守矢一族の祖神であり、説によっては守矢一族を表象した存在ともいわれる洩矢神。また同神は洩矢神社の祭神として現在もその名を残している。
一方の諏訪子は、東風谷 早苗の遠い祖先であり、ミシャグジ様を束ねる神でもあった。加えて、諏訪子は山の神様である。
諏訪の地には山に纏わる信仰が豊富であったし、洩矢神については、諏訪大社上社の御神体・守屋山との関連が指摘されていた。
―― 前節ではこのようにして、洩矢神と諏訪子の神格を比較してみた。
しかし何よりも、互いに共通する点といえば神戦であろう。ここで、この建御名方神との神戦を収めたものとして著名な『諏訪大明神絵詞』を中心として室町時代に固定されていた伝承に着目したい。
すると、諏訪大明神(建御名方神)と洩矢神(守矢一族)をある共通したシンボルを用いて表しているものが幾つも見られる、と藤森 栄一氏が述べていたことが窺える。
そのシンボルとは、蛇と蛙である。蛇は蛙の天敵であるということからか、蛇は神戦の勝利者・建御名方神、蛙は敗北者の洩矢神に割り当てられている。
この蛇と蛙の対応は、注連縄を蛇の見立てとして自らのシンボルにしている神奈子と、蛙の神様である諏訪子の両者に合致する。
特に諏訪子には蛙の演出が数多く用いられている。
まず、服やスカートには各々一匹・三匹の蛙が描かれている。これは十二世紀頃に描かれたといわれる『鳥獣人物戯画』(甲巻)に拠るものであろう。このうち、スカートの三匹はスペルカード行使中の背景にも連続して描かれている。また、スペルカード行使中の背景には諏訪子の影の裏にも巨大な蛙の影が描かれている。
さらに、開宴「二拝二拍一拝」発動時から諏訪子自身も青い蛙の影を纏う。帽子に付いている目玉も蛙に纏わる演出と思われる。
そして、蛙の演出は諏訪子自身の行使するスペルカードにも表れている。
蛙狩「蛙は口ゆえ蛇に呑まるる」
土着神「宝永四年の赤蛙」
を始めとして、
土着神「ケロちゃん風雨に負けず」
はその名称も相まって、諏訪子と蛙の関連をより強固に結び付けているといえるだろう。
では、今列挙したスペルカードを各々見てみよう。
まずは、土着神「ケロちゃん風雨に負けず」について。
「風雨に負けず」とは、おそらくは宮沢 賢治著『雨ニモマケズ』の有名な書き出し
雨ニモマケズ 風ニモマケズ …
からと思われる。弾幕もその名を具現するように、風雨を表すものであろう二種の弾より成る。
この一節がスペルカード名に用いられたのかを考えるならば、それは文言の中に”風雨”の文字が含まれている為であろう(無論、風雨を神奈子のこととして、神奈子への対抗心の表れであるとも考えられる)。
一方の「ケロちゃん」とは、蛙の鳴き声を擬音化し、俗的な呼称となったものであると思われる。
ここでは蛙を表す語としたい。
そこで挙げるのは、蛙の鳴き声を雨の前兆とする俗信である。
この俗信は全国的に知られていると思われる。ところで、『古事記』には蛙を神格化した神が記されている。
それは、多邇具久(たにぐく)であり、その名の”グク”は蛙の鳴き声を表しているといわれる(これは余談だが、鳴き声を名前として用いているという点ではケロちゃんとも通ずるように思われる。もしかしたら「ケロちゃん」のネーミングは、この神を意識したものだったのであろうか)。
さて、この多邇具久は『古事記』の中でも大国主命の国造りの神話において登場する。
大国主命が国造りを行っていた際、大国主命のいた御大の御崎に、海の彼方より流れてくる舟があった。漂着してきた神は少彦名神(すくなひこなのかみ)。
しかしその正体を、その場にいた者は誰一人として知らなかった。
そのような場面において、
此者(こ)は久延比古(くえびこ)必ず知之(し)りてあらむ。(原文は漢文)
と助言をしたのがこの多邇具久であった。
ここで登場する久延比古は第1章・秋 穣子考察で記したように案山子の神であった。
一方、蛙もよく水田に現れることなどから、案山子(久延比古)と蛙(多邇具久)が結び付いたと考えられている。そうした関連から、蛙は田の神、もしくはその使者と考えられたようである。
これらの点から、蛙には水神、ないし田の神といった要素を窺うことができる。そして、このように蛙が水(水田)と密接に関わりがあったからこそ、「ケロちゃん」の語と「風雨」の語とが結び付いたのではないだろうか。