早苗の”祀られる側の人間”という要素を見出すことができる。

また、建御名方神が入諏する以前、洩矢神が諏訪の地を統治していた時代であれば、洩矢神の末裔である守矢の人間が祭祀者として崇められていた可能性もありうる。

これは『古事記』や『日本書紀』における神話においても天照大御神が女神である理由は、太陽神を崇める巫女の姿が神の姿として投影された結果であるという説や、水神を祀る巫女が神の姿として投影された為に、罔象女神(みずはのめおかみ)などの水神は女神として描かれることが多いといった説が存在する。

つまり、神を祀る巫女がそのまま神の姿に投影される、即ち、神を祀る者が祀られる神と同一視されるという例があり神を祀る者がいつしか祀られる側になってしまうことは特殊なこととはいえないからである。

さらに大祝について見てみると、他にも東風谷 早苗と関連を見出すことができる。

大祝の始祖は、伝承に拠れば有員ありかずという男児であったという。この有員、8歳の時に急に神懸かりを起こし、

我に躰からだなし祝を以て鉢をなせ

という神託を受けたという。以来中世から近世にかけて、大祝は8~15歳の童子が就任したという。

ここで、東風谷 早苗について見てみると、

幼い頃から、口伝でしか

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子供でありながら奇跡を起こす

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といった文を見出すことができる。ここで子供であることが強調されているのは、この大祝を背景として持っているからではないか、と考えることができるのである。

ただし、大祝は建御名方神の末裔であり、神長官が洩矢神の末裔である。

これらを踏まえると、東風谷 早苗はその名や「諏訪子の遠い子孫」(上同)であることから、実在する”神長官”と”大祝”という二つの神職をすり合わせて創られた架空の神職に就いている、と見ることができそうだ。


ところで、その架空の神職に与えられた名前は、”神長官”でなければ、”大祝”でもなかった。その神職の名は、”風祝(かぜはふり)”である。

この”風祝”もまた、平安時代頃の諏訪神社に存在していた神職である。

古文書にはまず、『十訓抄』第七に源俊頼の歌

信濃なる 木曽路の桜 吹きにけり 風のはふりに すきまあらすな

と、それに纏わるエピソードが見られる。また、これを『袋草紙』三(藤原清輔)では

信濃は風が強い為、風祝という神職を諏訪神社に置き、物忌みをさせると風が静まり豊作が期待できる

といった旨の解説を述べている。この解説に対し、宮地 直一氏は『諏訪史』にて風祝は風神の依坐(神霊をその身に宿す人)であると述べている。

その上で、風神を宿す人間、即ち風神の代理人である風祝を脅し、或いは物忌みさせることで荒ぶる風神を鎮め、風害を防ごうとした信仰ではないかと加えている。

この説を採るのであれば、風祝もまた、神そのものと同一視されていたことになる。

つまり、こちらも東風谷 早苗の”祀られる側の人間”という要素に結びつけることができるのだ。

また、祀る神は風神であり、これは『風神録』の名が表すように今作に登場する神である。

今まで見てきた神職から鑑みると、東風谷 早苗の就く神職・風祝とは、”神長官”、”大祝”、”風祝”という、いずれも諏訪神社に関する神職を包括する職位であるといえるであろう。

ところで、ここで一つ気がかりな点がある。

先に述べたように、神長官は明治五年の神官制度廃止によってその職位は失われた。大祝の職位は、その血と共に現代の時流の中でひっそりと絶え、幕を閉じたという。

風祝に関しては、一説には平安時代末期には既に消えていたと伝えられる。無論、現存はしない。

つまり、東風谷 早苗の神職・風祝の基となった職位はいずれも現存していないことになる。

東風谷 早苗は、その職位が既に”幻想”となってしまっていた為にいともたやすく幻想郷に足を踏み入れることができたのかもしれない。

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