天照大御神の孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天上の高天原(たかまがはら)より地上の葦原中国あしはらなかつくにに降りようとしていた。
その際、瓊瓊杵尊は多くの神々を従えており、一行は天地の間にある”天の八衢(あめのやちまた)”へと辿り着く。
そこは無数の分かれ道で、道を間違えれば正しい場所には辿り着けないという難所であった。そこに、「上は高天原を光てらし、下は葦原中国を光す神」がいた。
この眩く正体不明の神に対し、高天原より天鈿女命(あめのうずめのみこと)が派遣される。そして、天鈿女命はこの神に対してその正体を問う。
すると、光り輝く神は”私は国津神(地上の神)で、名を猿田彦(さるたひこ)といいます。天照大御神の孫・瓊瓊杵尊が天降って来ると聞き、その先導の為に参上したのです。”という旨を答えたという。
そして、この言葉通り猿田彦神は瓊瓊杵尊ら一行を地上へと案内し、無事に地上の葦原中国に到着させたという。
――以上が、『古事記』などに記された”天孫降臨”の神話のあらすじである。
ここに登場する猿田彦神は、『古事記』でに拠れば先述した通り、上は高天原(天上)、下は葦原中国(地上)までを照らす神であったという。
一方、『日本書紀』では
鼻の長さ七咫(≒約1.2m)、背の高さ七尺余り、また口尻明るく輝れり、眼は八咫鏡やたのかがみの如くして照り輝くこと酸漿ほおずきに似たり
と記されている。
これらの記述から、猿田彦神のおおよその容姿が想像できる。
まず、『古事記』『日本書紀』に共通していることはその全身が眩く光り輝いていたことである。
八咫鏡とは三種の神器の一つで、天照大御神が天の岩戸に篭もってしまった際に、石凝姫命(いしこりひめのみこと)によって作られ、天照大御神を岩戸より外に誘い出す際に用いられた神具である。
その後、天照大御神の御神体とされたことから太陽と深く結びついており、その眩さを形容する言葉になったと考えられる。
その外、非常に長身であることなどが判るが、もし猿田彦神が目の前にいるとすると、何より最も人の目を惹くのはその七咫の長さを誇るという、その非常に長い鼻であろう。
この特徴から猿田彦神は後世、天狗の祖とされた。天狗のうち、鼻が異様に長く、顔が輝くように真っ赤である大天狗の外見とこの猿田彦神の外見が類似している為である。
劇中において、射命丸 文が”天の八衢”や”サルタクロス”、”天孫降臨”といった猿田彦神に纏わるスペルカードを行使してきた由縁はそこにある。
ところで、『日本書紀』では天孫降臨に先駆けて、地上を平定する為に降臨した布津主神(ふつぬしのかみ)を地上で待ち受け、案内した神がいた。
その名は、”岐神(くなど(ふなど)のかみ)”と記されている。この岐神は、高天原から降りてきた神を先導したというその役割から猿田彦神と同一視される。そこから、”岐(分かれ道)”の文字が導けよう。
岐符「天の八衢」
岐符「サルタクロス」
天の八衢については、冒頭で述べた通りである。その天の八衢を、”猿田彦神が立っていた辻道(=Crossroad)”と解せば、上位版の”サルタクロス”の名も納得できよう。
ところで、岐神についてさらにその詳細を追ってみると、神話上において、決して少なくない神々が猿田彦神と同様の神格を持っているということが判る。
例えば、天孫降臨より遥か前…伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が、死んでしまった伊邪那美命(いざなみのみこと)のいる黄泉国に赴くという神話にも、先述の”岐神”という名が見受けられる。
それは、伊邪那岐命が黄泉国から戻り、死の穢れを祓う為に禊を行う場面に登場する。
禊を行う際に投げ捨てた杖が、衝立船戸神(つきたてふなどのかみ)に化生したと『古事記』には記されている。一方、『日本書紀』の一書では同様に伊邪那岐命が捨てた杖は岐神に化生したと伝えている。これより、衝立船戸神と岐神は同一視される。
ところで、『日本書紀』の別の一書では、黄泉国から伊邪那岐命が脱出する場面で岐神の名を見ることになる。
伊邪那岐命は、黄泉国で伊邪那美命と会うが、伊邪那美命から自分の姿を見ないでほしいと言われる。しかし、伊邪那岐命はそれを無視して見ると、その姿は醜く変化しており、思わず驚いてしまう。
これにより、伊邪那美命は自分の姿を見られたと知り、恥をかかされたとして伊邪那岐命を追求する。伊邪那岐命は急いで黄泉国からの脱出を図るが、伊邪那美命の命令によって八雷神(やくさのいかづちのかみ)がこれを追ってきた。
漸く黄泉津平坂に辿り着いた伊邪那岐命は、八雷神が追いつけないように杖を投げ捨て、地面に突き刺した。そして、八雷神が追ってこられないようにした。その地面に突き刺した杖が、岐神に化生した、と伝えられる。
神話の細部こそ異なっているものの、これらの物語に登場する衝立船戸神・岐神、さらに猿田彦神まで統合して考えると、みなある程度共通した性質を持っていることが窺える。
まず、八雷神の侵入を防いだ岐神に強く見られるように、ある者の侵入を防ぐ”防塞”の役割が挙げられる。
しかも、その場所は黄泉比良坂(よもつひらさか)という、死の世界と生の世界の狭間の場所である。これは岐神と同一視された衝立船戸神にもいえるが、猿田彦神も結果としてはその容姿から瓊瓊杵尊の降臨を一時は妨げてしまっている。
そして、その場所は天の八衢、高天原(天上)と葦原中国(地上)の中間地点である。
つまり、岐神も猿田彦神も、この世と異界の間に立ち、その境界線で悪しき者の侵入を防ぐ防塞の役割を持っているということがいえる。これは民間信仰上では、”道祖神”や”塞(さえ(さい))の神”といった神と同様の役割であり、その為に両者は同一視されて、辻道などで塞の神の代わりに猿田彦神が祀られていることもある。なお、”塞”とは、”堰く”ということで防ぐことを意味する。
もう一つの共通した性質とは、”先導”である。
“天孫降臨”での猿田彦神を始め、『日本書紀』一書での岐神の布津主神を案内したという働きも、この”先導”という役割に括られるであろう。
塞符「山神渡御」
塞符「天孫降臨」
故に、”塞”という文字と、塞の神と同一視された猿田彦神の登場する物語、天孫降臨とが結び付く。
ところで、天孫降臨で猿田彦神は先導の役割を担ったことは先述したが、
その働きから、今日においても祭礼での御輿の渡御を先導する人間が猿田彦神(ないし天狗)の格好を模すという例が見られる。
この事例から、”渡御”と猿田彦神とが結び付く。一方、猿田彦神は山の神として祀られることもある。スペルカードに”山神”の文字が見られるのは、その為であろうか。或いは、この後に登場する神を指しているとも考えられる。どちらにせよ、”山神”、”渡御”の言葉を導くには十分な要因である。
塞符「天上天下の照国」
冒頭で記した通り、猿田彦神は『古事記』には
上は高天原を光し、下は葦原中国を光す
とある。また、『日本書紀』にも
照り輝くこと酸漿に似たり
とあり、全身が眩く光り輝いていたことは既に述べた。これらより、天上も天下(地上)も照らす、という名が付けられたと考えられる。
劇中の演出が自身を中心とした円形の弾幕、若しくは互いに交差する弾幕で構成されているのは、或いはこの猿田彦神の光り輝く様子の形容に由来するのかもしれない。
文は風を操り、”風神少女”の二つ名を以って『東方花映塚 ~ Phantasmagoria of Flower View.』では「天狗烈風弾」や風符「風神一扇」といった風に関するカードアタックを使用していた。
ところが今作では風に纏わるスペルカードのみならず、天狗の祖といわれる猿田彦神に纏わるスペルカードを行使した。そんな彼女の真意は、一体どこにあるのであろうか。
折角ここまで来たんだから、良いじゃないの
その神様の居る所まで連れて行ってよ
でも、私は貴方を通す訳に行かないの
お、いつぞやの天狗
丁度いいぜ、この先を案内してくれ
残念、私は侵入者を追い返しに来たのよ
霊夢や魔理沙が文と対峙した際、二人は文に新しい神社(守矢の神社)への”道案内”を頼んだ。しかし文はこれを拒み、二人の前に立ちはだかった。
先の問答は、その際のものである(余談だが、それは上司である大天狗からの命令であるとも言っており、必ずしも本人の意思ではなかったことが判る)。
ところで、その結末はどうなったのであろうか。見事文を撃破した霊夢と魔理沙は、直後にStage5へと移動する。
そこは既に、守矢の神社の境内である。先の二人のセリフを見ると、二人が神社の場所を知っていたとは考えられない。
だからこそ、目の前に現れた、山を知っている文に道案内を頼んだのであろう。
それにも関わらず、二人は文を撃破した後、迷うことなく守矢の神社まで到達している。
これより察するに、文は二人に倒された後、しっかりと守矢の神社まで道案内の役を果たしたのだということが窺える。
それが本人の本意であったかどうかは、ここでは関係はない。
重要なのは文が二人の前に”立ちはだかり”、そして後には”道案内”をしているという、その役回りだからだ。
文が二人の前に立ちはだかったのは、二人が山の天狗の社会に対して何らかの害を及ぼすのではないかという懸念から、これを排斥しようとする意図があったものと考えられる。
つまり、天狗の社会という一つの世界に対して二人はその外部から来た者であり、また害を及ぼすと考えられたのである。
これを排斥しようとする文は、外部の者(二人)と接触している。
今回の彼女の二つ名、”里に最も近い天狗”が人間と最も近くまで接近した天狗、ということを表しているのだとすれば言い得て妙である。
ところで、この図式をよく見てみよう。
文が立ちはだかった場所こそ既に山中ではあったが、その立ち位置は天狗の社会と外部の者を仲立ちしており、両者の間に立っているといえるであろう。
それは奇しくも、この世(集落)の中に侵入しようとする異界からの悪霊(害をもたらすもの)を防ぐ”塞の神”の役回りと重ね合わせることができる。
この世や集落には天狗の社会が、異界からの害をもたらすものには霊夢と魔理沙が当て嵌まる。
また、文の立ち回りは同時に、瓊瓊杵尊一行の前に現れ、(本意ではないにせよ結果的に)一行の降臨を止まらせた猿田彦神の姿とも重なる。
ところで、二人がこれを撃破すると、文は二人を守矢の神社まで案内した。こちらは、外部の者を目的地まで先導したという役割であり、天孫降臨の神話で猿田彦神が担った役回りそのものである。
即ち、劇中での文の行動は全て、猿田彦神に纏わるスペルカード群によって予め示されていたのである。
― 出典 ―
- 『東方風神録 ~ Mountain of Faith.』 上海アリス幻樂団 2007
- ※劇中の会話・テロップ、キャラ設定.txt)
- 『東方花映塚 ~ Phantasmagoria of Flower View.』 上海アリス幻樂団 2005
- 参考文献 -
- 『図説 日本未確認生物事典』 世間 良彦著 柏美術出版社 1994
- 『図説 | 日本の妖怪』 岩井 宏貴監修/近藤 雅樹編 河出書房新社 1990
- 『日本妖怪博物館』 株式会社新紀元社 Truth In Fantasy編集部・弦巻 由美子編 戸部 民夫・草野 巧著 株式会社新紀元社 1994
- 『日本民俗大辞典 上』 福田 アジオら編集 株式会社吉川弘文館 1999
- 『日本民俗大辞典 下』 福田 アジオら編集 吉川弘文館 2000
- 『精選 日本民俗辞典』 福田 アジオら編集 株式会社吉川弘文館 2006
- 『日本民俗宗教事典』 佐々木 宏幹ら監修 三秀社 1998
- 『日本伝奇伝説大事典』 乾 真己ら編集 角川書店 S.61
- 『「日本の神様」がよくわかる本』 戸部 民夫著 PHP研究所 2004
- 『日本神祇由来事典』 川口 謙二編集 柏書房株式会社 1993
- 『すぐわかる 日本の神々 聖地・神像・祭りで読み解く』 鎌田 東二監修 株式会社東京美術 2005
- 『日本神話事典』 大林 太良/吉田 敦彦監修 大和書房 1997
- 『日本架空伝承人名事典』 大隅 和雄ら編集 平凡社 1986
- 『民俗の事典』 大間知篤三ら編集 岩崎美術社 1972
- 『神話伝説辞典』 朝倉 治彦・井之口 章次ら編集 株式会社東京堂出版 S.47第12版