これまで宇治の橋姫について、第1節ではその伝承について、前節ではその性格の一として嫉妬深いこと、またパルスィについて嫉妬と関連する事物を述べてきた。
さて、橋姫という存在は宇治の橋姫以外にも存在すると前節の冒頭部で軽く触れた。
他の橋では嫉妬の伝承を伝えていない場合もあるが、摂津の長柄橋、近江の瀬田橋などにも橋姫は存在しているという。
こうした橋に祀られる神霊、即ち橋姫には大きく分けて二つの性格が認められる。
一つは、広く見ればその信仰は水神信仰の一種であるとされること、もう一つは境界に纏わる神という性格である。
まず前者について見れば、橋は一般に川の一方の岸とその対岸を繋ぐ機能を持っている。それ故に水との関連が深く、また水神が多く女性として捉えられてきたことから女性とも関連が深いと考えられる。
次に後者について見れば、先述した橋の機能故に橋が一種の境界であると考えられていたことが挙げられる。
つまり、橋によって繋がれた一方の岸をこの世とすれば、対岸はあの世に該当し、橋自体はこの世とあの世を繋ぐ境界地点と見ることができる。
それ故に橋姫には塞の神(道祖神)と同様に外部からの災厄・悪霊などの侵入を防ぎ堰き止める役割が考えられる。
※なお、柳田 国男氏は古く橋に神を祀るのは、こうした外部からの侵入者を防ぐ為に道祖神と同様に男女二神で祀ったものであると唱えたようである。
加えて、この男女二神という点から安産や子供の健康を祈願する信仰に通じたとも考えられるようであるが、これには水神が女性と深く結び付いていたという先述の事象も関連していたと考えられなくもない。
一方、”橋”という語に注目してみても境界という要素が窺える。
第1節のコラムで紹介したように、鬼が出没し渡辺綱を襲おうとしたのは一条戻り橋であり、この橋は多くの百鬼夜行が出現し、或いは死者が蘇生したというような伝承も伝えられている。
これも橋が岸と岸を繋ぐ、即ちこの世とあの世を繋ぐと考えられていた為に妖怪が出現したり、死者が蘇生するといった現象が想定しやすかったのではないだろうか。
ところで、橋に出現したのは妖怪の類だけではなかったらしい。
神話において瓊瓊杵尊が降って来たのは天浮橋を経てのこととも伝えられ、また『丹後国風土記』(逸文)では天橋立は伊邪那岐命が天上と地上を行き来する為のものであったが、伊邪那岐命が眠っている間に倒れてしまった、などと伝えられるように神もまた”橋”を経由してこの世に出現すると考えられていたこともあるようだ。
さらに、”ハシ”という音は”端”と関連し、即ち村落の端、境界を意味する語と考えられるように、その語自体が境界という要素を持っていたと考えられる。
そうした境界である為に、異界の存在(神や妖怪)が出現し、或いはこの世のものとは思えないような事象が発生すると捉えられていたようである。
さて、一方パルスィについて見てみたい。
まず、”水”との関連はその姓に”水”の文字が含まれていることが挙げられる。
加えて、前節の最後で述べたように花咲爺の犬や舌切雀の雀の出自が”水”に掛かっていることがある、ということも挙げられようか。
さらに、パルスィのスペルカード行使中の背景に渦巻き模様が見られることも、水との関連を窺わせる一因と見ることもできよう。
次に、”境界”或いは”(境界としての)橋”との関連を見れば、自身が橋姫という種族であることからその要素を持ち併せていることは十分に考えられる。
そこで関連すると思われる事項を列挙すると、まず先述と同様にパルスィの姓に”橋”の文字が含まれていることが挙げられる。
また、パルスィのスカートの裾が橋の橋脚を模していることも挙げられる。
一方境界との関連をいうならば、劇中でパルスィのいる場所は地上と地下の旧都(旧地獄跡地)を繋ぐ洞穴であったことがその最たるものであるといえるのではないだろうか。
つまり地上は現世、この世であり、地下の旧都は元地獄跡地であったことから、あの世、死後の世界と捉えることができる。
故にパルスィのいた洞穴は橋と同様にこの世とあの世を繋ぐ境界地点であったと考えられるのである。
そして、パルスィは
地上と地下を結ぶ縦穴の番人というか守護神
キャラ設定.txt
とあるようにその境界地点の守護者であった(この点については劇中でも紫や萃香、パチュリーが言及している)。
これは宇治の橋姫に見られるように境界地点の守護者という点で一致しているといえるのではないだろうか。
なお、Stage2に突入した際に出現するテロップは「地上と過去を繋ぐ深道」、「地獄の深道」であり、過去を旧地獄跡地のことと解せば、このステージそのものが境界としての性質を備えているといえるであろう。
加えて、Stage2道中曲の名は「渡る者の途絶えた橋」であり、地上と地下を繋ぐ洞穴を”橋”と表現していることが窺える。
「渡る者の途絶えた」というのは、現在この地上と地下の旧都を繋ぐ洞穴を利用しているものがいないらしいことからも頷けるのではないだろうか。
これらのように、境界地点の守護者としての性格も、パルスィについて見る上で重要な要素であることが窺える。
コラム.2 ― 666の獣
現在、地下666階
逆さ摩天楼の果てまでようこそ
これは、アリスをサポートキャラに選んだ際にパルスィが言うセリフである。
摩天楼とは高さがとてつもなく高い建造物のことであり、魔理沙・アリスペアはダンジョンを進むつもりで劇中を進んでいるので階層が話題に出現するのであろうが、
ここで登場するのが666という数字である。
この666という数字は、『新約聖書』聖ヨハネの黙示録に登場する獣に纏わるものとして広く膾炙している。
ただし、この黙示録の内容は非常に難解であったりする為、その獣についても未だに謎であり、多くの説が取り沙汰されている。
また、この獣には名が無く、よくても”獣”と呼ばれる程度であることなど不可解な点も多い。
この獣についての描写は、黙示録の中では三回であったといわれる(ただしその度に描写が異なるので、獣の数についても異同がある)。
その一としては、一頭の獣が海から上がってきたとされ、十本の角と七つの頭を持つ。
その十の角には王冠があり、神を冒涜する名が記されていた、などとその説明がなされている。
二番目の描写は、地中より上がって来て、二本の角と一つの頭を持っていた、などというものである。
そして最後の獣は一人の女がまたがっている赤い獣で、前身の至る場所に神を冒涜する名が記されており、七つの頭と十本の角があった、
というようなものである(これらの中で、最初の描写と最後の描写が類似している為、この二つの描写の獣を同一視する例もある)。
このうち、最初の描写について着目する。
その描写の解釈として有名なものが、古代ローマ帝国のネロ帝、またその治世を表しているとする歴史的解釈である。
これについて、七つの頭はローマの七つの丘、或いは七代続いた皇帝のことであり、十本の角は家臣としての十人の王、というように当て嵌めて考えたものだという。
しかしそれよりも著名なものは、獣とネロ帝の間にある共通点であろう。
ヘブライ文字には表音、表意だけでなく数値も対応している(例えばヘブライ文字の最初の文字アレフには1、次の文字ベートには2、といった具合である)。
そこでネロ帝という語をヘブライ文字で表し、その文字ごとの数値を足し合わせると666となるのである。
何故パルスィがこの数字を唐突に用いたのかは定かではないが、黙示録の際に登場する獣の象徴といえる数字故に、そのイメージは決して良いものではないだろう。
不吉であることを仄めかす為に、この数字が用いられたのかもしれない。