2.橋姫 ― 嫉妬

前節では宇治の橋姫に纏わる伝承を紹介した。

ここで”嫉妬”という要素に着目してみると、宇治の橋姫の物語からは自身を鬼と為し、人を呪い殺すまでに至る程の凄まじい嫉妬を窺うことができる。

また、相手の男を殺すものとは異なる伝承においても、もう一人の妻が橋姫に対して嫉妬していることなどを見ることができるし、”宇治の橋姫は嫉妬深い神である為、婚礼の際には橋を渡ることを忌んだ”という言い伝えをも残していたという。

なお、橋姫という存在について見ると、宇治橋だけに限らず、諸国の古く由緒のある端にも橋姫の存在が認められており、橋姫は一般に嫉妬深いと考えられていたようである。

※これは橋の上で他の橋について話すと橋の神が怒る、或いは『葵上(あおいのうえ)』や『野宮(ののみや)』といった女性の嫉妬に関連した謡を謡うことが禁じられた、などといった言い伝えがあることからも窺える。

一方、パルスィについて見ても、嫉妬の要素を多く見付けることができる。

例えばその二つ名である「地殻の下の嫉妬心」は、無論パルスィがいる場所(地下)を示し、その上でパルスィ自身を嫉妬心と称しているのだと考えられる。

加えて、その「嫉妬心を操る程度の能力」や、「非常に嫉妬深」い(キャラ設定.txt)といった能力や性格からもパルスィと嫉妬という要素が
強固に結び付いていることが窺える。

さらに、パルスィのスペルカードである 妬符「グリーンアイドモンスター」、嫉妬「緑色の目をした見えない怪物」 もその一端として挙げられる。

その名前に”妬”や”嫉妬”といった文字が含まれていることはさることながら、”green-eyed monster(直訳すると”緑眼の怪物”)”は英国の著名な劇作家、ウィリアム・シェイクスピアの作品である『オセロー』(第三幕第三場)にて以下のように記されている。

It(=jelousy:筆者注) is the green-eyed monster

which doth mock the meat it feeds on.

訳せば、”嫉妬は緑色の目をした怪物で、人の心を餌食として弄ぶ”といった感じになろうか。

この記述から、”green-eyed monster”は嫉妬を表す単語となり、”green-eyed” は”嫉妬深い”という意味の形容詞として現在も用いられる慣用句となっているようだ。

また、同者の作品『ヴェニスの商人』(第三幕第二場)では”green-eyed jelousy”という表現も用いられているようだ。

これはパルスィのテーマ曲「緑眼のジェラシー」に通ずる表現であろう。”jelousy”も嫉妬を表す単語である。

これらのように、スペルカードの名称やパルスィ自身の瞳の色が緑色であることは、いずれも自身の凄まじい嫉妬を表しているといえそうである。


さらに嫉妬の要素は他のスペルカードについても見ることができる。

前節で述べた丑の刻参りも嫉妬と密接な関係がある。

加えて、さらに他のスペルカード 花咲爺「華やかなる仁者への嫉妬」、花咲爺「シロの灰」 について見てみよう。

「花咲爺」とは五大御伽噺の一つに数えられる有名な昔話で、近世の赤本や赤小本などにも収録されている。

題名は枯木に灰を撒いて花を咲かせた主人公の爺の行動であるが、その結末を伝える例は意外に少ないようだ。

ここで物語本編ではなく少しその背景について見てみたい。

この花咲爺については、花咲爺の物語よりも灰を撒くとその灰が空を飛んでいた雁の目に入り雁を狩ることができたという”雁取爺”の方がその伝承を伝える地域の分布が広く、このことなどから柳田 国男氏は”花咲爺”の説話の祖形が”雁取爺”だと説いたようである。

なお、これに併せて中国や朝鮮半島には拾った犬が田を耕したなどと伝える”狗耕田”などと称した説話が伝えられ、日本の”花咲爺”との関連が注目された(ただし”狗耕田”の話で対立するのは兄弟であることが多いという)。

さて、そのような背景も踏まえて物語を見てみる。

まず、主人公の爺は犬を拾い、その犬が吠える場所を掘ってみると宝を発見する。

これを隣に住む爺が羨み、犬を借りて同じことをさせるが失敗し、怒って犬を殺して埋めてしまう。

その場所に植えた木が一晩のうちに急成長し立派な木になったので、主人公の爺はその木から臼を作って挽くと金銀が出てきた。

再び隣の爺は臼を借りてこれを挽くが、やはり失敗して臼を燃やしてしまう。

主人公の爺はその灰を貰い、枯木に撒くと花が咲いた。そして、これが殿様の目に留まり褒美を頂いた。これにまたしても隣の爺が灰を借りて撒くも、殿様の目に入って懲罰を受けてしまう、というのがその物語のあらすじである。

物語がこの形に整ったのは近世に入ってからだといわれるが、この広く知られた物語をパルスィと関連付けて見るのであれば、数々の幸運を得た主人公の爺に対して隣の爺が嫉妬する、という構図で解釈できると思われる。

つまり、この物語をモチーフにしたスペルカードもやはり嫉妬に関連したものであると見る。

なお、スペルカードの名称にある”仁者”とはなさけ心の深い人のことで、「華やかなる仁者」とは花を咲かせた主人公の爺のこと、そして隣の爺が嫉妬している、ということであろう。

また、弾幕の演出は主人公の爺が灰を撒いて花を咲かせる様子を模したものであると考えられる。

加えて、「シロの灰」という名称についてであるが、シロという単語は犬の名前であろうと想像できる。

しかし、物語中で花を咲かせることになった灰は臼のものであった。

さらに犬について見ても、シロという名前が付けられた例は(少なくとも筆者が収集した資料の中では)見受けられなかった。

ただし拾った犬が白い犬であったと伝える例(越前阪井郡、越後南蒲原)
や、岡山県の”ごろ太郎”など犬に名前を付ける例が見られることから、シロという名前を付けた事例が無かったとは断定しかねる)。

一方この点について、物語の一連の流れは犬の力によって主人公の爺が幸運を得るものであると解されるように、臼も犬の加護の範疇であったと考えられる。

さらに、色の”白”の字は”臼”に似ていることから、「シロの灰」は臼の灰を思わせつつも、同時に犬の霊験を思い起こさせるような意味を含ませたネーミングであったのかもしれない。


ところで、次のスペルカードも嫉妬に纏わるものであるといえよう。

舌切雀「謙虚なる富者への片恨み」、舌切雀「大きな葛籠と小さな葛籠」 こちらも「花咲爺」と同様に五大御伽噺の一つとされ、赤本などにも記された。

その概ねの筋書きは次のようなものである。

ある爺婆が雀を飼っていたが、ある日雀が糊を舐めてしまう。これに怒った婆が雀の舌を切って放してしまう。

爺はこれを追って探し、雀の宿に辿り続いて歓待され、土産として大小の葛籠のうち小さい方を持ち帰ってみたところ、中に宝が入っていた。

婆がこれを真似て大きい葛籠を選び持ち帰るが、中に妖怪(或いは蛇など)が入っていて失敗したという。

この物語には異なるパターンが幾つもあり、

  1. 先述のものでは登場人物が爺婆であるが、爺婆の立場が逆であったり、爺婆が隣人であったりする場合もある。
  2. 爺婆が雀の宿を探す際、不浄かつ不可解な難題(馬の洗い水(血、排泄物)などを飲食する、など)を課せられる場合もある。
  3. 大きな葛籠の中に入っているものは妖怪であったり蛇であったりと幅があり、またそれに対する婆の対応も驚いて死ぬ、食い殺されるなど結末にも異同がある。

といった点で差異が見られる。

※余談ではあるが、”五大御伽噺”とは、『日本民俗大辞典』(上)では「伝承に書物の影響が加わって一般に普及した五つの昔話」とされており、花咲爺や舌切雀は明治時代に五大御伽噺と呼ばれたものである。
これらの説話は原話からの再話、出版を繰り返す過程で合理化などの変更が加えられおり、民間上の伝承とは差異が生じている、或いは画一化された物語が広く流布したという点で、書物の物語がそのまま昔から民間で伝えられてきたものだと考えるのは危険であるなどの点は留意すべきであろう。
例えば、舌切雀の場合赤本などに記されている物語では上の難題が課せられている場面が省かれている。

しかしながら、舌切雀の物語での雀は神霊などの霊的存在の具現であった、と考えられる点はほぼ共通しているといえるであろう。

ところで、この物語とパルスィとの関連を見るならば、まず謙虚はつつましいこと、片恨はある二者がいる時、片方の者のみが恨みを持つことであるから、「謙虚なる富者」とは大小の葛籠のうち小さい方を選び、結果宝を手にした爺のこと、その爺に対して婆はそれを羨み片恨みした、という構図を表していると考えられる。

そして、婆が爺に対して嫉妬している、という点からパルスィ、嫉妬との関係が窺える。

また、「大きな葛籠と小さな葛籠」とは物語中の大小の葛籠を指し、それらは各々大玉と小玉を放つ二体のパルスィによって表現されていると考えられる。

それは、物語の婆と同様に大きな葛籠(大玉を放つ方のパルスィ)を選ぶ(ショットを当てる)と大量の撃ち返しを浴びせられて、より自機が困難な状況に立たされることになる。

一方で小玉を放つ方のパルスィを狙えば撃破ができる、というような弾幕の演出からも窺えるであろう。

なお、花咲爺と舌切雀は共に五大御伽噺の一つであるという共通点を持つが、もう一つ共通点が見られる。

それは、伝承によって花咲爺の犬も舌切雀の雀もその出自に水が関連(川の上流から流れてきた箱や籠に入っていたなど)して語られることがあり、これを桃太郎や瓜子姫のような異常出生譚の一と捉えられることである。

これは犬や雀が霊的存在としての役割を持っていることを示唆させるが、その出自に”水”が関連することもあるということは、パルスィの姓に”水”の文字が含まれていることから、留意すべきかもしれない。

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