- ’09/4/24に第1節を改訂し、全体の構成を少々変更しました
妖怪・覚。
江戸時代、鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』に拠れば、その姿は色黒く、全身長い毛で覆われた姿で描かれている。
書によっては猿、或いは狒々(ひひ)に似た姿だと記されていることもある。加えて、覚という名は、この妖怪の最大の特徴である”心を読む”力、さとるということに由来したものである。
よく人の言葉を話し、よく人の心を察する、あえて人に害をなすことはしないが、人がこれを殺そうとすればその心を察して逃げ去ってしまうという。また、一説にこの名は石燕自身がそう称したものであるとされることもある。
地霊殿の主、古明地 さとりは、この覚をモチーフとしているものであろう。
さとりというその名や種族名、そして「心を読む程度の能力」という能力も、この覚と通じる。加えてその外見からいえば、さとりの髪がボサボサに乱れているのも覚が全身長い毛によって覆われているという特徴から来ているのかもしれない。
さて、石燕に拠れば覚は
飛騨美濃の深山に玃(かく)あり。山人呼んで覚と名づく。
と記されており、飛騨美濃の山奥にいるとされていること、また、覚は玃(「かく」「やまこ」と記されることも)の別名であるということが窺える。
『和漢三才図会』(江戸時代)では玃として紹介されている他、”オモイ(思い)”や”思いの魔物”、”黒ん坊”などが人の心を読む妖怪として覚と同一視されている。
なお、五来 重氏は『鬼むかし』にてこの妖怪のことを”さとりわらは”とし、人の心をよく読む童で、山の神の化身が元々の姿ではないか、といった旨の記述をしている。即ち、山の神が零落し、妖怪化したものが覚であるということである。
さとりのスペルカード行使中の背景の裏側には木々が茂っている様子、森らしきものも見受けられるのであるが、これはもしかしたら、先述の山という要素と関連しているのであろうか。
ところで、冒頭では覚はあえて人に害をなさないと記したが、覚に纏わる伝承ではむしろ人を食べようとしている様子が窺える。今度はその伝承に着目してみたい。
昔、樵(きこり)が山中で木を切っていたところ、突然覚が現れた。
それを見た樵が怖がると、覚は「今、お前は怖いと思っただろう」といって樵の心を言い当てた。
その後も同様にして樵が思うごとに「今、お前は食われると思っただろう」、「今、お前は逃げようと思っただろう」などと樵の心中を言い当てながら徐々に迫ってきた。
しかし樵が無意識のうちに、持っていた斧で木を割ると、その破片が偶然覚に命中した。
覚は痛さで悲鳴を上げ、「思うことよりも思わぬことの方が怖い」といって逃げ去ってしまったという。
この話では樵の他、炭焼きが山小屋の中で覚に会い、先述のようにその心中を次々と言い当てられてしまうが、最後は火が飛び散って覚に命中し、逃げ帰ってしまうというように幾つかのバリエーションが存在するようである。
しかし、覚に襲われる人間は樵や炭焼き、漁師というようにいずれも基本的には山中を仕事の場とする職の人間であるということや、心中を言い当てられても、(木の破片や火、作りかけのかんじきなどものは様々であるが)最後は無意識による行動やものによって撃退されてしまうといった具合にいずれの型でも共通する要素を持っている。
特に”無意識”による行動の結果、撃退されてしまうという話にはさとりの妹・古明地 こいしに通じるものがあり、そ影が窺えるようにも思われる。
また、さとりに話を戻せば、霊夢や魔理沙と対峙した際の会話において二人の思っていることを次々と口に出して言い当てる、という流れは先述の覚の伝承と通じるように思われる。
このように、さとりは覚の伝承とも通じる要素が認められるといえるであろう。
ところで余談ではあるが、玃と同字の名を持つ妖怪として、中国では玃(チュイ)の存在が考えられていたようである。
こちらについても一応、記しておきたいと思う。ただし、『本草綱目』などに記された玃は日本で考えられた玃とはだいぶ異なっていたようである。
具体的に見てみると、まず人の心を読む力は無かったようである。加えて、山中を通り掛かった人の所持品を奪うという。さらにその生態として玃には女性がおらず、人間の女性を攫ってくる、といった具合である。
このように、日本で語られる玃と中国の玃はかなり異なっていたようである。