5.蛙の表象2

さて、今度は前節にて挙げたスペルカードのうち、土着神「ケロちゃん風雨に負けず」以外のスペルカードについて見てみようと思う。

そこでキーワードとなるのは「蛙狩」である。

「蛙狩」とは、諏訪大社上社・本宮において正月一日に執り行われる神事である。その内容を端的に述べるのであれば、神社前の御手洗川で冬眠中の蛙を捕り、神への生贄として捧げるというものである。

この神事の意義については、人間の食料としての意義を求める説や、古文献の記述から蛙を蝦蟇(がま)(蟆)神という一つの神格として
みなす説など、諸説ある。そして、その中には蛇神に捧げる生贄として蛙を捧げるものであるという説もある。

先の蝦蟇神の説では蝦蟇神のみで完結しているのに対し、こちらではまず蛇の神という存在があり、それに対するものとして蛙を生贄にする、という関係図が成り立っている。

さらにこの蛇神と蛙の関係を一歩進めて、蛇神は明神、即ち建御名方神であり、生贄となる蛙に洩矢神を宛がい、双方の関係を表すものではないか、という考えも存在する。

このように、諏訪における蛙狩神事の意義については諸説あるものの、守矢の神社に伝えられ、これに該当すると考えられる神事については至って簡明に記されている。

新しい王国の神事にも、蛙を生贄とする事などを盛り込み、

人間に『この王国は蛙に代わって蛇が支配した』

とアピールし続けた。

「キャラ設定.txt」

つまり、守矢の神社における神事の意義は神奈子と諏訪子の関係を示す為のものであり、その点は先の一文に帰すと考えられる。

そこで次に、「蛙は口ゆえ蛇に呑まるる」の言葉に着目したい。これは一つの諺で、”言うべきことではない無用なことを口にして災いを招くこと”をいう(同様の意味を持つ諺の一例は”雉も鳴かずば撃たれまい”)。これを宛がってみたい。

諺の中には”蛙”と”蛇”の文字が見えることから、神奈子に反抗したことによって倒された諏訪子自身を指しているのではないかと考えられる。

またその弾幕の形状、渦を巻く全体は蛇、それを形成し一定時間後に拡散する(飛び跳ねる)各々の弾は蛙を表していると思われる。

そのように考えた時、弾幕を蛇の出現の後に、その蛇を消すように蛙が出現している、という構図に見ることができる。

この諺の意味と弾幕の演出を鑑みると、まず諺の意味から神奈子の侵略に反抗して敗北したことは認める。

しかし、その弾幕の演出に現れるように、蛇(神奈子)に食べられた(平らげられた)としてもなお、蛙(諏訪子)はいずれ復活する、という対抗心の表れと見て取れそうだ。

しかしその一方で、何度蛇に食べられても蛙が地上から消えないというのは、食物連鎖という一つの生と死の繰り返し、循環の構図に通じるように思われる。

その循環、輪は脱皮を行う蛇、また注連縄を擬してそれをシンボルとする神奈子の神徳にも重ねられるのではないだろうか。

加えて、諏訪の地で蛙狩神事が行われるのは正月一日であり、新たな一年の始まりの日である。

それは年という単位での時間の境界であり、生と死に宛がうのであればその日は始まりということから生、また再生の意味を持つと思われる。その為に、弾幕の演出も蛙の出現後に蛇に食べられるのではなく、蛇の出現後に蛙が出現する、つまり蛇に食べられるという死の後の再生を表しているのではないだろうか。

なお、神奈子のシンボルである蛇は冬眠(冬に土の中に隠れる(擬似的な死)と春に再び地上に現れる(再生)ことと結び付けられる)や脱皮という生理的行為を行う為に、生と死の循環の要素を自己完結しうるといえる。

蛙も冬眠を行うという点では生と死の循環を自身のみで表すことができるといえる。

しかし、そこに蛇という捕食者が絡んでくることで生と死、再生のイメージをより強めることができたのではないだろうか。

ところで余談ではあるが、蛙狩神事の後に行われる御占神事(その年の神使や御頭を占いで選出する神事)は、御占(詳しくは後述)で行われた為に一般の人間が見ることはできなかったという。その御占神事では、御頭などの選出に関して次のような俗伝が伝わっていたという。

それは、”蛙の跳ぶ方向によって、その年の御頭を決定した”というものである。この俗伝があるならば、スペルカード中の弾幕(飛び交う蛙)の姿は、より一層呪術的な力を孕んでいるように見えるかもしれない。


さて、蛙狩神事に纏わる伝承は他にもある。それは、次のような出来事である。

宝永三年、十二月晦日(大晦日)、諏訪神社上社本宮は大雨に見舞われた。氷結していた御手洗川の氷も解け、翌朝の蛙狩神事は絶望的に思われた。

ところが翌朝に神職達が訪れてみると、神前の階段には蛙がおり、これを供えることで無事に神事を済ませることができたという。

なお、蛙の数を『諸国圓會年中神事大成 ―正月』(『古事類苑 四神祇部』諏訪神社の項より引用)では三匹、『本朝俗諺誌(一ノ二〇)』(『宮地直一論集 穂高神社史・諏訪神社の研究(上)』より引用)では二匹と記している)。

この出来事が起きたのは、先述からも窺えるように宝永四年元日である。また、かつては不明だが、近代における蛙狩神事で捕らえられる蛙は赤蛙科の蛙であったようだ。

この二つの点より、土着神「宝永四年の赤蛙」も蛙狩神事に準ずるスペルカードであることが判る。弾幕の形も、発生時は密集いていた弾が一定時間後に拡散するというタイプであり、蛙狩「蛙は口ゆえ蛇に呑まるる」のそれと一致する。蛙の数は先述の通り記事によって異同はあるものの、諏訪子の分身の数とおおよそで一致しているといえないだろうか。


ちなみに、奇しくも宝永四年は富士山が大爆発した年でもある。

諏訪子は山の神様とされていた。土着神「宝永四年の赤蛙」での赤い弾幕は無論赤蛙を模したものと考えられるが、一方では噴火によって噴き出したマグマとも見て取れなくはない。

宝永四年の珍事が一つのスペルカードとして形を見たのは、それが蛙狩神事における霊験を示すものだったというだけでなく、富士山という日本を代表する山の事件を背景として、諏訪子の山の神様としての神格も兼ねた
ダブルミーニングだったのかもしれない。

コラム.3 ― 蛇と蛙とミサクチ神 ―

さて、第4節と先の節では諏訪子と蛙の間の関係について見てきた。

蛙狩「蛙は口ゆえ蛇に呑まるる」の項では、それに関連して守矢の神社における蛙を生贄とする神事についても述べた。

劇中ではその意味合いについて神奈子 ― 蛇 ― 征服者、諏訪子 ― 蛙 ― 被征服者という一連の関係で収まっているように見える。

一方の諏訪大(神)社でも、『諏方上社物忌令』(神長本)には

御座石ト申ハ正面ノ内ニ在リ、件之蝦蟆神之住所之穴

龍宮城エ通、蝦蟆神ヲ退治、穴破石以塞、其上ニ坐玉シ間、

名テ石之御座石ト申也

「七不思議事」には

正月一日蝦蟆狩之事、蝦蟆神大荒神成、天下悩乱時、

大明神彼ヲ退治御座し時、四海静謐之間、

陬波ト云字ヲ波陬なりと読り、…(後略)

と記されているなど、蛙を神格化していたらしき形跡が見られる。ただし、この蛙の神と洩矢神の関係は、諏訪子のように直ちに互いをイコールで結び付くわけではないようだ。

また、諏訪の信仰において重要な役目を持つミサクチ神においては、蛇との関連を思わせる記述もある。『神長守矢史料館のしおり』(文・藤森 照信氏)には

諏訪信仰の最も奥に生きづくミシャグチ神は、

冬になると前宮に造られた御室と呼ばれる竪穴住居の中に籠る。

同時に巨大な蛇体も中に入れられ…(後述)

と記されている。一方、原文は中世の文献である『年内神事次第旧記』では十二月二十二日の御室入りの際に、

御左口神組み申葦ハ、御室奉行役にて出。

とあり、同書の武井 正弘氏の校註に拠れば、

御室に御奉置する御左口神を、葦で組み合わせて造る

とある。その様子から、御室に入れられるミサクチ神の御神体は葦で造られたと考えられる。この御室入りの後、二十三日には”小蛇入”と記され、同氏に拠れば「藁で小さな形代蛇三体を造る。」とあるので、ミサクチ神の御神体、神職と共に、藁製の蛇が御室に入れられたようである。

これらの記述のように、ミサクチ神と蛇の関連を指摘する声もよく聞かれる。また、この十二月下旬から三月にかけて神長官や大祝が御室に籠もることになるわけだが、この神事の中ではミサクチ神以外の神の名前も見える。

十二月晦日の御室神事では年男と小別当とが各々”年神”と”釜ノ神”とに擬せられて盃事の所作を行うという。また、十二月二十三日の藁蛇の形代を入れた後に

そそう神あま(現)わり給たれは、うれ(嬉)しよろ(悦)こひてつか(仕)へ奉つりぬ

という一文があり、”そそう神”なる存在も示唆されている。文脈から判断すればこの”そそう神”が蛇である、という見方も可能であり、その点について指摘する学説もある。

『風神録』においては、諏訪子がミシャグジ様のリーダーであり、その姿が蛙であることから蛙のイメージが先行しがちであるが、やはりその具体的な姿は記されていない。

確かに、諏訪の信仰においても『諏訪大明神絵詞』の記述のように建御名方神 ― 大祝 ― 蛇、洩矢神 ― 神長官 ― 蛙という関連を述べたものも見られる。その一方では、先述のようにミサクチ神は蛇と関連が深いとされたり、また他の神との関わりがあったり、というように現実はそう簡単にはいかないようである。

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