木々が山を赤や黄に彩り、田の稲が頭を垂れる。色鮮やかな情景と豊かな稔りとの合間を、秋風が吹き抜けてゆく。心地良い涼風に身を委ね、情景に人々は心躍らせる。
しかし、同時に人間はその景観が長く続かないことを知っている。
紅葉は散り、稲穂は刈り取られる。秋風はやがて冷たさを増し、次の季節の到来を告げる。このように、優雅さと寂しさが共存する季節が秋であろう。
『東方風神録 ~Mountain of Faith.』を立ち上げると最初に画面に現れるのは、こうした秋の情景である。
舞い散る紅葉、穂を傾ける稲やススキ、その間に花を咲かせる菊。プレイヤーセレクト時の霊夢と魔理沙の各々の背後には、秋の風物である月も顔を覗かせる。
溢れんばかりに鮮やかな情景を映し出す季節、秋。その”秋”という語は、”飽き”に通ずるといわれている。食物の供給が満ち足りて、飽和の状態にあること。同時に、満ち足りた状態は”飽きる”ことをもたらす。
故に、物事は一定ではなく移ろいゆく。満ち足りた状態と、その移ろいやすさという二つの側面を表しているのが、この”秋”という語である。
日本国にまします八百万の神々のうち、この二つの顔を持つ季節を司る存在が、彼女達姉妹である。
寂しさと終焉の象徴、秋 静葉。
豊かさと稔りの象徴、秋 穣子。
劇中では冒頭に登場する為、彼女達は決して多くを語らない。しかしながら、その端緒から垣間見える彼女達の姿にスポットを当てて見たいと思う。