“風”は古来より、農耕の敵とされてきた。
山より吹き降ろす強風は上空との温度差によって冷害をもたらしたり、或いは山を下る際に急激に温度を上げて熱風となり、フェーン現象をもたらすこともある。
どちらにせよ、農作物にとっては芳しくない。さらに、秋に日本にやってくる台風は強風や豪雨をもたらし、収穫前の稲田を始めとする農作物に壊滅的な打撃を与えることもしばしばである。
こういった背景から、風にはマイナスのイメージが付き纏い、農耕に携わる人間からは忌み嫌われることも多い。
風神、風を司る神という存在を考える際には、こうした風の一面を考慮に入れる必要があるだろう。
中世より日本の山を跋扈してきた妖怪・天狗もまた、暴風を起こす存在である。
その身は宙を自在に飛翔し、一度その手に握られた羽団扇を扇げば、人間さえも遥か遠くまで吹き飛ばすような強風が発生するという。
風神「風神木の葉隠れの術」
風神「天狗颪」
これらは、”風を操る程度の能力”を持つ鴉天狗・射命丸 文の力を表したスペルカードであるといえるだろう。
“木の葉隠れの術”という名は、忍法などでよく用いられる、無数に舞う木の葉の中に身を潜めるような術がイメージできる。
実際は木の茂みなどに身を隠すような術であったようだが、劇中の、無数の木の葉に見立てられた米弾を自分の周りに旋回させて己の姿を隠す演出は、前者のそれを体現しているといって良いだろう。
ところで、その術に用いられる”木の葉”に着目してみると、風は五行(木、火、土、金、水)の木に当たる。
つまり、風と木は五行の中では同じ属性に当たり、”風 ― 木の葉”は決して縁遠くはなく、しっかりとした繋がりがあることが判る。
一方、上位版のスペルカードの名に用いられている”颪(おろし)”とは、山から吹き降ろす風のことをいう。
先述した通り、天狗は山に棲むと考えられていた。また、劇中で文が登場する場所は妖怪の山であり、山と関わりを持つという意味では、颪は天狗と繋がりがあるといえるだろう。
天狗は山中で、数々の怪異を為すと考えられてきた。どこからともなく笑い声が聞こえるという”天狗笑い”、突然木が倒れる、或いは木を伐るような音がするという”天狗倒し”、どこからともなく小石や岩が落ちてくるという”天狗の礫つぶて”などである。
その中に、”天狗風”という怪異が存在する。
これは天狗が起こす風といわれ、どこからともなく吹き降ろす旋風をそう呼ぶのだそうだ。風神「天狗颪」のスペルカードも、これを模すように弾幕が螺旋状に回転しており、旋風の様子を表しているといえるだろう。
すると、このスペルカードの名は、天狗の起こす風といわれる旋風”天狗風”と、山と関連の深い”颪”の名をかけあわせた名であると考えられる。
なお、演出に当たっては弾幕を放つ際に文は逐一羽団扇を振っており、その力の源が羽団扇であることを匂わせている。
風神「二百十日」
二百十日、とは立春(2月4日)から数えて210日目のことを意味する暦の上での一つの名である。
太陽暦では9月1日頃を指す。多くの地域ではこの時期は稲の実の開花期であるが、一方で台風の襲来が多い時期でもある。
故にこの日は稲作を行う者の間では厄日として忌む風習がある。
収穫前の稲に壊滅的な打撃を与える台風の襲来は、稲作で生計を立てる者にとってはまさに死活問題だからである。
スペルカード中の弾幕は、下位版と同様に弾が旋回するが、こちらはその名から、台風を模したものであろうと考えられる。
その名のように台風の如き暴風を起こすのだとすれば、文の力の強大さを窺い知ることができる。そして、その強大な力を体現するスペルカードが、次のものであろう。
「幻想風靡」
「無双風神」
“風靡”とは、ものが風で靡くかのように、多くの人間があるものに従う様子を表す。上位版の”無双”とは、”並ぶものが無い”、即ち”最も優れている”ということを表す。
どちらのスペルカードも、”風”の文字を含んでいることに注目したい。文が風を操る能力を持っている故のネーミングであると考えられるからだ。
また、天狗は中世よりその猛威を振るい、時に修験道系の寺社で祀られることもあった。その信仰が一世を風靡することさえあった。
その如く、幻想の世界を風靡するように高速で画面を翔けるその力は紛れも無く本物であろう。
また、Stage4ボスにして耐久弾幕を仕掛けてくるという特異さも、これを表しているといって良いだろう。
加えて、上位版の名は幻想郷最強と謳われる博麗の巫女・博麗 霊夢の代表的なスペルカード「夢想封印」と音が酷似している。これらを包括して考えると、文の力の強大さが改めて窺える。
手加減してあげるから
本気でかかってらっしゃい
文と相交える直前、彼女はそう言った。
その言葉通りであるならば、彼女はまだ本気を出していない。しかしながら、先のスペルカードはその力の一端を垣間見せるものであったといえよう。