黒谷 ヤマメ考察

一.

地底の旧都に続く深い洞窟。”幻想風穴”と呼ばれる場所に黒谷 ヤマメはいた。風穴とは、山腹や谷間にある空洞の穴のことである。

ヤマメは、忌み嫌われた能力を持ち、地下に封印された妖怪の一人である。その種族は”土蜘蛛”だ。

ヤマメの服装は、この土蜘蛛、というよりも蜘蛛という動物の姿を的確に表現しているといえるだろう。

複数の複眼を持つことを表すように、胸部に規則正しく並んで施された六つのボタン。頭部、胸部よりも大きな腹部を表すように大きく膨らんだスカートと、糸のようにそれに絡まる黄色の帯である。

ところで、妖怪の土蜘蛛は伝承上では『平家物語』(剣の巻)や『土蜘蛛草紙』といった書に見ることができる。

そのいずれでも、土蜘蛛は源頼光やその四天王によって退治され、その武勇を伝える役回りを演じている。

なお、源頼光は後に大江山の鬼を退治することになる人物で、大江山の鬼…即ち、伊吹 萃香や星熊 勇儀と関連が深い。また、宇治橋の橋姫を平らげたという話もあり、水橋 パルスィとも縁を持っている。

さて、『平家物語』(剣の巻)の物語は源頼光が瘧病(熱病)で病の床にあるところから始まる。

この熱病によって頼光が床に伏せていたある日のことである。

夜になり、頼光の看病をしていた四天王も下がらせた後、一人の頼光の許に、妖しげな法師が近付いてきた。

法師は縄を持ち、その縄を頼光にかけようとしていた。これに驚いた頼光は、咄嗟に近くにあった膝丸という刀でこれに斬り付けた。

すると、法師はたちまちの内に逃げてしまった。この騒ぎを聞きつけた四天王が頼光のところに駆けつけると、そこには血の跡が残っていた。

四天王がこの血の跡を追ってゆくと、北野(北野天満宮)の裏手にある
大きな塚へと辿り着いた。その塚を掘り返すと、中から巨大な蜘蛛が出てきたので、これを退治した。

すると、頼光はたちまち復調したという。また、蜘蛛の死骸は賀茂川の河原で串刺しにして晒したという。

ちなみに、この話の中では土蜘蛛は山蜘蛛と称されている。

さらに、この伝承にちなんで現在でも東向観音寺の境内には土蜘蛛塚がひっそりと残されている。

一方、『土蜘蛛草紙』の物語はがらりと変わっている。

こちらは、源頼光が渡辺綱を連れて、京都郊外の北山の方に訪れた際、空飛ぶ髑髏を目撃したところから物語が始まる。

この髑髏を追うと、二人は神楽岡の荒れ邸に辿り着いた。中に入ると、齢290になるという老女が

「自分はこの邸の主に9代仕えたが、もはや邸の者はみな死に絶えてしまった。自分も殺して欲しい。」

と言った。これを頼光はこの邸の妖怪であると見抜き、一睨みするとこの老女は姿を消した。

その後、妖怪は様々な方法で頼光を脅かそうとするが、頼光は全く動じない。それも止み、明け方近くになってから一人の美女が現れた。

そして、頼光に向けて白い雲の塊のようなもの― 糸の網 ―を投げつけたので、頼光はこれを避けて女に斬りかかった。すると、女は姿を消した。

夜が明けた後に二人が調べると、そこには血の跡が残されており、逆に頼光が斬り付けた刀は峰先が失われていた。

ここで頼光は古代中国の故事を思い出し、身代わりの人形を用意して二人で血の跡を追った。すると、西山の奥深くの洞窟に辿り着いた。中の大蜘蛛は二人の姿を見ると刀の峰先を吹き付けてきたが、二人は人形を盾にしてこれをかわし、この大蜘蛛を退治することに成功した、という筋書きである。

これらの説話から、黒谷 ヤマメの持つ能力・スペルカードの典拠を知ることができる。

罠符「キャプチャーウェブ」

蜘蛛「石窟の蜘蛛の巣」

キャプチャーウェブは、Capture Web(捕縛の蜘蛛の巣)であり、いずれもヤマメが土蜘蛛であることや、先の伝承で土蜘蛛が化けた人物が糸(縄)を用いていたことからも端緒を見出すことができる。

瘴符「フィルドミアズマ」

瘴気「原因不明の熱病」

フィルドミアズマは、Filled Miasma(満たされた瘴気)であり、瘴気は熱病を引き起こすという山川の悪い気のことである。

これらのスペルカードは、『平家物語』(剣の巻)のタイプの伝承で頼光が苦しめられていた熱病に由来すると考えられる。

その熱をいくら冷まそうとしても冷めず、土蜘蛛を退治した途端に回復したことから土蜘蛛が熱病の原因であることは明らかであろう。

ヤマメの”病気(主に感染症)を操る程度の能力”もこの伝承に由来するものと見て良いだろう。

二.

ところで、『御伽草子』に収められた土蜘蛛の説話では、この土蜘蛛は葛城山に棲む蜘蛛で、神武天皇が東征した際に退治された者達の霊であったと説明される。

そういった意味では、土蜘蛛も一種の怨霊ということになろうか。とすれば、間欠泉と一緒に怨霊が噴き出したという今作のストーリーとも怨霊という単語が符合する。或いは、その辺りも加味されているのかもしれない。

さて、土蜘蛛は神武天皇東征の際に退治されたとあるが、確かに”土蜘蛛”の名称は『古事記』(中巻)や『日本書紀』(神武天皇紀)、『常陸国風土記』といった数々の書物に見ることができる。

ただし、ここでいう”土蜘蛛”とは、前節で述べたような巨大な蜘蛛の妖怪ではなく、朝廷に服従しなかった地方の反抗勢力の蔑称である。

とはいえ、そこに描かれる姿は等身大の人間ではなく、穴に居住し、用心深い一方で狼のように凶暴であるとか、足が八束はあるという八掬脛(やつかはぎ)『釈日本紀』(越後)や尾を持つという土雲など、人間離れした外観や、蜘蛛の性質を加味したような脚色がなされているが。

なお、土蜘蛛というのは、特定の集団を指して呼称するものではなく、諸々の反抗勢力を総称してそう呼ぶものだという。

例えば、先程は越後に八掬脛という土蜘蛛がいたと記したが、その一方で『肥前国風土記』では値嘉(ちか)島の海人を土蜘蛛と呼んだという記述があり、離れた場所の関係が無い者でも纏めて土蜘蛛と称したことが窺える。

ところで、こちらの土蜘蛛も中央勢力から見て統治の妨げとなることから多くが討伐の対象となった。

忌み嫌われるが故に封印された妖怪、今作において地底に棲む妖怪はそう位置付けられている。

ヤマメをその観点で捉えるのであれば、この”朝廷に従わなかった者達”を土蜘蛛と称していた事実は見逃せないだろう。

ヤマメのテーマ曲は「封じられた妖怪 ~ Lost Place」、”Lost Place”は失われた場所である。どれも、居場所を追われた者という点で共通項を持つからである。

源頼光によって退治された妖怪土蜘蛛、神武天皇の御代に朝廷に服従しなかった者達土蜘蛛。

どちらも、土蜘蛛・黒谷 ヤマメの持つ姿の一つなのである。

― コラム 夷(えびす)と疫病 ―

えびす、とは現在は七福神の一柱として膾炙している名称である。

しかし、これは元々は異人、朝廷の息のかかっていない人達を指していたという。そういった”外の人”の意が、海の彼方から流れ着いてくる者(陸の外の者)にも当て嵌められ、えびすと名付けられ、それが漁民の信仰などと相まって神とみなされるようになったようである。

さて、そういった異人に纏わる話として次のようなものを紹介しよう。

それは『明月記』という書の貞永2(1233)年、2月17日の条に記された一文である。

近日咳病世俗称夷病、去比夷狄入京翫見

つまり、異人が都に入ったことと疫病の流行とが結び付けられ、巷では咳の病を夷病と称した、というものである。いわば、異人が疫病の原因だとみなされたものである。

ふと、ここで先節の土蜘蛛について思い起こして貰いたい。神武天皇の御代、朝廷に服従しなかった者達が土蜘蛛と呼ばれていたことは先に述べた通りである。

彼らも、見方によっては十分異人とみなすことができるだろう。

ヤマメが病気を操る能力を持つのは、源頼光の伝承の外にも、もしかしたらこういった要素があったからかもしれない。

三.

前節までで、黒谷 ヤマメに纏わる諸要素を追ってきた。容姿、スペルカード、能力などである。

ここでは、最後にその”黒谷 ヤマメ”という名前について見てみたいと思う。

名前についてみるのであれば、まず最初に述べるのは『平家物語』(剣の巻)での土蜘蛛の呼称が山蜘蛛と称されていることだろう。

土蜘蛛が山に関わるのであれば、ヤマメの名は”山女(山にいる者(女))”であると解することができるからだ。

次に述べるのは、『土蜘蛛草紙』で妖怪が出現した場所である。神楽岡、現在の吉田山近郊一帯である。この吉田山の南東(左京区)には、比叡山で修業した後の法然法師が開いたという金戒光明寺がある。

この金戒光明寺は、奥比叡の黒山付近の地名から名前を取り、通称”黒谷(くろだに)さん”と呼ばれる。そして、それがそのまま一帯の地名になっており、土蜘蛛と黒谷の姓を結ぶ線となる。

ただし、神楽岡と黒谷は近距離とはいえ別の場所であり、互いを結ぶ明白な接点が見当たらないことが気に掛かる。

では、他に土蜘蛛と黒谷の姓を結ぶ接点は無いのだろうか。

そこで思い出して頂きたいのは、ヤマメを倒した後のにとりの発言である。

だって、彼奴ら

いつも河を汚すんだもん

このにとりの発言に依れば、土蜘蛛はいつも河を汚しているらしい。これは一体何を意味するのか。

『平家物語』(剣の巻)で源頼光の四天王に退治された土蜘蛛は賀茂川の河原に串刺しで晒されたという。

その際に血が川に流れ出したのであろうか。

いや、違う。もしそうならば、”いつも”汚していることにはならない。

ここでこの謎を解く手掛かりの一つになるのは、俵藤太の百足退治の伝承だと思われる。

俵藤太は、その勇敢さを見込まれて龍から百足退治を依頼される。百足は龍の宿敵であった。

ここで、龍は水神である。水は農耕、ひいては稲作にとって必要不可欠であり、日本に水を司る存在は多い。

一方の百足は山に棲む。山の神であり、また鉱山関係者は鉱脈を表す語として”むかで”の語を用いたという。

つまり、百足とは鉱脈、鉱山を司る存在であり、この伝承は里に住む農耕民と山に住む鉱山関係者の対立を描いたものであるという説がある。

鉱山を開くと、選鉱などの作業で水を用いる。すると、鉱物の一部がイオンとなって水に溶け出すといったように、鉱山は水を汚染するという一面を持つ。

それ故、鉱山関係者が配慮を怠ると、その山の麓では農耕が出来なくなってしまう。

近世でも、足尾銅山のように鉱害が発生した例がある。その為、農耕に携わる水神である龍と、鉱山の神である百足が対立するのだ。

これを、先のにとりの発言と照らし合わせよう。にとりは河童であり、一説に河童は信仰を失った水神が零落したものであるといわれている。

一方のヤマメ、土蜘蛛は……一説に、鉱夫のことであると説明されることもあるのだ。

つまり、水―河童(にとり)と鉱山―土蜘蛛(ヤマメ)であり、先の龍と百足と同じ構図がここに出来上がるのである。

とすれば、にとりがヤマメ(土蜘蛛)を嫌悪する理由も頷けよう。鉱山という産業と農耕が対立するという構図は長い間継続していたと考えられるならば、それは”いつも”という単語とも符合するのである。

また、ヤマメ=土蜘蛛=鉱夫とすると鉱山は山であるから、当然”ヤマメ”の名を”山女”の意と解することができる。

さらに、山間に流れる川の水、即ち谷の水が鉱物によって汚染される、ということが”黒谷”の姓に表されていると考える事もできるのではないだろうか。

谷は山無くしては形成されないし、黒は一般に不浄を表す色だからである。余談ではあるが、埼玉県秩父市には黒谷(くろや、と読む)という地名がある。

この地は古くより銅の産出地として著名であり、この地で産出された銅で和同開珎が造られたという話もある。

関連は薄いと思われるが、鉱山関連ということで一応この地名を挙げて、
本考を終えたいと思う。

― 出典 ―

  • 『東方地霊殿 ~ Subterranean Animism.』 上海アリス幻樂団 2008

― 参考文献 ―

  • 『妖怪事典』 村上 健司編著 毎日新聞社 2000
  • 『日本伝奇伝説大事典』 乾 真己ら編集 角川書店 S.61
  • 『神話伝説辞典』 朝倉 治彦・井之口 章次ら編集 株式会社東京堂出版 S.38
  • 『図説 日本未確認生物事典』 世間 良彦著 柏美術出版社 1994
  • 『よくわかる「世界の幻獣(モンスター)」事典』 「世界の幻獣」を研究する会著 株式会社廣済堂 2007
  • 『幻想動物事典』 草野 巧著 株式会社新紀元社 1997
  • 『妖怪草子 あやしきものたちの消息』 荒俣 宏+小松 和彦 米沢 敬編集 工作舎 editorial corporation for human becoming 1988第三版
  • 『学研 現代新国語辞典 改訂新版』 金田一 春彦著 株式会社学習研究社 1997
  • 『ジーニアス英和辞典 第3版』 小西 友七/南出 康世編集主幹 株式会社大修館書店 2003
  • 『平凡社大百科事典 5』 大中 邦彦編集発行人 平凡社 1984
  • 『地名を掘る 鉱山・鉱物からの考察』 小田 治著 株式会社新人物往来社 S.61
  • 『黄金と百足 鉱山民俗学への道』 若尾 五雄著 人文書院 1994

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