松浦静山には、東上総かずさ泉郡中崎村の農夫上がりの僕がいた。名は、源左衛門。
この男は7歳の折、氏神である八幡宮に詣でようとしたところ、その道の途中で天狗に攫われたという経歴を持っていた。
攫われて八年後、不浄であるという理由から人里に帰されたものの、今度は18歳の時、山伏が彼の許に現れて、再び山中へ連れ去られた。
その先で彼は幾つもの不思議な体験をしたと語る。
そして、彼は19歳になり、再び現世へと戻された。
これは、天狗に攫われた男の話の大雑把な概要である。
この話は江戸時代の肥前平戸藩主、松浦清(松浦静山)が記した『甲子夜話』という書に収められている。
その中には、白狼という天狗の説明もある。
それに拠れば、
- 白狼は一般に木の葉天狗と呼ばれ、狼が長い年月を経て天狗になったものである。毛が白いのは、年老いた為である。
- 烏天狗と同じような姿をしている。
- 天狗の世界での地位は低い。
- 他の天狗などが物を買う為の金は、白狼が薪を売ったり、登山者を背負い、その見返りとして得た金である。
といったことが記されている。
白狼。それは他でもない、『東方風神録 ~ Mountain of Faith.』のStage 4″九天の滝”にて霊夢や魔理沙を迎え撃った犬走 椛その天狗の種族名である。
椛は”下っ端哨戒天狗”の二つ名を持つ。
これを先程の『甲子夜話』での白狼の特徴と照らし合わせると、”天狗の世界での地位は低い”、或いは”他の天狗が物を買う為の金を調達する”という役回りから容易に”下っ端”という単語が導き出せるであろう。
また、”走狗”という単語がある。これは文字通りならば走る犬であるが、そこから他人の手先となり、使役される者を指す言葉となった。ここから”犬走”の姓も想起できる。
一方で”椛”の名は、白狼が一般に木の葉天狗と呼ばれること、また劇中での季節が秋であることからの名であろうか。
左手に構えた盾に、真っ赤な紅葉のエンブレムが刻まれているのはこれと無関係ではあるまい。
姿に関連して述べれば、椛の髪が挙げられる。その髪が白~銀色になっているのは、先述した白狼の生い立ち、”長い年月を経た狼が天狗となり、体毛が白いのはその為”という説明から導き出せる。
視覚・嗅覚共に優れ
ている(キャラ設定.txt)
という点も、元々が狼より妖怪となったものである故であろう。この外、『甲子夜話』ではないが一説に木の葉天狗が大天狗の指示を受けて、山を穢す人間を脅す任があるという記事もある。これは劇中での大天狗と白狼天狗の関係や、白狼天狗の哨戒(見回り)という役割と合致させることができる。
ここで、『壺芦圃雑記』(稲田喜蔵著)に拠れば、山は清浄な場所であり、それを穢す者に天狗は罰を下すという。
この一文は、白狼天狗のみならず、天狗全体が排他的な態度を取っていることに結び付く。
ところで、山は清浄であるという考え方は、日本の山に関する信仰と深く関わっている。
山は、天空にいる神が降臨してくる場所と考えられる他、死者の魂が眠る異界とも捉えられてきた。これは中世より隆盛し、人里離れた山中で修行を行う修験道や密教でも同様に、山が神聖なる場所として認識されていた。
その山中において、滝もまた神聖なものと捉えられてきた。
古来より、水には浄化の力が宿ってると考えられてきた。それは神職などが禊を行う行為からも汲み取れよう。
滝も同様であり、一部の寺社では滝で禊を行ったりする重要な場所と認識された。
山岳信仰の中には滝行や水行といった荒行を行う例もあった。
一方で天上から水が降り注ぐその様子から、滝は旱魃の際に雨乞いの儀式を執り行う対象とみなされることもあった。さらに、熊野那智神社のように、滝そのものを神の御神体として霊物視するところもある。
このように滝は、時にはその豪快さから、時にはその神秘性から、神聖なものとされ、或いは崇拝の対象となった例が多々ある。
これらの側面については、”フォールオブフォール ~ 秋めく滝”のミュージックルームでのコメントにも言及されている通りであろう。
曲名に用いられている英単語”Fall”は、”秋”と”滝”の両方の意味を持つ。
また、滝は山に関わる信仰、修験道や密教といった分野に影響を与えた。
一方で、天狗がしばしば山伏の姿で表されるように、修験道と天狗の関係もまた、深いものがある。そういった意味では、滝に天狗が現れたという今回のシチュエーションは単純に偶然とも言い切れなさそうだ。
ところで、椛が二人の人間を迎え撃った滝は”九天の滝”と称されていた。
九天とは、九つに重なった天空、或いは天空の最も高い天を指し、滝と関連して、”九天直下”という言い回しがある。
その語は、天上から地上まで、まっさかさまに滝の水が落下する様子を形容したものである。
“九天直下”の語に関連して、『詩』(李白、望廬(ろ)山瀑布)に
飛流直下 三千尺、疑うらくは是れ銀河の九天より落つるかと
とある。
これは、「飛ぶ流れが真っ直ぐ下に、三千尺も落ちている。まるで、天の川が天空の頂上から落ちているようである。」ということになる。
“九天直下”の語や、天の川が地上まで落下すると表現した李白の詩は、その滝の巨大さを表現している。そういった意味で、”九天”の名は劇中の前人未到の大瀑布を表現するのに相応しい名であったともいえよう。
一方で、”九天”の語には以下のような記述も見られる。
攻撃に巧みな者は、九天から見渡すように敵の行動を手に取るように見て、それに応じて行動する
『孫子』孫武(春秋時代末期)より
この一文は、天空の最も高い場所から俯瞰するように相手の行動を見通す、という部分は椛の”千里先まで見通す程度の能力”、相手の行動から臨機応変に対応をする、といった部分は、劇中での椛の対応(威嚇攻撃で敵を牽制し、対応できないのであれば大天狗に報告に戻る)に準えることができると思われる。
既述したように、滝は修験道と関わりを持ち、天狗もまた修験道と深い関係を持っている。
そうした面から、椛と滝の間に接点を見出すこともできよう。一方で、椛の能力やその行動には、九天の語と薄からぬ関係がありそうである。
また、九天の語は巨大な滝を形容する語として用いられていた。とすれば、犬走 椛という名の天狗が、”九天”と称された滝に出現したことは、決して偶然の産物では無かったようである。
― 出典 ―
- 『東方風神録 ~ Mountain of Faith.』 上海アリス幻樂団製作 2007
- ※劇中のテロップ、キャラ設定.txt、ミュージックルームのコメントなど)
― 参考文献 ―
- 『東洋文庫 ふしぎの国1 妖怪・怪物』 荒俣 宏著 株式会社平凡社 1989
- 『中国神話伝説辞典』 袁珂著 ・鈴木 博訳 株式会社大修館 1999
- 『修験道辞典』 宮家 準編集 株式会社東京堂出版 S.61
- 『仏教民俗辞典』 仏教民俗学会編著 株式会社新人物往来社 1993
- 『日本妖怪博物館』 株式会社新紀元社 Truth In Fantasy編集部・弦巻 由美子編 戸部 民夫・草野 巧著 株式会社新紀元社 1994
- 『よくわかる「世界の幻獣(モンスター)」事典』 「世界の幻獣」を研究する会著 株式会社廣済堂 2007
- 『日本伝奇伝説大事典』 乾 真己ら編集 角川書店 S.61
- 『日本民俗大辞典 上』 福田 アジオら編集 吉川弘文館 1999
- 『日本民俗大辞典 下』 福田 アジオら編集 吉川弘文館 2000
- 『全訳 漢辞林』 戸川 芳郎監修 佐藤 進・濱口 富士雄編 株式会社三省堂 2002
- 『広辞苑 第五版』 新村 出著 岩波書店 1998
- 『例文 仏教語大辞典』 石田 瑞磨著 小学館 1997
- 『学研 現代新国語辞典 改訂新版』 金田一 春彦著 株式会社学習研究社 1997
- 『ジーニアス英和辞典 第3版』 小西 友七/南出 康世編集主幹 株式会社大修館書店 2003