初版: ’08 9/2
…前回は”天道是か非か”という直球な元ネタについて言及しなかったので。
“天道是か非か”は、”天道は正しいのか、正しくないのか”といった意味になる。善行には福がもたらされ、悪行には報いがもたらされるのが天道だといわれているが、現実はそうはなっていない。とこれを嘆いたりするときに用いる語。
司馬遷が戦いの後捕虜になった李陵という男を弁護した為に武帝の怒りを買い、刑罰を受けたときに用いたという。後、司馬遷は『史記』を記すことになる人物である。
初版: ’08 9/2
…前回は”天道是か非か”という直球な元ネタについて言及しなかったので。
“天道是か非か”は、”天道は正しいのか、正しくないのか”といった意味になる。善行には福がもたらされ、悪行には報いがもたらされるのが天道だといわれているが、現実はそうはなっていない。とこれを嘆いたりするときに用いる語。
司馬遷が戦いの後捕虜になった李陵という男を弁護した為に武帝の怒りを買い、刑罰を受けたときに用いたという。後、司馬遷は『史記』を記すことになる人物である。