天子のエプロンの縁について

初版: ’11 7/17

一度言及した(’08/06/12の雑記を参照)ネタですが。形状的には紙垂(しで)のようだ、という話はそのときの雑記にも触れました。

そのときは、紙垂は注連縄に付いているものであり、

  • 注連縄が聖俗を隔てるものということ
    • 紛いなりにも天人、つまり「聖」の存在である天子の(「聖」の)属性を表す
  • 七色であること
    • 虹→龍という連想紙垂は雷を象ったもの、という説があるということから雷
      六十四卦で八卦の「雷」を二つ重ねたものは「震為雷」であり、地震への連想

といったことを連想・言及しました。

今回はこれとはまた少し違った角度でエプロンの縁のアレについて見てみたいと思います(アレを紙垂と見立てる大本の着想は変化してませんが)。

まず一つは、上記の一つ目の連想と関連するものです。

天子のスカートは青で空をイメージしたもの、また紙垂は雷を象ったものとされることから、エプロンの縁のアレも雷の見立てだとするならば、白いエプロン、及びその縁の黒い模様は雲の見立てではないか、と思い至りました。これより、天子という存在が空の上・雲上の存在である、ということを示すためのパーツだったのではないか、という考え方です。

次に、天子の気質「極光」との関連。

七色のアレはその色から、極光(オーロラ)の見立てだと考えることができます。ここで、極光は雷と同様に天空で起きる自然現象であるという共通点が挙げられる他、極光→虹→龍→雷という連想が可能だと思われる(これは上記の二つ目にあるように極光が七色であることから虹への連想できることと、幻想郷では虹・雷は龍と関連が深いことから)点から、雷(紙垂)の代わりの極光として、七色の紙垂として表現したのではないか、という考えです。

最後に、七色のアレが紙垂であるならば、紙垂は注連縄に付随していることが多いことから、七色のアレは注連縄のように天子が何らかの制約を受けているという見立てなのではないか、とも考えました。

といっても、封印といった類のものを考えたわけではなく。注連縄のように、その存在を他から「隔てる」という意味合いではないかと。

それは、親の上司の七光りで天人になったという特異な立場は異端視される原因になると思われますし、性格の面からすれば厄介者のように思われているかもしれません。

そういった点から、天子という存在が他の天人から隔てられている、ということが考えられ、その見立てとして紙垂を身に纏っているのではないでしょうか。

あるいは、要石もある意味では厄介なものですし、天子個人の存在というよりは要石を操る者、として紙垂を纏っている、という考え方もありかもしれません。

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