祀られる風の人間・東風谷 早苗。
1節で述べたように、”早苗”という名は実在の人物・守矢 早苗氏に由来していると考えられる。
一方で、”コチヤ”の音が”モリヤ”の音と類似している点も見逃してはならないだろう。
ところで、ここで一つの疑問が生じる。何故、その姓は”東風”なのであろうか。
先に述べたように音の類似という点もあろう。また、この後に控える神奈子は風神であり、『風神録』の名もあるように劇中において”風”というキーワードは不可避である。
それ故に、風神(神奈子)を祀る者という重要なポジションに位置する東風谷 早苗の名に”風”の一文字が含まれていることは必然である。
では、何故数ある風の名前のうちで”東風”が選ばれ、その姓を冠するのであろうか。
そこで、まず基本的なこととして風の名前の法則性を押さえよう。
東風とは、東から西に向かって吹く風のことである。一般に、風の名前は向かって吹く方向ではなく、吹いてくる方向の名を冠することが多い。
例えば、南から北に向かって吹く風は南風であり、西から東に向かって吹く風は西風となる。但し、そこには例外もあり、地域や場合によっては名前とは逆の方向から吹く風をそう呼ぶこともある。
東風の場合、西から東に向かって吹く風を”東風”と称することもあるということである。また、地域によってその方向も一定ではない。北東や北北東から吹く風を”東風”と呼ぶ地域もある。
このように、実は風の名前と方角は必ずしも一致しない。しかし、一般的にいえば東風は東から西に向かって吹く風のことであると見て差し支えないと思われる。
これを踏まえた上で見て頂きたいのは、次の説話である。弘安4年、石清水八幡宮での話である。
一度元寇を経験した日本は、二度目の襲来を恐れていた。
そこで、朝廷より命を受けた叡尊えいそんという高僧が門徒を率い、神前にて祈祷を行っていた。
叡尊はこの際、「東風を以て兵船を本国に吹き送り、来人を損なわずして、乗るところの船をば焼き失わせたまえ」と祈ったという。
つまり、東から吹く風により敵国の船を送り返し、来たる敵軍の人命を失うことなく船を焼失させよ、ということである。
そしてこの祈祷の後、叡尊は暴風雨で敵国の軍船が大損害を受けて退散したことを知ったという。
ここに、”東風”の語が出現する。
中国から日本へ船で渡るには、当然東の方角に向かって進むことになる。
これを防ぐように、東から西に向かって吹く風、即ち東風を以って敵の軍船を追い返せと祈ったということである。
ところで、叡尊が祈祷を行っていた場所は八幡宮であり、その祭神は誉田別命である。故に諏訪明神との直接の関連は見られないが、弘安の役の際、国土を守った神風に関する説話としてこの話は無関係ではないだろう。
守矢の姓に代わり、東風谷の姓を持つ東風谷 早苗。上の弘安の役の事例から”東風”が日本を”守”ったことを踏まえれば、”東風”の語より”守”の字を導けると考えられないだろうか。
一方の谷と矢は”ヤ”の音が通じる。つまり、”東風”谷と”守”矢は、決して遠い関係では無いと思われるのだ。また、弘安の役の他にも、”東風”が窮地に陥った者達を救い、守ったという逸話が存在する。
それは、「モーゼの奇跡」の伝承である。モーゼが海に向かって手をかざすと、海が割れた。これは、モーゼの手をかざすという合図によって神ヤハウェが強風を吹かせ、それによって海が割れたのだという。そして、この神が吹かせた強風こそ、東風であったという。
とすれば、東風谷 早苗が「モーゼの奇跡」のスペルカードを行使したのは偶然ではなかったのではないだろうか。
ところで、守矢の姓は他ならぬ、洩矢神から受け継いだ名である。
一方、”東風”が”守”と通じるのであれば、東風谷の姓もまた、洩矢 諏訪子に通ずる姓であるといえよう。東風谷の者にも、しっかりと洩矢神の血は流れているのである。